エペソ5:18-20「御霊に満たされなさい」

2024年3月24日(日)礼拝メッセージ

聖書 エペソ5:18-20
説教 「御霊に満たされなさい」
メッセージ 齊藤良幸 役員

【今週の聖書箇所】

18酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、19詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。20そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、…

エペソ5:18-20

今日は、メッセージの前にリコーダーによるテーマ賛美の演奏がささげられ、感謝いたします。

さて、今週は受難週ですが、福音書では特にこの週の出来事に多くページがさかれています。今日は棕櫚の日曜日、イエス様がエルサレムに入城され、神殿の宮清めを行われた日に当たります。

三日後に弟子たちと過越しの食事をとり、その後、ゲッセマネの園で祈りの時を持たれましたが、イスカリオテのユダの裏切りにより逮捕され、大祭司の取り調べを受けたのちに、ピラトの判決により、むち打ちと十字架刑が執行され、死後にアリマタヤのヨセフの所有する墓に葬られ、三日目の日曜日に復活されました。その後、四十日にわたり弟子たちに顕現され、弟子たちを励まされ、昇天されました。そして、その十日後のペンテコステの日に約束の通り、御霊が注がれて、教会が誕生しました。今日は御霊について共に見ていきたいと思います。

酒に酔ってはいけない

今年の「MY御言葉」は、エペソ5章18~20節です。

酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し(なさい)。」

18節では、「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである」と酒に酔うと放蕩があるから、いけませんとパウロは言っています。

先日の日曜日の朝、Y兄を(車で教会まで)お迎えするときに酔っ払いに関することで、体験談をお聞きしました。Y兄の出身地の群馬県の駅には、駅舎を出ることなく入浴できる温泉があるそうです。

Yさんが、温泉に入るためにその駅で下車すると、そこに酔っ払いのおじさんがいて、「温泉もいいけど、少し先の駅の近くに富弘美術館があるから、行きなさい。」酔っ払いの彼が、とても感動したのでぜひ行くべきだというのです。

私と妻は、それを聞いて、「酔っ払いが言っても説得力がないね」と話すと、Yさんは、「酔っ払いをも感動させる、それが富弘さんの原画の素晴らしさだ」と話してくれました。

富弘美術館は群馬県の草木ダムのほとりにありますが、皆さんは、いかれたことがあるでしょうか?私たち家族は1度だけ訪れたことがあります。今年も、我が家では、星野富弘さんのカレンダーを使用しています。絵に添えられた一言の組み合わせが心を和ませてくれます。

さて、お酒を飲む理由は、色々な理由があると思いますが、自分の生活で嫌なことがあり、苦しくなっていることが原因である事が多いようです。そして、心に空白、むなしさがあり、それを埋めたいからだと考えられます。それらを考えたくないので、せめてアルコールの影響で酔っている間だけでも忘れていたいのです。考えないからと言って問題が解決するわけではありません。

御霊に満たされなさい

パウロは、賢い人として歩むために、「御霊に満たされなさい」という勧めをしています。問題を解決するためにも「御霊に満たされなさい」と書かれています。「御霊に満たされ続けなさい」と継続することを意味しています。

キリストを信じたすべてのクリスチャンは御霊を受けています。(使徒2:38)但し御霊を受けることと御霊に満たされることは別のことのようです。満たすというように、私たちの心という器にある自分の考えや思い、願いをいったんどかして、御霊を通して示される、神のみこころを取り入れて、それが原動力となって行動する習慣を身に着けるようにすることだとパウロは勧めてくれています。

御霊に満たされると、私たちの歩み方、行動が変えられ、結果として人生が変えられていくのです。御霊に満たされ続けていくと、知恵が与えられていきます。この知恵とは知識ではなく、神様の存在を認め、神様の御心を悟る知恵です。

2018年のケズイックコンベンションに参加させていただきました。その時の聖会で竿代照夫先生が、この箇所からメッセージをしてくださいました。

御霊に満たされなさい」というのは受け身の命令形であまり使われることはありません。「御霊を満たしなさい」という命令形ならば、自分の努力で満たさなければなりません。

たとえ話として、「穴の開いたバケツに水を満たしなさいと言われたらどうしますか?」と問われました。バケツに水を注ぎ続けても、穴からどんどん水が漏れてしまうのです。では、このバケツに水を満たすにはどうしたらいいでしょうか?竿代先生は、「それは実に簡単なことだ」と言われました。「バケツごと水につけてしまえばよい」というのです。

私たちは、だれでも何かしらのかけ、欠点のある穴の開いたバケツのようなものです。ですから私たちは「御霊に満たしてください」と神様の前にへりくだって祈り求めるのです。

御霊を宿すことと御霊に満たされることには違いがあります。信仰告白は御霊を宿したことの現れです。私たちの心を家に例えると、御霊をお客様として迎えるので、きれいに片付いた応接間にお通しするのであって、台所や個人の部屋には案内しません。

御霊はお客様ですから、私たちが秘密にしたい部屋、自分が思い通りにしたいと思う部屋には、お通ししませんし、だれでも、ここにはお通しできない、お通ししたくないという自我の部屋があります。もし、すべてをお見せしたら、私たちの全てを、牛耳られて、支配されてしまうのではないかと恐れを感じてしまうからです。

しかし、御霊は、私たちの人格、自由意思を十分に尊重し、それを生かす形で支配してくださいます。御霊は、私たちの、願いと喜びと個性と趣味を生かして働いてくださいます。

御霊により頼む習慣を身に着けることが大切であるとして、4つのことが挙げられました。

①御霊を認識すること

何事も、御霊に語りかける、話しかける、問いかけることです。竿代先生は、他愛のない会話やうれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと、悩み事など、なんでも自分の思いや感想を朝の散歩のときに話しかける習慣を身に着け、御霊に助けを求めるようにしたそうです。

②どんな時も信頼し助けを呼び続けること

委ねきることが大切で、褒められても、くさされても主をほめたたえるのですが、特に誤解・中傷を受けた時には、夜も寝れなくなるものです。

竿代先生の奥様にお聞きすればわかるそうですが、先生は、そのようなことは一度もなかったそうです。どうされたかというと、落ち込まずに主にゆだねるのだそうです。「このような欠点だらけの私ですからこそ、あなたに頼ることしかできないのです。だからあなたにより頼むしかありませんので、いやなことは日記に全部書き出しましたから、あとは御霊がケアしてください。宜しくお願いします」と祈って眠ってしまうとのことでした。

先生は、それを開き直りの信仰と名づけられましたが、聖書にはそのような信仰があるとは、一言も書かれていません。

③御霊に相談する

まず、自分の考えを御霊に伝え、相談し判断を仰ぐということです。

具体的には、例を上げられませんでしたが、相談したことによって、ヒントや今までの出来事を思い出させてくれたりします。

今直面している出来事に関連した聖句を思い出したり、今まで経験した類似の出来事がどのように解決できたかを思い起こさせてくれたり、誰かとの何気ない会話での言葉が解決のヒントになったりすることを体験するようになります。それが御霊に相談した効果で、結局それが最善の結果になったとわかるようになるのです。

④御霊の声を聴きすぐに従う

私たち日常生活の中で、これは御霊からの声かけだと感じたら、御霊が語られたことにすぐに従いましょう。悪いと思ったことは素直に謝り、見たいと思っているテレビ番組が不適切だと思ったら、もう少し見たくてもすぐにスイッチを切ることだそうです。それによって、自分のしたいことより、聖霊の思いを優先し、これはふさわしくないと感じたらすぐにやめるという、柔らかい心で、素早くすぐに従う習慣が身につきます。

主に向かって歌いなさい

さて、私たちの教会では、それぞれが今年のMY御言葉を決めて、個人的に主に向かうとともに、週報を通じて他の人々に発表することで恵みを分かち合っています。私たちが、教会の年間聖句を共有し、テーマ賛美を共にささげることはとても大切な行動です。与えられている恵みが当然ではなく、父なる神の愛と摂理の恵みによって与えられていることに気づかされたので感謝しつつ歩みをすすめているのです。

たとえ今、苦しみの中にあるとしても、その出来事には神様の愛とご計画があると神様に信頼し委ねていくことができるのです。 そして御霊の満たしの現われとして、パウロは次のことも勧めています。

19節「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」

私たちは賛美によって、心が満たされます。私たちは、どのような時でも、賛美することができます。私たちは御霊に満たされて、心から賛美を歌うのです。私は、今年自分が賛美していこうと思う曲が2曲あります。

1曲目は、「♪主に歌おう」という曲で、その2番は19節を題材にしています。歌詞をお読みします。

1.主の翼は暖かい羽根、そっと優しく包んで下さる
  どこにいても主は私を助けて、知恵と力と、勇気を与えてくれる
  だから歌おう、心の底から、主に歌おう、声高らかに

2.詩と賛美と、霊の歌で、主に歌おう、声高らかに
  心の中に住んでる救い主は、いつでも私を愛していてくれる
  だから歌おう、心の底から、主に歌おう、声高らかに

♪主に歌おう

 私たちには、どんなときにも助け主である御霊がおられて知恵と力を与えていただけることと、いつでも愛されつづけていることを感謝いたします。

もう1曲は、「♪注がれた愛」です。

1.愛する友のために 命を捨てる
  これほど大きな愛があるだろうか
  逃れる道もなく 何かを求めて
  私がまだ罪の中にいた時
 ※キリストが私のために命を投げ出して
  その愛を 永遠の愛を心に注がれた

♪注がれた愛

 キリストは、私を友として受けいれてくださいました。その言葉を信じ受け入れさせてくださったのは、間違いなく御霊の働きでした。

神がおられること、私が愛されている事を実感できたからです。だから私が、すぐに御霊に満たされ続けてきたかというと、そうでもなくて、確かに賛美グループを結成して、自分の教会や他教会の賛美奉仕に出かけましたが、大学を卒業し、社会人になるとグループで賛美することもめっきり減りました。

御霊に満たされ続けることができていたとはいいがたい状況でしたが、それでも何とか祈ることと教会に集うことは続けてこられました。

御霊がイエス・キリストの愛を注ぎ続けて下さったからだと思います。

いつも感謝しなさい

20節では、「そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し(なさい)」と言われています。いつでも、すべてのことについてと言われていますが、とても感謝できない状況が起きるのも人生です。私には、とても感謝などできないと思っているとしても、「あなたのお言葉ですから、感謝できるようにお助け下さい」と、主イエス・キリストの名によって祈ってみましょう。何かが変わります。

私自身、7年前に中国に単身赴任するとき、不安でいっぱいでした。教会の皆さんが私に手を置いて祈ってくださり、私も「神様、私を祝福してください」と祈りました。御霊は、中国の教会で英語を通して聖書を学び、英語で賛美し、クリスマスにはバイブルクラスの人たちと教会のステージで賛美をささげることができるようにしてくださいました。日曜の礼拝と水曜の祈祷会には、オンラインで毎週参加できたのです。

今日このように皆様に御言葉を通してお勧めできているので、本当に心から感謝しなければなりません。

「♪注がれた愛」の2番にこんな歌詞があったか覚えていませんが、ネットに載っていました。

2.愛することに疲れ 苦しくなって
  あなたの目の涙が あふれ止まらない
  そんな渇いたあなたの心にさえも
  キリストの愛が注がれていく
 ※キリストがあなたのために 命を投げ出して
  その愛を 永遠の愛を心に注がれた

♪注がれた愛

このように、人生でのアップダウンがあっても、信じる者にイエス様は愛を注ぎ続けて下さっているのです。安心してください、御霊は、私たちの、願いと喜びと個性と趣味を生かして働いてくださいます。御霊に満たされることはすべてのクリスチャンに勧められています。御霊を認識し、信頼し、助けを求め、相談し、すぐに従えるようにしましょう。

御霊により頼む習慣を身に着けることを大切にし、受難週を過ごしてまいりましょう。

「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、…」

皆さんと共に、御霊に満たされた生活を送り続けたいと願いつつ、お祈りいたします。