矢内原忠雄「戦時下に植民地主義を批判した現代の預言者」
【矢内原忠雄 - 現代の預言者】

矢内原忠雄先生は、内村鑑三を通して信仰を持ち、旧東京帝国大学の経済学教授として、戦前の日本の帝国主義や植民地経営を鋭く批判しました。
矢内原は、経済学者として満州事変後に満州を視察した時、列車が盗賊に襲われ、乗客数名が死亡し、ほどんどの客が物を奪われました。しかし、彼の客室だけは、奇跡的に被害を守られ、神の守りを経験します。これを契機に、矢内原は神の恵みを伝えるために、雑誌の発行を始めます。彼は満州の調査旅行を通して、日本が「神の前に罪ある者となった」ことを見抜き、覚悟を決めて講演活動を開始します。
「…私がこの際、講壇に立てば、言うべき言葉はたった一つしかなかった。しかもそれは非常に明瞭に私に与えられていた。私はこの言葉を言うのが恐ろしかったのである。それは私の社会的地位はもちろん、場合によっては身体の自由をも賭さなければならぬ一言であった」。
「かかる混沌の中にあって事の真実を見徹し、真実を語る人は実に悲しみの人であります。…虚偽が世に満ちて全ての人に本当のことが分からない時、たった一人、事の真相を見抜いた人、そして皆が黙っている時に一言言う人、それが悲しみの人であります。」
矢内原忠雄「悲哀の人」、今滝憲雄「矢内原忠雄の預言者的精神と平和思想」
多くの学者が沈黙する中、彼はキリスト者として腹を据えて、最も本質的な問題である日本の国体・天皇の神性・国家至上主義に、正面から切り込む論文を発表します。
そして1937年10月1日、講演会を前に矢内原は神の御声を聞いたといいます。
「ある日私は聖声(みこえ)を聞いた。
評伝 010 預言者的実存・矢内原忠雄(2)渡部美代治 https://www.netekklesia.com/008-2 注11
『行き、そして語れ。しかしこれが最後である。
この民にふたたび平和を語るな。
私は彼らの心を頑なにして、わが審判を成し遂げるであろう』
これを聴いて、私はひどく恐れ、五体が震えに震えて止まなかった。
『今日はしも 我は世界に 世は我に 背き立つ日ぞ 五体ひた震う』」
1937年、国家主義に押される教授会の圧力で、矢内原は教授職を辞職し、著書は発禁処分となります。
「…私自身はこのことをなんとも思っていない。私は身体を滅ぼしても魂を滅ぼすことのできない者を恐れない。私は誰をも恐れもしなければ、恨みもしない。」
(矢内原忠雄「私の歩んできた道」II「大学辞職の日」)
矢内原は、発行する雑誌「嘉信」が検閲を受け、何度も何度も警察から呼び出しを受けます。ある時、矢内原の言葉が「国家を呪うもの」であるとの警告を受けて、矢内原は情報局の検閲課に行って係官を詰問します。「これほど国を愛している者が、政府から国を「呪詛する者」として弾圧せられるとは!」矢内原は「もう此の国のために祈らない」と思い、「汝この民のために祈るなかれ」というエホバの御声を聞いたエレミヤの悲哀が、私にも少しく解った、と言います。
警察から「もう廃めてはどうか」と自主的な廃刊を執拗に求められますが、矢内原はそれを拒絶します。彼の雑誌「『嘉信』は国の柱であるから、これを倒すものは国を倒す者である。」「『嘉信』を辞めさせるならば、戦局は困難になり、国は重大危機に陥りますぞ」。当局は、ついに「嘉信」を廃刊させることができませんでした。(矢内原忠雄「私の歩んできた道」II「戦の跡」)
戦後、矢内原は戦後に東大教授に復職し、後に大学総長も勤めます。
政府がキリスト教に大きな圧力を加える中で、自らの危険を顧みず、神の言葉を語り続けた矢内原の姿に、神の言葉に動かされる預言者の姿を見ます。そこには、恐れを越えて、神の言葉にひたすらに従う一途な信仰の姿があります。そこには、預言者の「悲哀」がありました。誰にも理解されない孤独。自らの命を懸けた証言にも関わらず、世はまっすぐに偽りに向かって突き進んでいく悲しみ。ただ神の言葉を道しるべに、共におられるキリストに目を上げて一歩一歩歩み続けた矢内原の姿に、洗礼者ヨハネの姿が重なります。
【聖書との繋がり】
以下のメッセージで、矢内原忠雄先生のエピソードを取り上げています。
【参考文献】
矢内原忠雄「私の歩んできた道」(【復刻版】矢内原忠雄「私の歩んできた道/私の伝道生涯/他5篇」響林社文庫 Kindle版所収)https://www.amazon.co.jp/dp/B07JF4QQVR/
坂井基始良「評伝 矢内原忠雄」https://www.netekklesia.com/untitled-c1reh
鈴木皇「預言者的実存・矢内原忠雄(1)」https://www.netekklesia.com/007-41
渡部美代治「預言者的実存・矢内原忠雄(2)」https://www.netekklesia.com/008-2
今滝憲雄「矢内原忠雄の預言者的精神と平和思想」https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/items/461cf1c3-046b-45bd-a9ae-a512681961c0
立花隆「天皇と東大」下、52-53章、