マザー・テレサ「イエスに、本当に美しいことを捧げたい」

このページは、大部分がマザー・テレサ著「来て、わたしの光になりなさい!」から引用されています。この本は、マザー・テレサの霊的指導者たちが保存していた本人の書簡が、マザーの列福・列聖の過程で集められ、列聖推進委員会委員長のブライアン・コロディエチュック神父が編集したものです。マザー本人の言葉から、彼女の信仰のあり方を知ることができます。

マザー・テレサ(1910-1997)

Mother Teresa of Calcutta at a pro-life meeting on July 13, 1986 in Bonn, Germany © 1986 Túrelio (via Wikimedia-Commons), 1986 / Lizenz: Creative Commons CC-BY-SA-2.0 de 

◆生い立ち

1910年、現在の北マケドニアに誕生。12歳で召命を始めて感じ、18歳で活動修道会ロレット会に入会し、インド宣教へと向かう。

18歳の彼女を送り出す時、母は次のように言った。

あなたの手をイエスのみ手にゆだね、彼と共に歩みなさい。前進するのです、というのは、振り向いたらあなたは後戻りするでしょうから。」[1]

マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p32

◆終生誓願――霊的暗闇と神への献身

9年間をロレット修道会で過ごし、終生誓願を立てる時が近づいていた時の彼女の手紙に、次のような一節がある。

わたくしの霊的生活が、バラの花を散りばめたようなものと、お考えにならないでください。わたくしの道に、バラの花などほとんど見られません。全く逆で、共にあるのは、もっとたびたび「暗闇」です。そして夜の闇が深まると、わたくしは地獄で終わるのではないか、とさえ思うのです。――そのときは、ただただ自分をイエスにおささげします。もしイエスがそれをお望みになるならば、用意ができています。しかし、それがほんとうにイエスを幸せにするという条件においてだけです。

十字架に釘づけられたイエスにだけ導くひたすらな愛のうちに、信頼をもって耐え忍ぶため、わたくしはたくさんのお恵み、キリストのお力を、たくさん必要としています。でも、幸せです。そうです。今までになかったほど。そしてどんなことがあっても、苦しみを放棄したりしません。ただ苦しんでいるだけとは、お考えにならないでください。いいえ、苦しむ以上に声を立てて笑っています。それで、ある人たちは、わたくしがカルバリから遠く離れたナザレのイエスと共に住む甘やかされた花嫁だと、結論づけているのです。お祈りください、わたくしのためにたくさんお祈りください。わたくしはイエスの愛を、ほんとうに必要としているのです。[2]

マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p42-43 引用文中の「カルワリオ」は、プロテスタント教会で使われる「カルバリ」に直した。

ここでテレサは「暗闇」の経験について述べている。これは、神との一致に至る前に通るべき「浄化」を表す用語として広く知られており、ローマ・カトリックの十字架の聖ヨハネの「暗夜」などを通して知られている。[3]

1937年、27歳で終生誓願を立てた時、故郷の神父に宛てた手紙でこう記している。

…わたくしのためにたくさん祈ってください。今、以前以上に祈りが必要なのです。わたくしは、ただマザーという肩書きとか、服装によるだけでなく、ほんとうに、全くイエスのものになりたいのです。たびたびこれが逆転し、尊敬されるべき“わたくし”が最も大事な場を占めてしまうのです。相変わらず、以前と同じ傲慢なゴンダです(注:ゴンジャはマザー・テレサの生名)。たった一つ違うことは、イエスに対するわたくしの愛――イエスのためなら、命さえもささげます。それはすばらしく聞こえますが、現実にはそれほど易しくありません。易しくないからこそ、それを望むのです。昔スコピエ(注:マザーの出身地)で「ゴンダ、最後の一滴までカリスを飲み干したいか」とおっしゃったことを覚えておいでですか。あのとき、今のように考えていたかどうか分かりません。でも、今は「はい」と言えます。そして涙も流さずに喜んで言えます。…すべてはイエスのためです。そのように、難しいこともすべては美しいのです。[4]

マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p45-46

◆個人誓願――全き明け渡し

マザーは1942年、31歳の時に、個人的な誓願を立てます。それは「神が求められるすべてをささげるという、『神に何一つ拒まない』誓願」でした。テレサは後に、「イエスに、本当に美しいことをささげたかった、何一つ残さないで」と言っています。それは、あらゆる状況において、神に「はい」と言い、「最後の一滴まで御血を飲み干す」望みを表すものでした。マザーは後に、この特別な請願の意味を説明しています。(同書p56)

なぜ、神に完全に自分をささげなければならないのでしょうか。神が来自身を与えてくださったからです。わたくしたちに何の義務も負っておられない神が、ご自身さえも与えようとされるなら、わたくしたちの一部をおささげするなんて、考えられますか?自分を完全に神にささげることが、神ご自身をいただく方法です。わたくしは神のため、神はわたくしのため。わたくしは神のために生きて自分自身をささげ、それによって神が、わたくしのために生きてくださるように招きます。ですから、神を所有するために、神に自分の魂を所有していただかなければなりません。[5]

この誓願に基づく絶え間ない全き献身が、テレサの生涯を決定的に導いていると思います。

全き献身と快活さ

マザーにとって、全き献身は、困難でもあったが、喜びの源であった。

「彼女の献身の厳粛さは、彼女を陰気にしたり落胆させたりしなかった。逆に彼女は「快活」で「起こることすべてを楽しんでいた」。彼女の喜びは単に性格的なものではなく、むしろ彼女が生きていた「自分を従わせることの恵み」による実りであった。「悲しげな人を見ると、この人はイエスに何かを拒んでいる、といつも思うのです」とマザーはいうのだった。イエスが求めるものをすべてささげることに、彼女は非常に深く長続きする喜びを見出した。イエスに喜びを与えることに、彼女は自分の喜びを得たのである。」[6]

マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p62-63

次は、マザー本人の言葉です。

快活さは、すべてを、自分自身さえも忘れて、人びとの霊魂のためにするあらゆる行為において、神を喜ばせようと努力する寛大で、私欲のない人のしるしです。快活さはしばしば犠牲的生活、神との絶え間ない一致、熱意と寛大さを覆い隠す上着です。この快活さの賜物をもつ人は、たびたび聖性の高位に到達します。というのは、神は快活なささげ人を愛し、愛する修道者をそのみ心近くに引き寄せてくださるからです。[7]

小さなことを、大きな愛で

大きなことを求めないでください。大きな愛をもってほんの小さなことをしなさい。小さければ小さいほど、わたくしたちの愛はもっと大きくなければなりません。

同書p64

全き献身と神の守り

マザーが、神に何も拒まないという私的請願を立てた1942年からマザーは多くの犠牲を払った。インドは第二次世界大戦に巻き込まれ、厳しい経済状態の中で膨大な働きを担い、マザーは深刻な病気に侵される。また、200万人以上の命を奪った1942-43年のベンガルの飢饉にもあったが、神が何物も拒まれないことをマザーは確信していた。一人の生徒はこう証言する。「ある日、もう食べる物が何もありませんでした。午前八時マザーテレサが、『わたしは出かけます。皆さんはチャペルでお祈りをしていてください』と言われました。午後四時ごろ、食糧庫はあらゆる種類の野菜でいっぱいでした。わたしたちはその光景を、とうてい信じることができませんでした。」[8]

5000人の死者が出た1946年の暴動の時も、300人の生徒たちの食料の必要に迫られた時、命を危険を冒して修道院の外に出て、兵士から食料をもらって修道院内の学院に帰った。これも、誓願から出た、神が願われることは何でも捧げるという誓願から出た行動と言うことができるだろう。[9]

◆「インスピレーションの日」――スラムの働きへの召命

マザー・テレサは、1946年9月、36歳の時に、毎年の黙想会と必要な休息のためにダージリンの修道院へ向かう汽車の中で、主イエスと決定的・神秘的に出会います。

それは、わたくしの召命中の召命でした。第二の召命です。貧しい人びとの中でもっとも貧しい人に奉仕するため町に出かける――非常に幸福なロレット会の生活さえもささげるしょうめいでした。貧しい人びとの中で最も貧しい人の内におられるキリストに仕えるため、すべてをささげて、スラムにおいて主に従う呼びかけを聴いたのは、汽車の中でした。

同書p72

1946年9月10日、ダージリンへ向かう汽車の旅で、マザーが受けた神の光と愛の強力な恵み、これが愛し、愛されたいという神の無限の切望の深みであり、神の愛の宣教者会の始まりです。

同書p73

貧しい人びとの中で最も貧しい人に仕えることによって、イエスの渇きを癒やすために、神が「召命中の召命」を与えられたのは、1946年ダージリンへ向かう汽車の中での、この日のことでした。


同書p73

◆「わたしは渇く」――神の渇きとの出会い

マザーは1946年の主イエスとの神秘的な出会いによって、最も貧しい人々に仕えるようにとの召命を受けました。その後、彼女は、主イエスの十字架上の言葉「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)を絶えず教え続けました。

十字架につけられて血を流し、血液が不足すると、水分に対する強烈な渇きを感じるそうです。▼しかし、マザーは、主イエスの渇きは水に対する渇き以上に、私たちと私たちの愛に対する渇きなのだと言います。「天地万物を創られた神は、被造物から愛を求めておられる」と。▽十字架上の主イエスの強烈な渇きは、人間を「愛し愛される」ことを求める神の渇きを象徴しています。十字架の主イエスの渇きは、砂漠で水を求めて渇く人のように、神が人を愛し求める限りない思いを啓示します。▼マザーが召命を受けた1946年のあの日の出来事は、「神の渇きとの出会い」であったといいます。[10] マザーは、神の渇きと出会い、今日の御言葉のように、貧しい人々のうちにおられるキリストの渇きを癒すために、自らを差し出したのでした。

主イエスとの生きた交わり

マザーが晩年に、修道会のシスターたちに書き送った「バラナシ」の手紙に、このようにあります。ここには、主イエスとの毎日の生きた交わりの必要性が説かれています。

イエスは、あなた方一人ひとりをどんなに深く愛しておられるかを、わたしがあなた方に告げるようにお望みです――イエスはあなた方の想像を絶するほどに愛しておられます。あなた方の何人かはまだイエスにたった一人で、あなたとイエスだけで、お会いしていないのではないかと心配になります。わたしたちはチャペルで時間を過ごすかもしれませんが、イエスがどんな愛のまなざしであなたを見ておいでか、心の目で見たことがありますか、本の知識からではなく、心の中でイエスといっしょにいることによって。イエスがあなた方に語っておられる愛にあふれるみ言葉を聞いたことがありますか。

恵みをお願いしなさい。イエスはあなた方に恵みを与えたいと熱望しておいでです。単なるアイディアではなく、ほんとうに生きた方としてイエスと毎日親しく接することをやめてはいけません。

「わたしはあなたを愛している」とイエスがおっしゃるのを聞かないで、どうして生き続けられますか、――不可能です。空気を吸うのに体が必要なように、魂はイエスのこのみ言葉が必要です。そうでなければ、祈りは死んだものとなり、メディテーションは単なる思考になってしまいます。…

生きているイエスとの繋がりの中での自分を否定するすべてのことに注意しなさい。人生の痛み、ときにはあなた自身の間違いは、イエスがほんとうにあなたを愛し、あなたに執着しているなんてあり得ない、と感じさせるかもしれません。これが、あなた方皆にとっての危険であり、とても悲しいことです。それは、イエスが本当に私たちに語りたい、と待っておられることの全く逆のことだからです。

イエスはあなた方を愛するだけでなく、それ以上にあなた方を慕っておられます。あなた方が近くにいないことを寂しく思われます。イエスはあなた方に渇いておられるのです。彼はあなた方が自分には価値がないと思うときも、常にあなた方を愛しておられます。他の人たち、ときには自分からも受け入れられていなくても、イエスはいつもあなたを受け入れる方です。

わたしの子たちよ、イエスを愛するために別人になる必要はありません。ただ、あなたが彼にとって大切だということを信じなさい。あなたが苦しんでいることすべてを、イエスの足もとに持ってきなさい。ただ、そのままのあなたをイエスが愛してくださるように心を開きなさい。その他のことは、すべてイエスがしてくださいます。

あなた方は、イエスがあなた方を愛してくださることを、頭では知っています。でも、この手紙の中で、マザーは頭の代わりにあなた方の心に触れたいのです。イエスは私たちが初心をなくさないように、私たちの心を掻き立てたいのです……。

すべての<神の愛の宣教者会>のチャペルの壁に掲げられた「イエスの」み言葉は、ただ過去のものではなく、今、ここで、あなた方に語られる生きたものなのです。そのことを本当だと思いますか。もしそうなら、あなた方はイエスのお声を聞き、イエスの現存を感じるでしょう。それがわたしにとって親密なものであるのとおなじように、あなた方一人ひとりにとっても親密なものとなりますように。…

イエスご自身が、あなた方に「わたしは渇く」と言われる方にならなければなりません。自分の名前が呼ばれるのをただ一度だけでなく、毎日聞いてください。心の耳を傾ければ聞こえてきます。そして理解するでしょう。

イエスの渇きにどのように近づくことができるでしょうか。秘訣はたった一つです。イエスに近づけば近づくほど、彼の渇きをよりよく知ることができます。「悔い改めて信じなさい」とイエスは告げられます。何を悔い改めるべきですか。無関心と心のかたくなさです。何を信じるべきですか。イエスは、今もあなたの心の中で、貧しい人びとの中で渇いておられます。イエスは、あなたの弱さをご存じであり、あなたの愛だけを求められます。イエスは、あなたを愛するチャンスだけを求めておられます。イエスは時間に制限されません。彼に近づくときいつでも、私たちは(筆者注:十字架の下で主イエスの言葉を聞いた)マリア様、聖ヨハネ、マグダレナの仲間になります。イエスのお声を聞いて、あなたの名前が呼ばれるのを聞いてください。私の喜びと、あなた自身の喜びを満たして下さい。

祈りましょう。神があなたを祝福されますように。[11]

J.ラングフォード「マザーテレサの秘められた炎」p66-74

◆御声――召命の確証

マザー・テレサは、1946年、キリストと神秘的に出会い、その後約1年間、主イエスの明瞭な内なる御声を聞きます。貧しい人々の中で最も貧しい人の内におられるキリストに仕えるために、すべてを捧げてスラムで主に従うようにという呼びかけを聞いたと言います。それは彼女に語りかけた主イエスの「声」でした。

わたしは、愛のいけにえとなるインドのシスターたちが欲しい。彼女たちはマリアとマルタとなり、わたしとしっかり一致してわたしの愛を人々の魂に輝かせるだろう。わたしは十字架の貧しさに覆われた自由なシスターたちを望む。十字架の従順で覆われた従順なシスターたちが欲しい。十字架の愛に覆われた、愛にあふれるシスターたちを望む。あなたはわたしのために、これをすることを拒むのか?

あなたは愛のためにわたしの花嫁となり、わたしのためにインドまでやってきた。霊魂たちへの渇きは、あなたをこんなに遠くまで連れてきた。あなたの花婿わたしのために、霊魂たちのために、もう一歩踏み出すことを恐れるのか?あなたの寛大な心は冷え切ったのか?あなたにとって、わたしは二の次になったのか?あなたは霊魂たちのために死んだことがない。だから彼らに何が起ころうともかまわない。あなたの心は、わたしの母のように、悲しみに沈んだことがない。母とわたしは、霊魂たちのためにすべてを与えた、そしてあなたは?あなたは今の召命を失うこと、世俗の人と」なること、耐えられなくなることを恐れている。――いや――あなたの召命は愛すること、苦しむこと、そして霊魂を救うことであり、このステップを取ることによって、あなたはわたしの心の望みを成就することになる。――これがあなたの召命だ。あなたは質素なインドの服装、あるいはわたしの母のように、簡素に貧しく装いなさい。現在のあなたの修道服は、わたしのシンボルだから聖なるものだ。あなたのサリーもわたしのシンボルで、聖なるものになるだろう。

あなたは常に「どうぞお望みのままにわたくしをお使いください」と言っていた。今、わたしは行動したい。わたしにさせなさい。わたしのかわいい花嫁、わたし自身のかわいい娘よ。恐れてはいけない。わたしはいつもあなたと共にいる。あなたは今も苦しんでいる。これからも苦しむ田折る。しかし、もしあなたがわたしの愛する花嫁、十字架につけられたイエスの花嫁であるならば、心の中でこうした苦悩を耐えなければならない。わたしに行動させなさい。拒んではいけない。愛をもってわたしを信じ、完全にわたしに信頼しなさい。

愛しい娘よ、わたしのもとに人びとの魂を連れてきなさい。みすぼらしいストリート・チルドレンの魂をください。このかわいそうな子どもたちが罪に汚れるのを見て、わたしがどれほど傷つくかをあなたが知ってさえいれば――。わたしは彼らの純粋な愛が欲しい。あなたがわたしの声に応えて、彼らをわたしのところへ連れてきてくれたなら――悪い者の手から彼らを引き離しなさい。何と多くの子どもたちが毎日罪に陥るかを、あなたが知ってさえいれば。裕福で有能な人びとのせわをする、多くの修道女を抱えた修道院がある。しかし、わたしの非常に貧しい人たちのための修道院は皆無だ。わたしは彼らを慕い、彼らを愛している。あなたは拒否するのか。[12]

同書P85-88

◆長上への従順

マザー・テレサは、働きの召命を受けた後、上長たちに相談しますが、事はマザーが願うようにスムーズには進みませんでした。▼マザーは最初に相談したエグザム神父との関係を誤解されて、別の町に転任になりました。しかし、マザーは、起こる事柄に神の御手を認めて、不平を言わずに受け入れました。そして4か月後の1947年1月、エグザム神父はペリエ大司教に手紙を書く許可を出します[13]。▼しかし、マザーの新しい働きに許可を出すことができる大司教は、「神と、自分の良心の前で、正しい決定に至るために、すべてをなしたということができるまで」決定しようとしませんでした。マザーは大司教に召命と計画を伝えますが、大司教は非常に慎重に、祈りと吟味に時間を掛けます。すぐに道が開かれることを期待していたマザーにとって、大きな試練でした。その間も、マザーは、「わたしを拒むのか」という主イエスの御声を聞き続けます。▼それに加えて、マザーの召命の真実性を確かめようとしたエグザム神父から、「この召命について、今後一切考えないように」と命じられます。上長からの命令を神の導きとして受け止めていたマザーは、この命令に必死で従う努力をしますが、彼女にとって非常に厳しい試みとなりました。そのような厳しい吟味の時を経て、マザーの人格も召命の真実さも認められ、新しい働きの必要性が認められて、新しい働きの許可がおり、大司教やエグザム神父の協力を得て、進められていきました。[14]

ペリエ大司教への手紙には、マザーへの「御声」の記録が記されている。

小さき者よ、来て、来て、貧しい人びとのあばら家に、わたしを連れていきなさい。来て、わたしの光になりなさい。わたしは一人では行かれない――彼らはわたしのことを知らないから、わたしを望まない。あなたが行って、彼らの間に入り、わたしを連れていってほしい。…あなたがささげる犠牲、わたしに対する愛の中に、彼らはわたしを見、わたしを知り、わたしを望むだろう。

あなたは恐れている。…恐れてはいけない。わたしのために、これをしてほしいと頼んでいるのはわたしだ。恐れることはない。たとえ全世界があなたに反対し、あなたを笑い、仲間や長上たちがあなたを軽蔑しても、恐れてはいけない。あなたのうちに、あなたと共に、あなたのために在るのはわたしだ。

あなたは苦しむ、非常に苦しむことになる。しかし、わたしがあなたと共にいることを忘れないで。たとえ全世界があなたを拒んだとしても、あなたはわたしのものであり、わたしがあなたのものであることを忘れないで。恐れないで、わたしである。ただ従いなさい。朗らかに、素早く、何も質問しないで、ただ従いなさい。あなたが従うならば、わたしは決してあなたを離れない。[15]

同書p163-167

ペリエ大司教は、ローマの神学者に相談し、またインドの現地の状況に精通する二人の司祭の勧告を求めた。神学者たちは、この計画を、「いわゆる主の要求」に触れることなく、「み声と幻視を考慮に入れずに」検討し、「問題なく許可を与える」ことができると大司教に勧告した。1948年1月、新修道会設立の許可が出た。

◆【新修道会の設立へ】

マザー・テレサが御声に従った時、当初の歩みは順調には見えませんでした。上長の許可にも時間がかかり、安定した愛するロレット修道会を離れ、第二次世界大戦後の極度に混乱したインドのスラムの中に働きに飛び込むことになりました。そこには極度の貧しさと困難があり、周囲の無理解にも苦しめられました。

しかし、マザーは、それらの苦しみが神ご自身から来たことを認めました。そして、その苦しみを、「主イエスご自身の苦しみにあずかる」こととして受け止めました。そして、滅びゆく魂を求める「十字架の主イエスの渇き」を癒すために、テレサは仕えました。慰めが感じられない霊的な暗闇の中で、彼女は自らを全く捧げ、全てのことを主のために、主を喜ばせるために行いました。[16]

マザー・テレサが、スラムでの働きを始めた最初の頃のことです。所属していたロレット修道会に籍を置いたまま、新しい働きを始めたのですが、彼女が愛していたロレット修道会との間に、すれ違いが起こっていきました。

マザー・テレサが、ロレット修道会の空いている建物に住ませてもらいたいと願いました。しかし、マザーの新しい働きは、失敗するリスクもあり、修道会の人々のつまずきとなることを懸念したロレット修道会から、建物の提供を断られます。▼スラムでの苦闘の中で、マザーの働きが成果を上げると、ロレット修道会のシスターの中から、マザーの働きに加わろうとする人が増えます。すると、シスターたちが流れていくことを懸念したロレット修道会は、シスターたちがマザーと接触することを禁じ、援助も断ち切られてしまいました。しかし、マザーは公明正大な、愛に満ちた態度に留まります。▼しかし、まもなく、ロレット修道会のシスターたちの数人から、マザーへの非難やうわさが広がっていきます。一部のシスターたちが、「マザーを悪魔に、新しい修道会を悪魔の業に」比較しました。主ご自身からの召命を確信していたテレサは、自身の召命の源である主ご自身に対する攻撃として、深く打ちのめされます。この時のテレサの対応が、忍耐強い謙遜な愛に満ちていると感じました。テレサは、個人的な怒りや悲しみをぶつけるのではなく、神から与えられた自身の修道会の働きを守るために、「純粋に自分たちの修道会に対する義務から」、ロレット修道会に手紙を書きます。ロレット会のリーダーは直ちに自分たちの会のシスターたちの非を認めて、対応をしました。この後、双方の間に理解が生まれ、やがて良い協力関係が発展していきました。[17]

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【マザー・テレサ】マザー・テレサについて、こんなエピソードが紹介されていました。

ある日、一人のシスターが、マザー・テレサのところに来て心配そうな顔で言いました。「マザー、金曜日と土曜日の分のお米がありません。このことをみんなに伝えた方がよろしいですか」

このままでは、二万人の人が、空腹のまま二日間、何も口にすることができません。このようなとき、マザー・テレサのとる態度は決まっています。神を信頼して、祈るということです。

「二日分のお米がなければ、大勢の人々がお腹を空かせてしまいます。今、飢えて動けない人もいます。私は食べられなくてもかまいせん。どうか貧しい人々に必要な食べ物をお与えください」

金曜日の朝九時、不思議なことが起りました。予告もなしに、何千個ものパンを積んだトラックが到着したのです。その日、どういうわけか政府の意向で学校が休校になり、学校に配られるはずのパンが、すべてマザーたちのもとへ運ばれてきたのです。二日分の食料不足は、これで解決しました。

https://note.com/cukai/n/n2b8078039fef

このような助けはマザー・テレサにはよく起こったといいます。[18]


[1] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p32

[2] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p42-43 引用元の「カルワリオ」は、プロテスタント教会で使われる「カルバリ」に直した。

[3] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」p45-46

[4] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p49-50

[5] マザー・テレサ 前掲書、p56-57 2023.9.3.Matt.16:21-28「キリストに従うということ」

[6] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p62-63

[7] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p63

[8] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p65-67

[9] マザー・テレサ「来て、わたしの光になりなさい!」 p68-69

[10] J.ラングフォード「マザーテレサの秘められた炎」p50,56-57,

[11] J.ラングフォード「マザーテレサの秘められた炎」p66-74

[12] P85-88

[13] P82-83、134-135

[14] マザーテレサ「来て、私の光になりなさい」

[15] P163-167

[16] P176-242

[17] マザーテレサ「来て、私の光になりなさい」P210-212、225、

[18] https://note.com/cukai/n/n2b8078039fef