出エジプト12:1-14「過越しから主の晩餐へ」
2025年9月28日(日) 礼拝メッセージ
聖書 出エジプト12:1-14
説教 「過越しから主の晩餐へ」
メッセージ 堀部 里子 牧師

12その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。13その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。14この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。
出エジプト記12:12-14
19またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。20食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。」
ルカ22:19-20
おはようございます。先週は沖縄へ帰省して家族と良い時間を過ごすことができました。限られた時間で、会えなかった人たちもいますが、会うべき方々と会えたことを感謝しています。お祈りをありがとうございました。
聖書の背景
出エジプト記からメッセージをしていますが、先週は3章から「『わたしはある』という者である」と神がモーセに直接ご自分の権威、臨在を現され、共にいて救い出す保証を示してくださいました。
モーセの召命
今日開かれた12章までの間には、モーセと神のやり取り、そしてモーセとファラオ王のやり取りが細かく記されています。神はエジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの民の叫びを聞き、彼らを苦しみから解放し、乳と蜜の流れる地へ導き上る、とおっしゃいました。そしてファラオ王のところに行きイスラエルの民を去らせよと言いなさいと。
しかし、モーセは自分には出来ないと尻込みをします。神はモーセに「神である主が、あなたに現れたのを、彼らに信じさせるため」に幾つかの奇跡を見せます。それでもモーセは「わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです。…ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」(4:10、13)と主の命令を拒否しました。すると神はモーセの兄、アロンをモーセに代わって民に語る口として示されました。そしてモーセとアロンはファラオ王にイスラエルの民をエジプトから去らせるようにお願いにいきますが、一筋縄ではいきません。430年の間、エジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの民をファラオが即座にOKするはずがありません。エジプトで生まれ育った世代は、故郷を知らず、奴隷としての生活しか知りません。王様も民を去らせまいと頑張りますが、民もびっくりしたはずです。それでもモーセたちは粘り強く交渉をします。
十の災い
それでも王はイスラエルの民を解放しないため、結果として7章~11章を見ると「十の災い」が降っています。
①血の災い(ナイル川の水が血に変わる)、②蛙の災い(大量発生)、③ブヨの災い(塵がブヨに変わる)、④アブの災い(アブの大群が襲う)、⑤疫病の災い(家畜の疫病)、⑥腫物の災い(膿の出る腫物の災い、人と家畜に付く)、⑦雹の災い(雹と火の混じった嵐)、⑧イナゴの大群、⑨暗闇の災い、⑩最後の災い(初子の死)
普通はこんなに立て続けに災いが起こると、イスラエルの民は確かに生きておられ、人が太刀打ちできない、彼らの言う通りにしようとなるのではと思います。
ファラオの心を頑なにされる神
「けれども、主がパロの心をかたくなにされたので、パロは彼らを去らせようとしなかった。」(10:27)
神はモーセをイスラエルの民の解放のためにファラオと交渉させているのに、一方で神様がファラオの心を頑なにされていました。なぜでしょうか。
「わたしは彼の心とその家来たちの心をかたくなにした。これは、わたしがこれらのしるしを、彼らの中に行うためである。」(出エジプト記10:1)
「神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。」(ローマ9:18)
神がファラオの心を硬くなにされているなら、神の御心の中で起こっていることであると受け止めたいと思います。そして神がしるしをされるためであると。ファラオの心が頑なにされている理由が神学的にもいろいろ説明されていますが、その中でも私は神御自身が「神の救いの歴史」の舞台を整えているのだと思います。
私たちも様々な人間関係の中で、「あぁ、この人の心は頑なだなぁ」と感じることがあると思います。神がその人の頑なにされているとしたら、私たちは「神の救いの時」を忍耐して待つことになります。人間であるファラオ王よりも、神が主権を持っておられ、神の力と栄光が徐々に明らかにされていく過程を目の当たりにします。しかし相手の心のことより、私自身の心はどうでしょうか。。。
【十番目の災いが実行される】
さて、ユダヤ人の年の第1月は、アビブの月と呼ばれ、バビロン捕囚後はニサンの月と呼ばれ、現代の太陽暦の3-4月頃にあたります。エジプトを脱出して自由を得た月を記念して新しい年を数える始まりの月となりました(1-2)。
神様は十番目の災いである「初子の死」の災いが実行されることを告げられます。
「4…『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中へ出て行くであろう。5エジプトの国のうちのういごは、位に座するパロのういごをはじめ、ひきうすの後にいる、はしためのういごに至るまで、みな死に、また家畜のういごもみな死ぬであろう。6そしてエジプト全国に大いなる叫びが起るであろう。このようなことはかつてなく、また、ふたたびないであろう』と。7しかし、すべて、イスラエルの人々にむかっては、人にむかっても、獣にむかっても、犬さえその舌を鳴らさないであろう。これによって主がエジプトびととイスラエルびととの間の区別をされるのを、あなたがたは知るであろう。」(11:4-7)
区別される神
神は、エジプトとイスラエルを区別され、イスラエルの民の初子が死なないように、何をすべきか方法を教えられました。
「3あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。…6そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、7その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。8そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。…11…腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。」(出エジプト記12:3、6-8、11)
【過ぎ越しのいけにえ】
先ず、過越しのいけにえは、家族単位で守るようにと定められました。文化や言葉、風習などは次世代へ受け継いでいかなければ、確実に廃れていきますが、過越しの祭りは、現在もイスラエルの各家庭で守られているそうです。
イスラエルに留学した先輩が、イスラエル人の家庭に招かれて一緒に過越しの食事をした写真を見ましたが、聖書の通りに今も家族で祝っている様子に感動を覚えました。
過ぎ越しのいけにえの特徴
過越しのいけにえの特徴があります。①羊は家族の人数に合わせて、残さずに全部食べられる量の羊を用意すること(10)。②羊を選ぶ十日目から、ほふられる十四日目まで、心からお世話をすること(6)。③羊は傷のない一歳の雄でなければならない(5)。
傷のない羊の血の意味
「傷のない羊」はいけにえを捧げる人のきよさを象徴して、イスラエルの初子の身代わりとされます。いけにえの血は、その肉を食べる家の二本の門柱と鴨居に塗らなければなりません。家の戸口は、家で最も神聖な場所とされていたので大切にしなければならない所でした。羊の血をそこに塗ることは、イスラエルの民の家を祭壇とみなして、きよめる行為です。
血は他の部分に塗ったりしてはならず、指示通りに血を用いなければなりませんでした。それは、神様が塗られた血をご覧になったとき、彼らの罪を過ぎ越してくださるという約束に対するイスラエルの民の信頼の表明でした。門柱と鴨居に子羊の血を塗る儀式は、いけにえの血をもって罪がきよめられ、神に聖別されたということを意味します。エジプトを脱出するにあたり、新しい出発のために、神様ご自身がイスラエルの民の罪をきよめられるのです。

牧師の祝福の祈り
「新しい出発」といえば、母が私の高校交換留学前に「牧師先生に祈ってもらいましょう」と決断しました。その時に祈って頂いた牧師が103歳になっておられ、先週、沖縄訪問時に施設に面会に行きました。私を覚えていてくださり嬉しかったです。高校生の時は祈っていただいたのですが、訪問時は私が祈る番になっていました。
当時、私は教会から離れていましたが「留学」という新しい出発に際して、祝福を祈って頂いたことを心から感謝しています。牧師の祈りを何度も思い出しました。留学は実際に守られ祝福され、また敬虔なクリスチャンであるホストファミリーとの出会いを通して、私の信仰が新たにされました。留学前までは様々な教会を転々としていたのですが、留学後に沖縄に戻ってからは祈っていただいた牧師の教会の礼拝に出席するようになりました。
また先週、私が小学生の時に通い、信仰を持つようになった「ビュウラ学童クラブ」を訪問しました。そこでは、今月誕生日を迎える子ども二人のために「彼らが後にこの特別な時を思い出すように、牧師に神の祝福を祈って欲しい」とお願いされました。かつて祈っていただいた者が、牧師になり祈る側となったのです。牧師の職務の責任の重さと祝福を覚えたことです。新しい出発に際して、また人生の区切りにおいて祈られることは魂の記憶に刻まれるのだと思います。
過ぎ越しの食事
羊の血を塗ったあとは、その夜に肉を焼いて食べるようにと指示されています(8)。丸ごと頭も足も内臓も切り分けたりせず、そのまま焼いて食べないといけません。この方法は、子羊の贖いの性格を表しており、そのままイエス様にも成就しました。
「その骨はくだかれないであろう」(ヨハネ19:36)
「その骨を折ってはならない。」(出エジプト記12:46)
イエス様は十字架で全ての人の罪のために、いけにえの子羊として死にました。いけにえの子羊と一緒に食べる種なしパンと苦菜は、後にイスラエルの民が、束縛の苦難と神の御業によってエジプトから急いで出て来たことを思い出させるものとなりました。
「あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。」(出エジプト記12:11)
食べるときの定めに記されています。帯を固く締めるのはリラックスした状態でなく、すぐに旅に出るための服装で、楽な姿勢で座るのでなく、履き物を履いたまま手に杖を持って緊張を緩めずに急いで食べなければいけませんでした。この食べ方は、通常の夕食でなく、特別な「主への過越しのいけにえの食事」だからです。
その日、神様はエジプト中を行き巡り、王様の長男も家畜の初子も全て殺されました。そのことによって、エジプトの神々を打たれたのです。ファラオ王よりも力ある方の前では、王宮に住む人も、貧しい掘っ立て小屋に住む人も、どんな身分の人も学歴も関係ありませんでした。いきなりこの災いをされたのでく、神はここに至るまで、幾度となく悔い改めのチャンスを与えてくださっていました。それでも抵抗し続けるファラオ王とエジプトの民に向かって手を伸ばされたのです。多くの血と涙が流されました。
流された血潮によって
血の中に命があります(レビ記17:11)。血が塗られることは「神の守り」のしるしでした。神様が人の罪の代わりに流され、塗られた「子羊の血」を見て、血の門の前を通り過ぎて行かれました。死の懲らしめから彼らを守られたのです。救いのために流された血は、神様を満足させました。私たちが平和を得ることができるのは、十字架で流されたキリストの血が父なる神を満足させたからです。神の満足は、人間の満足とは違い、神がご自分でされた罪に対する死の要求が満たされたという意味です。イエス様は十字架に架かり、血を流され、父なる神様は涙を流されました。イエス様が流された血は、命そのものでした。その血潮は大きなうねりとなり全ての人の罪を洗い流しました。「死は勝利に呑み込まれた」(Ⅰコリント15:54)が実現したのです。
今回、沖縄の親族が集まり交わり会をしましたが、最後に叔父が「父の涙」という岩渕まことさんの賛美をしました。折り返しの部分の歌詞は「十字架から溢れ流れる泉、それは父の涙、十字架から溢れ流れる泉、それはイエスの愛」とあります。正に十字架から溢れ流れるものはイエス様の血による「愛」だったのです。
【主の最期の晩餐】
旧約の救いの歴史と、新約のキリストの救いを結びつけるもの、それは「子羊の贖いの血」です。イスラエルの民が神の裁きを避けられたのは、子羊の血による身代わりの故でした。だから過ぎ越しを記念して食事をすることは、贖われた者の新しい出発の始まりを覚えることでした。イスラエルの民は毎年、過越しの食事をして祝っていましたが、後に十字架に架かるイエス様と弟子たちの最後の晩餐が、単なる過越しの食事でなく「新しい過越しの食事」になりました。イエス様は自ら屠られ、いけにえとなられたからです。
「この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。」(出エジプト記12:14)
「「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。(ルカ22:19)
父なる神様もイエス様も食事を通して「記念しなさい、覚えなさい」とおっしゃいました。「これはわたしのからだ、これはわたしの血」とイエス様が宣言されて、ご自分こそが過越しの子羊そのものであることを示されたのです。覚えること、記念することは単なる過去の思い出でなく、「現在に生かされる記憶」です。旧約の時代の過ぎ越しの食事が、時代を経て過ぎ越しの祭りの時期に、イエス様を通して「最期の晩餐」になりました。律法を成就し、完成させるために来られたイエス様が、新しい契約として「主の晩餐」を弟子たちと行ったのです。「過ぎ越しの食事」も「最期の晩餐」も神の救いの恵みを今、ここで思い出し、応答するためのものです。
次の日曜日は「世界聖餐日」です。共に「キリストの体」の一部であることを覚え、救いの恵みに応答して参りましょう。