三浦綾子「絶望から希望へ――キリスト教小説家」

三浦綾子さん(1922-1999)は、「氷点」「塩狩峠」などで知られるキリスト教小説家です。
人間の意志を越えた、大いなる者
三浦綾子さんは、小学校教師として7年間軍国教育に献身し、戦後に罪悪感と絶望を抱いて退職し、結核にかかり、療養をしながら自暴自棄な生活を送ります。▼ある日、婚約者の西中一郎さんを訪ねて、婚約を破棄します。その夜に、綾子さんは冷たい海に入って自殺を図ります。その時、後を追ってきた西中一郎さんが綾子さんを捕まえて、海辺の砂山に連れて上がります。[②]
彼女の代表作「氷点」で、主人公の友人・北原の手紙の中に、同じ斜里の海で自殺未遂をした女性の話が出てきますが、これは綾子さん自身がモデルだそうです。その女性について、手紙は次のように述べます。
死のうとしても死ねない時があるということが、ぼくには意味深いものに思われてなりません。それこそ文字通り死にものぐるいの人間の意志も、何ものかの意志によってはばまれてしまったというこの事実に、ぼくは厳粛なものを感じました。単に偶然といい切れない大いなるものの意志を感じます。ある意味において、それは人の死に会った時よりも厳粛なものとはいえないでしょうか。[③]
三浦綾子「三浦綾子 電子全集 氷点(下)」 「千島から松」
これは、三浦綾子さん自身の思いではないでしょうか。その出来事を振り返ってみた時に、人間を越えた大いなる者の意志を感じたのではないかと思います。
私たちは、日常生活では神の計画を実感することは少ないかもしれません。佐藤先生や三浦綾子さんのように劇的ではないかもしれません。しかし、人生の忘れられない場面で、人間を越えた神の導きを感じることがあるのではないでしょうか。
前川正さんの真実な愛
三浦綾子さん(当時は結婚前)が婚約を破棄して自殺を図り、自暴自棄な生き方をしていた時、幼馴染の前川正さんが、彼女を春光台の丘に誘いました。彼も結核療養中で、自分の命が長くないことを知って、綾子さんが自分の命を真剣に生きることを願いました。必死に祈り、彼女のために尽くしたいと願っていた前川さんは、綾子さんがいつまた自殺するかも分からず、いい加減に生きているのを見て、自分がふがいなくなり、突然石を取り、自分の足をゴツンゴツンと打ち続けました。綾子さんは記しています。
わたしは言葉もなく、呆然と彼を見つめた。いつの間にかわたしは泣いていた。久しぶりに流す、人間らしい涙であった。…わたしはその時、彼のわたしへの愛が、全身を刺しつらぬくのを感じた。
自分を責めて、自分の身に石打つ姿の背後に、わたしはかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと、わたしは思った。[⑤]
三浦綾子「三浦綾子 電子全集 道ありき 青春編」11
綾子さんは、その光がイエス・キリストの光であることに、気付いていました。ここから彼女の求道が始まり、彼女の生活は次第に変わっていきました。▼彼女は、前川さんの愛の中に、キリストの光を見ました。神を愛し・人を愛する生き方に、真の人間の生き方・「命」の姿を見て、そこに生きる希望の光と目的を見出しました。
三浦光世さん:「赦す」ということ
キリスト教小説家の三浦綾子さんの夫・光世さんは、物を大切にする方で、10年物の洋服を新品のように大切に来ていたそうです。ある時、クリーニングに出した光世さんのお気に入りのスーツが盗まれしまったことがありました。クリーニング屋は平謝りしますが、綾子さんの怒りは収まりません。帰宅した光世さんに、綾子さんは元気なく報告します。ところが光世さんは、お気に入りの背広が盗まれたと聞いて、落胆するどころかクリーニング屋に同情しました。
こうなるとおかしなもので、三浦の怒らないのがわたしには気に入らない。
「困るのは、クリーニング屋より、わたしの方よ、あなた。わたし弁償してくれって言ったのよ。でも、あんないい背広、戻って来ないわよ」
…三浦は…黙ってわたしの話を聞いていたが、わたしにこう言った。「馬鹿だねえ、綾子。そんなに文句を言うもんじゃない。黙って許してやることだよ」
「えっ? 黙って許すって。弁償もしてもらわないの」
「綾子、弁償なんて、無理なことを言うなよ。相手は小さなクリーニング屋さんなんだ。背広を弁償したら、その月は食うや食わずになるかも知れないよ」
「だってミコさん。只盗まれっぱなしでいいの。わたし、弁償してもらいます」寛容にも程があると、逆に三浦に腹を立てた。
三浦綾子「この土の器をも 道ありき 第二部 結婚篇」八
「綾子、綾子は聖書を読んでいるか」
「ええ、読んでるわよ」
「聖書には何と書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい綾子、許すということは、相手が過失を犯した時でなければ、できないことなんだよ。何のあやまちも犯さないのに、許してやることはできないだろう。だから許してやりなさい。弁償せよなどと、決して言ってはいけないよ」[⑧]
旭川・三浦綾子記念館を訪問しました
【北海道】 2025年6月に、旭川の三浦綾子文学記念館を訪問して来ました。北海道大学や羊が丘公園で、クラーク博士・新渡戸稲造・内村鑑三などの足跡にも触れました。折しも、昭和の宗教弾圧でホーリネス教会の牧師たちが一斉検挙された6月26日と重なり、記念集会にも出席できました。明治~昭和の日本のキリスト教界を担った人々の歴史に触れて、神の物語は今に至るまで、連綿と続いていることを感じました。




聖書とのつながり:礼拝メッセージでの引用
[②] 三浦綾子「三浦綾子 電子全集 道ありき」10
[③] 三浦綾子「三浦綾子 電子全集 氷点(下)」 「千島から松」
[⑤] 三浦綾子「三浦綾子 電子全集 道ありき 青春編」11
[⑧] 三浦綾子「この土の器をも 道ありき 第二部 結婚篇」八