出エジプト記2:1-10「赤ちゃんモーセ川を行く」

2025年5月11日(日)母の日礼拝(献児式)メッセージ

聖書 出エジプト記2:1-10
説教 「赤ちゃんモーセ川を行く」
メッセージ 堀部 里子 牧師

エジプトの葦原 Photo by Rémih, from Wikipedia, CC BY-SA 3.0

パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。10その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。

出エジプト記2:9-10

見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、
胎の実は報いの賜物である。

詩篇127:3

おはようございます。今日はメッセージの後に献児式を持ちます。また今日は「母の日」で、モーセの母・ヨケベデの姿から共にメッセージを受け取りたいと思います。

モーセが生まれた時代背景

「女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。3しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。」(出エジプト記2:2-3)

モーセは、後にエジプトで奴隷であったイスラエルの民を脱出させたリーダーで、両親の名前はアムラムとヨケベデです(民数記26:59)。エジプト王のファラオは、自国でイスラエル人が増え拡がっていくいく現状を見て、恐怖心を抱き世にも助産婦たちに言いました。

「ヘブルの女のために助産をするとき、産み台の上を見て、もし男の子ならばそれを殺し、女の子ならば生かしておきなさい」。しかし助産婦たちは神をおそれ、エジプトの王が彼らに命じたようにはせず、男の子を生かしておいた。(出エジプト記1:16-17)王ファラオは、更に恐ろしい命令を出します。

「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。(出エジプト記1:22)

何という命令でしょうか。当時の親は女の子が生まれると安堵し、男の子が生まれると悲しみでいっぱいになったと思います。そんな暗い時代に、モーセは誕生しました。

母ヨケベデが子どもに注いだもの

①愛情

モーセの両親は、赤ちゃんが生まれて男の子だと分かっても、ナイル川に投げ込まず三か月の間、家で隠して育てました。いつか別れくると思うと、どんなにか辛い三か月だったと思います。いよいよ泣き声も大きくなり、隠しきれなくなりました。しかし、殺すためにナイル川に投げ込みませんでした。出来なかったと思います。王の命令に従うより、子どもを愛する故の行動を取りました。命をかけて子どもの命を守る愛です。「愛さない者は、神を知らない。神は愛である」(Ⅰヨハネ4:18)と、聖書にある通りです。人を育てるのは愛ではないでしょうか。人は自分が受けた愛を注いでいきます。

②祈り

ヨケベデは王様の命令に背くことによって、自分の命も危ないと分かっていたと思います。子どもを守る武器もありません。あったとしても太刀打ちできないでしょう。ヨケベデは母としてできることは何でもしたと思います。その一つが祈りではないでしょうか。子どもの将来のために無事を願う親が大半です。ヨケベデは、涙を流して祈りながら赤ちゃんを入れる籠を作ったと思います。籠はパピルスで編み、底には水が入らないようにアスファルトと樹脂を塗りました。一日での長く生き延びることができるように、苦しんで死ぬことがないようにと。

私の母の祈り

私は自分が生まれた時のことを、何度も母に聞かされて育ちました。母が一人の時に破水が来て、母は這うようにしてアパートの階段を降り、道まで出て、タクシーで病院に向かったそうです。タクシーの中で「神様、お腹の子どもを助けてください。あなたに捧げます」と必死で祈ったそうです。病院に到着して生まれた時、私はへその緒が首に何重にも巻き付いて、真っ青な顔で鳴き声も上げなかったそうです。また逆子で早産でした。お医者さんからは、「あと何分か遅かったら脳に障害が残っていたでしょう」と言われたそうです。あの時の母の祈りは、神に聞き届けられました。母の祈りは偉大です。私は祈られて今があります。

③希望

祈りは希望を生み出します。そして、絶望と暗闇の中に一筋の光が差し込む瞬間を捉えます。母ヨケベデは、モーセの命を諦めませんでした。モーセの上には兄アロンと姉ミリアムがいましたが、防水の籠を作っている時点で、モーセに何があっても強く生きて欲しいと希望を持っていることが分かります。お母さんの祈る姿を見ていたミリアムは、自分の意思でか、母親に頼まれたか分かりませんが、ナイル川にそっと置かれた籠の揺りかごを見守っていました。

「その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。」(出エジプト記2:4)

「こうのとりのゆりかご」

赤ちゃんの生きる道を模索し、希望を託すという意味で「赤ちゃんポスト」があります。母親が育てることができない赤ちゃんを匿名で預けることができるところが「赤ちゃんポスト」です。その設置・運用には賛否両論ありますが、「赤ちゃんの命が助かる」という点で私は注目をしています。母親にとって、望まない妊娠をしてしまった、育てられない、産みたい、産みたくない、迷っている内に中絶もできなくなってしまった、死を選ぶのでなく、母子共に生きる道の選択肢とサポートがあることは良いことだと思っています。

「赤ちゃんポスト」のドアを開けると手紙がおいてあり、手紙にはこう書かれています。「預けてくれて、本当にありがとう。この子の幸せのために、特別養子縁組という制度があります。そのためには、親の承諾が必要なので、連絡してくださいね」その後、赤ちゃんは養子縁組をされていきます。

熊本市の慈恵病院で日本で最初の「赤ちゃんポスト」の立ち上げから携わった田尻由貴子さんの言葉を紹介します。田尻さんは2015年まで慈恵病院で看護部長を務められ、現在も相談業務や女性のためのシェアハウス運営など、女性たちに寄り添う活動を行っておられます。

預けに来るのは、未婚・若年妊娠、貧困、暴力や強姦、不倫などの方です。どんな理由であれ、命が繋がることが第一なので、お母さんのことは責めません。責めても、何も解決しないわけですから」[①]

「赤ちゃんポスト」は、母親が自分で育てられない赤ちゃんのために、生きる希望を委ねるところです。モーセの母・ヨケベデはパピルスの籠に、愛と祈りと希望を注いで送り出しました。

ヨケベデの「愛と祈りと希望」を貫くものがあります。それが「信仰」です。彼女の信仰による愛と祈りと希望は、一つの答えに導かれました。

ファラオの娘との出会い

ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、6あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。(出エジプト記2:5-6)

生まれた男の子は、ナイル川に捨てて殺すように命じたファラオ王の娘が、赤ちゃんモーセの入った籠を見つけたのです。籠を見守っていた姉のミリアムが機転を利かせて、王女に歩み寄り「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」(2:7)と言いました。

「パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。9パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。」(2:8-9)これが神様からの答えでした。

多くのヘブル人の男の赤ちゃんが亡くなった中で、モーセは生き延びました。王女は父である王ファラオの命令を知っていたにも関わらず、赤ちゃんを見て「かわいそうに」思い、育てる決心をしました。そこにも主の憐れみが注がれていました。死の命令が出された王宮で、モーセは王女の息子として育ちました。乳母であり、母であるヨケベデはやがてエジプトの王宮に入るモーセに対して、ヘブル人としての自覚、信仰をしっかりと植えつけたことでしょう。

子を神に委ねる

私たちは皆、お母さんから生まれました。生まれた子どもは成長し、いつか親元を離れる時がきます。「川に子を流すこと」は、「神に委ねること」です。例え自分の子どもがいなくても、皆誰かの「霊の母」となることができます。教会で、お互いのことを「〇〇兄弟、〇〇姉妹」と呼ぶのは、生物学的な血の繋がりはなくても、イエス様の血によって罪赦され、救われた者は「神の家族」になるからです。私たちは自分にとっての霊的な「赤ちゃんモーセ」を愛を注いで育て、時が来たら送り出して行きたいと思います。

ここで川を行く赤ちゃんモーセに因んだ賛美を一曲お聞きください。

♪ヨケベデの歌~モーセの母の歌~

小さな籠 水が漏れないように 樹脂とアスファルト塗る
どんな気持ちか 彼女の目に 涙が流れる
まん丸い目で母を見つめる 子どもに口づけし
籠を覆い 川に浮かべ 切に祈ったでしょう
あてもなく川にゆらゆら 流れ下って行く籠見て
目を閉じても 見える子と目を合わせ
しゃがんで泣いたことでしょう
あなたの人生 すべて委ねる 真の親 神様の手に
あなたの人生 すべてささげる 導かれる 神様の手に
主が救われる 主が導かれる
主が用いられる あなたを進ませる
あなたの人生すべて委ねる 真の親 神様の手に
あなたの人生 すべてささげる 導かれる神様の手に 

Words&Music : Pyungahn Yum
Japanese Translations : Eri Hikichi

モーセは暗い時代に生まれ、籠に寝かされ川に流されましたが、信仰の母・ヨケベデの愛と祈りと希望が注がれて、川から引き上げられました。そして後に、奴隷として働いていたイスラエルの民をエジプトから脱出させるリーダーとして用いられました。モーセの人生は神の手に委ねられ、導かれて行きました。私たちの人生も、神の御手という揺りかごの中に入れられて、人生という川を導かれています。神様は私たちを見出し、罪の中から引き上げ、神の子としての身分を与えてくださる方です。感謝をもって進んで参りましょう。

3それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。4しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。5それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。」(ガラテヤ4:3-5)


[①] https://president.jp/articles/-/95186