創世記24:34-49「祝福を受け継ぐために」
2025年7月20日(日) 礼拝メッセージ
聖書 創世記24:34-38,42-49
説教 「祝福を受け継ぐために」~イサクの結婚相手を探す旅~
メッセージ 堀部 里子 牧師

ところで主人はわたしに誓わせて言いました、『わたしの住んでいる地のカナンびとの娘を、わたしの子の妻にめとってはならない。おまえはわたしの父の家、親族の所へ行って、わたしの子に妻をめとらなければならない』。
そしてわたしは頭をさげて主を拝し、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は主人の兄弟の娘を子にめとらせようと、わたしを正しい道に導かれたからです。あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽そうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう。
創世記24:37-38,48-49
悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
Ⅰペテロ3:9
おはようございます。創世記からアブラハムの生涯を辿っていますが今日は、イサクの結婚相手を探す記事から「祝福を受け継ぐ秘訣」について話したいと思います。
【ペイ・フォワードの心】
何年も前のことですが、高齢者施設の東中野キングスガーデンで二ヶ月に一度、礼拝メッセージに行っていた時期がありました。礼拝が終わると、一階のカフェでコーヒーを飲みながら、利用者の方々とお話をしたり、お祈りをする交わりの時間でした。その時に担当者の方から毎回いただく言葉がありました。「牧師先生は、ペイ・フォワードですよ」と。「ペイ・フォワード」とは、誰かから親切や祝福を受けたとき、その人にお返しをするのでなく、別の誰かへ親切や祝福を渡して喜びの輪を広げていくという考え方です。どなたかが牧師のためにコーヒーの金額を事前に支払い終えてくださり、私はその恩恵に与っていたのです。2000年に公開された「ペイ・フォワード可能の王国」という映画を以前、観たことがありますが、その映画で私は「ペイ・フォワード」を知りました。因みに、日本語では「恩送り」と言うそうです。
「ペイ・フォワード」の心は、今日の主題である「祝福を受け継ぐ」ということにも通じるものがあると思います。自分が与えられた良いものを、誰かへと渡していくことは、祝福の糸を紡いで、最後には素適な模様の布が完成していくイメージがします。親が子どもに良いものを渡して、受け継いでいくことも同じではないでしょうか。アブラハムはイサクに受け継ぐべき祝福のために、先ず神の目に適った結婚相手を選ぶことを考えました。

【しもべエリエゼルの姿から学ぶ】
「アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。」(創世記24:1)
先に妻サラが127歳で死を迎えました。アブラハムは彼女のためにマクペラの洞穴を買い、サラを葬りました。次に、「わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。」(創世記13:16)の神様の約束の実現のためにはイサクの結婚が必要でした。
最年長のしもべエリエゼルが選ばれる
アブラハムは全財産を管理している最年長のしもべに「あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」(創世記24:4)と言いました。「行って妻を迎える」ということ以外に、詳しい方法などが示されているわけではありません。現代のように電話もメールもなく、アブラハムが事前に親族に連絡を入れるということは不可能です。実際にアブラハムの故郷であるアラム・ナハライムのナホルの町で、親族に会えるか分かりません。会えたとしてもお互いに親族であることを証明するにはどうしたらよいのでしょうか。しもべもこの命令を聞いて戸惑ったと思います。しかし、彼は出発しました。しもべが取った策は何だったでしょうか。
①しもべが最初に取った策は祈りでした。
「わたしはきょう、泉のところにきて言いました、『主人アブラハムの神、主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください。わたしはこの泉のそばに立っていますが、水をくみに出てくる娘に向かって、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と言い、「お飲みください。あなたのらくだのためにも、くみましょう」とわたしに言うなら、その娘こそ、主がわたしの主人の子のために定められた女ということにしてください』。」(創世記24:42-44)
この祈りの直後、しもべはアブラハムのお兄さんの娘・リベカに出会うことになります。アブラハムのしもべは、ラクダでの長旅の疲れもあったと思いますが、若い女性たちが井戸に水を汲みにくることを考えて、井戸のそばで先ず祈りました。
彼の祈りの中で、「井戸」を「泉のそば」と言い換えています。井戸は水がなくなれば枯れますが、泉は水源が枯れない限り、水が湧き出てきます。しもべにとっては、井戸のそばで祈ることは、神様の無尽蔵の恵みの泉から祝福を求め、神の奇跡を期待する場所でした。
無謀な懸けのように見えますが、しもべは長年アブラハムに仕えて来て、アブラハムがどのように神に祈り、信頼して祝福されてきたかを見てきたはずです。そしていつしか、アブラハムに与えらえた神の約束は必ず実現されると彼も信じるに至ったのかもしれません。
「主人アブラハムの神、主よ」としもべの祈りの言葉に主人と神への信頼が読み取れます。このしもべの凄いと思うところは、積極的且つ大胆で、具体的な祈りをするところです。祈って聞かれなかったらという迷いがありません。しもべが井戸のそばで祈ったとき、リベカが現れ、彼女はしもべとラクダたちに水を与えるという、当時としては並外れた親切な行動を取りました。全てのラクダに水をあげ終わるまで、時間と労力がかかりましたが、彼女は無償の親切を行動で現わしたのです。この親切が彼女自身の今後の人生を大きく変えて、イスラエルの歴史を形作る要素となると言えます。
私たちがこのしもべの立場ならどうするでしょうか。使徒パウロも祈りを勧めています。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」(ピリピ4:6)私たちは良い時も悪い時も、あらゆる場合に先ず単純に祈りを捧げ、主を礼拝したいと思います。そして神様の導きをいただきたいと思います。
②しもべは「祝福」を知っていた。
「そこで彼は言った、『わたしはアブラハムのしもべです。主はわたしの主人を大いに祝福して、大いなる者とされました。…』」(創世記24:34-35)
アブラハムのしもべは、神がアブラハムに祝福を与えられたことを身近で見て知っていました。人間の努力や運でなく、神こそが祝福の源なのだと知るに至ったのだと思います。知っているのは知らないとでは、確信している範囲が違ってきます。そしてその神は異邦人であるしもべの私もここまで導いてくださっているのだと告白しています。「主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」(創世記24:27)
この「主はほむべきかな」との言葉は、24:1と同じ「祝福する」という言葉が使われています。祝福を与える神御自身を崇め、栄光を神様に帰している姿は信仰者の姿です。神の約束を受け取り、信頼し従う者に、神は祝福を与える方であることを正しく知ることは、私たちと神様との関係において大事なことです。アブラハムが神の約束を信じて歩む姿は、しもべにも影響を与えていました。そして神の祝福を知ったしもべの道中を、神様はピンポイントで導いてくださったのです。
ピンポイントで出会う
ずっと以前に沖縄帰省した時の話です。沖縄での滞在時間が限られている中で、入院している伯父に会いに行こうと思い立ちました。スマホも地図を持っていなかったので、病院の名前と大体の場所を聞いただけでしたが、祈ると不思議と全てはスムーズに行くと確信しました。慣れない道を運転していると、山の斜面に病院の名前の看板を見つけたのです!思わず「神様、ありがとうございます!」と叫びました。神様がナビゲーターになってくれて、ピンポイントで伯父に会えたことは、小さき私の祈りにも応えてくださる大きな神様の祝福を経験した出来事でした。アブラハムのしもべも、祈って「必ず会える」と確信が与えられたのだと思います。今後も祈りの祝福を共に受け取って参りたいと思います。

③決断を迫るしもべ
「わたしは彼女に尋ねて、『あなたはだれの娘ですか』と言いますと、『ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答えました。そこでわたしは彼女の鼻に鼻輪をつけ、手に腕輪をつけました。そしてわたしは頭をさげて主を拝し、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は主人の兄弟の娘を子にめとらせようと、わたしを正しい道に導かれたからです。あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽そうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう」。(創世記24:47-49)
しもべは、神様がイサクのお嫁さんと出会わせてくださったと確信していますが、すぐにリベカを連れて帰るのでなく、家族に「恵みとまことを施してくれるか」と尋ねています。これは「アブラハムに神が祝福を与えたように、あなたも施してくれますか」と、しもべは兄のラバンが、神の恵みとまことに適う選択をすることを期待しています。彼らはこのことが、主から出たことであると認め、リベカに意向を聞いてリベカは「はい、行きます」と応答しました。
神の祝福を知っている者は、時として決断を迫られ、また相手にも信仰の決断を迫ります。私たちの二階の台所の壁には、ヨシュア記24:15の言葉が掲げられています。「…あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
主を信頼して決断していくことを大切にしていきたいと思います。
【信仰と祝福のペイ・フォワード】
アブラハムのしもべエリエゼルは、忠実なしもべとして極めて重要な役割をはたしました。正に「神の約束の祝福を次世代へとつなげるための鍵」となった人物です。彼自身が契約に直接含まれているわけではありませんが、祝福の継続のために重要な実務を、サポーターとして忠実に担いました。
しもべエリエゼルは、旅先で神様に明確なしるしを求めて祈ります。自分の知恵だけで選ぼうとせず、アブラハムの信じる神に全面的に信頼しました。彼の祈りと信仰は、神の祝福の道を開きました。リベカの家族に会ったとき、神様がどのように自分をここまで導いてくれたかをはっきりと証しし、神様が生きて働かれていることを話しました。彼の語りが、リベカの家族が神の導きを求める助けとなり、リベカがイサクの妻となる道を整えました。
エリエゼルの行動は、「受けた祝福を他者に伝える」という役割を担いました。彼はアブラハムから信仰の姿勢を学び、それを祈りと忠実な行動によって次の世代の「イサクとリベカ」に橋渡ししたのです。「祝福と信仰をペイ・フォワード」した生き方ではないでしょうか。
キリストの系図へと続く
創世記24章は、メシア誕生に続く大切な「信仰の系統」が記されている箇所です。アブラハム、イサク、・・・ダビデ⇒イエス・キリストと系図が続きますが、イサクとリベカの結婚は、メシア誕生の道筋を整える鍵となりました。リベカは遠く離れた地から、自発的に故郷を旅立ちます。これは信仰によってキリストのもとへと進み、主とそして教会と結ばれる私たちの姿をも現しているのではないでしょうか。神様は忠実なしもべや祈りを通して歴史を導き、その中心にイエス・キリストを据えられました。
友人のペイ・フォワードを受けて
先日、友人と食事をしたときに、お互いの近況を報告し合いました。その友人は友だちが多いので「誰とでも友だちになる秘訣は何か」聞きました。「自分にとっては相手の話をよく聞くこと」だと答えてくれましたが、夜にメールが来て、Ⅰコリント9:22-23が自分の秘訣だとのこと。
「弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。」
この友人は様々な年代の人たちと打ち解ける賜物があり、適切なタイミングで自分の救われた喜びをいつも話し、教会に誘うことが上手です。一方でおっちょこちょいな私は、食事をした場所に忘れ物をしてしまったことを、メールで書いたら、翌日に郵送で忘れ物が届きびっくりしました。友人は「自分が今まで受けた祝福を他の誰かに流しているのだけで、私に返すのでなく、他の誰かを祝福してあげて」といつも言います。自分が受けた祝福を次の誰かに渡そうとしている姿勢に励まされました。共に祝福を受け継ぐ者でありたいと願います。私たちはそのために召されたのですから。
皆さんの新しい一週間の上に豊かに神の祝福がありますように。
「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」(Ⅰペテロ3:9)