五十嵐健治 - 日本初のドライクリーニング開発者

白洋舎の創業者として日本初のドライクリーニングの開発者であり、クリスチャン小説家・三浦綾子さんとも親しかった五十嵐健治氏のエピソードです。

五十嵐健治氏

五十嵐健治 - 日本初のドライクリーニングの開発者

五十嵐氏が苦労して白洋舎を創業して10年目に、彼の人生で最も辛い出来事の一つ、乗っ取り事件が起こります。当時、社長の五十嵐さんは名古屋支店の立ち上げに奔走し、東京の工場は親戚のKを支配人として任せていました。Kは友人のMを雇いますが、Mは毎日欠勤と遅刻を重ね、忠告にも耳を貸さず、五十嵐さんはついにMの解雇を相談します。するとMは激怒して、他の従業員と画策を始めます。従業員の態度がおかしくなり、仕事をさぼり始めました。ある日、五十嵐さんは、従業員が洋服にわざと焦げ目をつけて、白洋舎の信用を失墜させようとしているところを目撃します。企みがばれると、翌日から大半の従業員が仕事を休みました。支配人のKとMが多くの従業員を誘って、新しいクリーニング屋を開き、顧客リストも預かった洗濯物のリストも経理の帳簿も盗まれました。▼五十嵐さんは、顧客に迷惑かけるばかりか、目をかけていたKや、忍耐して見守っていたMや大勢の従業員に裏切られたこと、会社の信用が失墜いたことに非常に苦しみました。

わたしは、この悪辣な裏切りに、狂わんばかりの苦しみを受けた。怒った。泣いた。喚いた。…全く平静を失った。が、この時、妻のぬいがぽつりと言いました。「あなた、わたしたちは、人には捨てられましたが、神には捨てられませんね」 この妻の言葉に、私は、はっと我に返った。……私は早速、聖書をひらいた。ロマ書の第八章に、〈神もし我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや〉という言葉が目に飛びこんできた。これには力を与えられましたなあ。…

ロマ書の第十二章には、またあの有名な言葉があった。〈愛する者よ自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ。…『…復讐するは我にあり、我これを報いん』…〉 これを読んで泣きましたなあ。泣いて泣いて、自分の口惜し涙は拭われましたな。そして直ちに、私はKやMを始め、向うについた人々のために、真剣に祈った。…祈りは力です。平安が戻ると、つい先程まで何もする気にならなかった私は、立ち上る気になった。…帳簿も何もかも失われて、どこから手をつけてよいかわからぬ建て直しに、その日から私は取りかかることとなった。

は?KやMのために祈って、…そんなに簡単に人をゆるせるのかとおっしゃるのですか? …私は甚だ単純な男ですからな、聖書の御言葉を読んで涙を流し、彼らのために真剣に祈ったのは事実です。裏切られた当座は、奴らが目の前に現れたら…刺しちがえて死んでもよいほどに、憎しみ怒りに荒れ狂ってもいましたがな。

それが、聖書を繰り返し読むうちに、実に思いもよらぬ平安を与えられた。これは確かに事実ですが、人間そうすっぱりと、全くの平安を取り戻すというわけにもいかぬものです。一日二日は、その平安が保たれてはいましたが、ふと何かのことで、またもや心の中に憎しみが頭を擡げてくる。これが人間というものですな。

しかし、裏切られた当座の、怒り狂った時とは方向がちがう。怒るのが当り前だ、とは思わない。赦さねばならぬという心が働く。赦そうとして祈れば、また平安が与えられる。こうして少しずつ、この平安が安定してくるのですな。 …とにもかくにも彼らのために祈りました。祈りつづけました。祈りたくなくても祈った。

…お陰さまで、驚くほど速やかに社業は挽回できました。僅かの従業員で…一致して必死に努力したからでもありましょうが、…以前を上回る大繁昌をきたしたことは、これはもはや私共の力ではなかった。神が力を与えて下さったとしか思えません。

三浦綾子「三浦綾子電子全集 夕あり朝あり」 「挫折」

この裏切った側の店は、まもなく仲間割れし、翌年工場が全焼して閉店に追い込まれます。10年後、五十嵐さんにMから手紙が届きます。Mは細々と洗濯屋を続けていましたが、関東大震災で妻子が焼死したことを、恩を仇で返した罰と思い、五十嵐氏に謝罪する手紙でした。五十嵐氏は、神を恐れ、Mの悔い改めを喜び、彼の祝福と慰めを祈りました。

…あの当時は、…白洋舎は繁栄の一途を辿っていた。…多少私の心の底には、(どんなもんだい)と、誇るものが頭を擡げ始めていた。人間、順調に事が運ばれている時のほうが、思うようにならぬ時よりも、危険なのですな。思うようにいかぬ時は、謙孫であり得るが、意のままになる時は、自分自身の才や努力を誇って、傲慢になる。神はその傲慢を打ち砕かんとして、あの事件に遭わせたのかも知れません。 お陰で創業時の初心に立ち返り、新しい出発をなすことができたのは、感謝なことであったと思っております。

三浦綾子「三浦綾子電子全集 夕あり朝あり」 「挫折」

五十嵐さんは、裏切りに遭いますが、神はその中で彼を守り導き、彼は苦しみの中でこそ謙遜を学び、神により頼むことを学び、神により頼むことを学び、より優れた働きのために整えられていきました。

 


聖書との繋がり:礼拝メッセージでの引用
創世記29:15-28「労苦の日々の導き手」

2025年8月10日(日) 礼拝メッセージ 聖書 創世記29:15-28説教 「労苦の日々の導き手」メッセージ 堀部 舜 牧師  15時にラバンはヤコブに言った、「あなたはわたしのお…

【参照】 三浦綾子「三浦綾子電子全集 夕あり朝あり」