申命記34:1-12「とこしえからとこしえまで」(召天者記念礼拝)

2025年11月9日(日) 召天者記念礼拝 メッセージ

聖書 申命記34:1-12
説教 「とこしえからとこしえまで」
メッセージ 堀部 里子 牧師

ピスガ(ネボ山)からの眺め(部分)
Photo by Berthold Werner, from Wikimedia Commons, CC-BY-3.0

4そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。5こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。…7モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。8イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

申命記34:4-5,7-8

1主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。2山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。3あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。…10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。…12われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

詩編90:1-3,10,12

おはようございます。今日は召天者記念礼拝です。洗礼を受けた方もそうでない方もいらっしゃいますが、受洗・未受洗に関わらず、確かなことは神様から命を与えられ、家族やどなたかに祈られ、愛された魂であったということです。今朝は先に天に召された方々を覚えて偲び、またその信仰に感謝し受け継いでいきたいと思います。

恩師の配慮

先日、大学時代にお世話になった恩師を夫婦で訪ねました。奥さまは別の宗教を信仰しておられましたが、毎年クリスマス礼拝に参加してくださっていたことを懐かしく思い出しました。その奥さまが13年前にお召されになった後も、恩師とは年賀状と誕生日の「おめでとうメール」を交わしていました。家に上がったとき、先ず奥さまの遺影の前で祈りを捧げたいと思い、恩師のその旨を申し上げると、家族の写真や遺影が置いてあるタンスの前に通されました。私たちが静かに祈りを捧げ終わると、恩師が言いました。「仏壇もあるんだけどね」と。振り返ると確かに仏壇がありました。私たち夫婦がキリスト教の牧師なので、仏壇ではなく、遺影のあるタンス前に案内していただいたのかもしれないと、恩師の配慮を感じました。

お話を伺う内に、最近、恩師の亡くなった友人がクリスチャンであったこと、また牧師の友人がいらっしゃることを聞きました。食事の時、お祈りをしてもいいかを尋ねると、快くOKしてくださいました。学生時代は恩師に迷惑を多々かけたのですが、このように時を経て共に祈ることが許される日が来るとは…。

モーセの死を通して

人間は皆いつか最期の時を迎えます。モーセも例外ではありませんでした。聖書の中で、美しい召天の場面の一つが、モーセの最期が記された申命記34章だと私は思います。なぜなら、モーセの死が終わりでなく、神様の約束の完成の一部だからです。今日はモーセの最期の時を通して、「地上の生涯を終える信仰者の姿」、「神の約束の確かさ」そして「死の向こうにあるもの」を共に受け取りたいと思います。先ずモーセの生涯を振り返りたいと思います。

モーセの生涯

「モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」(出エジプト記34:7)

モーセの生涯は120年で、神によって三つの時代を生き抜いて来ました。

  • 誕生から40歳までは、エジプトの王宮で王子として養育され、エジプトの学問と文化を身に着けました。
  • 40歳から80歳は結婚し、ミディアンの荒野で羊飼いとして過ごします。
  • 80歳から120歳はエジプトからイスラエルの民を導き出す民の指導者として、素晴らしい約束の地カナンを目指しました。
ネボ山 Photo by Vyacheslav Argenberg, via wikimedia comons, CC BY 2.0

モーセに許されなかったこと

しかし、モーセ自身は「カナンに入れない」と神様に告げられていました。なぜならメリバでの水の事件(民数記20:12、27:14)で神様の言葉通りにしなかったことがあったからです。

「…これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。それであなたはわたしがイスラエルの人々に与える地を、目の前に見るであろう。しかし、その地に、はいることはできない」。(申命記32:51-52)

イスラエルの民の神への度重なる裏切りに比べるなら、モーセこそ誰よりもカナンの地に入る資格が十分にあるはずでした。しかし、神様は「あなたはそこへ渡って行くことはできない」(申命記34:4)とおっしゃいました。この言葉は「行ってはならない」という禁止命令です。反対にモーセに許されたことは何だったのでしょうか。

モーセに許されたこと

モーセに許されたのは、民をモアブの地まで導くことでした。しかし、神様は死ぬ前に、モーセにカナンの地を山の上からゆっくり見ることを許されました。

「モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、…」(申命記34:1)。モーセはカナンの土地を見て何を思ったでしょうか。聖書にはモーセが悔し涙を流したとか、叫んだなど書いていません。しかも、登ったネボ山で死ぬと神様から言われていました(申命記32:50)。モーセは120歳でしたが、一人で山に登る体力がありました。また臨終間近でしたが、「目はかすまず、気力は衰えていなかった」(申命記34:7)とあります。死ぬまでモーセは非常に健康でした。指導者として働くために神様から健康を与えていたからでしょう。カナンの地を十分に見た後、「こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。」(申命記34:5-6)と聖書は記しています。

当時のイスラエルでは、人が死んだとき7日間嘆き悲しみますが、人々は30日間モーセの死を悼みました。モーセの死は老衰によるのでなく、自分の時代の「使命を果たしたしもべ」として神に召されました。神がモーセを召して、神が彼を最後に葬られました。モーセの偉大さの一つは、カナンの地を見せられたとき、40年間熱望していたカナンへの欲望に動かされなかったことではないでしょうか。そして「ここまで私が民を導いたのに私はカナンに入れない」と神を恨んだり、悔しさや嫉妬を神にぶつけなかったことです。そもそもそのような思いさえも抱かなかったかもしれませんが。では、カナンの地を神様から見せられたモーセは、実際にカナンだけを見ていたのでしょうか。他に何を見ていたのでしょうか。私はモーセが信仰者として、また忠実なしもべとして、モーセが見ていた三つのことを挙げたいと思います。

モーセの目が見つめていたもの

  • 【神の約束】一つ目に、モーセが見ていたものは「神の約束」でした。神様はモーセだけのために民を出エジプトさせたのでなく、イスラエルの民全体を導かれました。そして確かに時代を経て、カナンの地を与えられたのです。モーセは神様が自分のためだけに与えた約束でないことを知っていました。例え自分自身がカナンの地に入れなくても、神様はイスラエルの民を導くのだと約束を信じていたのです。
  • 【神の確かさ】 二つ目にモーセが見ていたものは「神の確かさ」でした。実際に、神がこうなるとおっしゃったことは次々と実現していきました。アブラハムに語られた約束を守られ、この地(カナン)を与えようとしておられる神は、確かに今も昔も確かに生きて働いておられると。そして民の荒野の生活においても、食べ物や水を常に供給されたことを、モーセは知っていました。そしてこれからも神が確かなお方であることを確信していました。神がモーセに召命を与え、また命を取られることも神が確かであるからこそ委ねていたのです。
  • 【もう一つのカナン】 三つ目に、モーセの目はカナンの地の向こうにある、「天の故郷」を見ていました。「…実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」(へブル11:16)

モーセの生涯を振り返るとき、生まれた時から時代に翻弄され、川に流されるという苦労が付きまとっていました。エジプト人の中で王子として生きながら、本当の居場所を探し求め続けていたのかもしれません。イスラエル人という血を誇りに思い、同胞を助けたつもりでしたが、逃げるように王宮を出ていかなければなりませんでした。結婚し、静かに余生を過ごすのだろうと思いきや、80歳で出エジプトの指導者として立てられました。

自分自身の弱さや足りなさを知っていたモーセは、神に頼る以外に選択肢はありませんでした。120歳で自分の命が取られる山へ登り、カナンの地を見ながら、ただ神様が自分自身をここまで導いてくださったのだ、そしてこれからも天の故郷への道を導かれるのだと安心したのかもしれません。モーセの目は過去を振り返りながらも、とこしえに導かれる主を見つめていたのです。

先にお召されになられた方々の人生の旅路にも、それぞれご苦労や悲しみ、痛み、また喜びや祝福があったと思います。先に天へ凱旋されましたが、今も尚お一人ひとりの人生が語っていることがあるのではないでしょうか。何を大切にされ、何を見ておられたのでしょうか。「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(へブル11:4)

ある兄弟の証し

以前私がいた教会に、あるお父さんがいました。若くして、交通事故で奥さまを亡くされ、小学生の子どもと二人の生活になってしまいました。奥さまはクリスチャンでしたので、葬儀を教会で終えると、奥さまのお母さんに助けていただきながら子育てをされました。当時は、寂しさを紛らわすため、仕事やゴルフに夢中になったそうです。しかし一人になると虚しさが募る日々でした。巡礼をしたり、仏教などに慰めを求めても、中途半端に終わったそうです。定年退職後、奥さまが通っていた教会の礼拝やお祈り会に参加するようになりました。

ある礼拝後、牧師先生にお祈りをしていただくと、思わず泣いてしまったそうです。積り積もった思いが一気に溢れ出てしまいました。それ以来、「聖書入門クラス」で学びを始められました。ある日のクラスで、老後のことが話題になった時、彼は「私は妻に会える楽しみがあり、死は恐ろしくない」と話すと、「洗礼を受けたらいいですよ」とクラスで励まされたそうです。そして、洗礼を受けられました。一番喜んだのはクリスチャンの義母だったそうです。受洗して一年経っても、悩みは尽きなかったそうですが、物事の判断基準が自分の中にはっきりできたとのこと。また、周りからは明るくなったとも言われるようになりました。洗礼を受けるまで、長い道のりでしたが、奥さまが愛読していた「聖書」を通して神様が導いてくださったと確信に至ったそうです。

私は当時、入門クラスを担当していたので、その方がどんどん明るく変えられていく様子を拝見しました。奥さまの生前の祈りが実現したと思いました。その方は年を重ね、今年81歳で天にお召されになりました。彼の目は、奥さまを通して天国をずっと見つめておられたと思います。そして、今では天国で奥さまと再会され、喜んでおられることでしょう。

完了するとき

人の死はいつ訪れるのか、どのように死を迎えるのか、誰も予測ができません。「神のみぞ知る」です。モーセの死は突然ではなく、偶然でもなく、神様のご計画の中で完成されました。

イエス様は十字架上で死ぬ前に最後に「完了した」(ヨハネ19:30)とおっしゃいました。私たちの人生も、いつの日か地上の務めを終えて、静かに「おかえりなさい」と天の故郷へ招かれます。死が終わりでなく、地上での歩みが神によって成し遂げられ、完成される日が来るのです。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」(へブル12:1-2)

新しい出発

「そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。」(34:8)申命記の最後の章を開いていますが、ここはモーセ五書の最後の章でもあります。最後であると同時に出発点です。なぜなら、モーセの後を継いでヨシュアが立てられ、カナン征服への出発だからです。人は皆、最期の時を迎えて、歴史の舞台から消えますが、神の国の歴史には永遠に残ります。地上は仮の宿で私たちは寄留者です。いつの日か地上から神の永遠の住まいへと移されるときがきますが、聖書は言います。

「1主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。」(詩編90:1-2)

天の神を仰ぎ、主を見つめて進んで参りましょう。召天者記念礼拝は、召天者を偲び、また命と信仰のバトンを受け継いだ私たちの「誓いの時」でもあります。誓いを新たにさせていただき、「天の故郷」を目指して「とこしえからとこしえまで」ご支配しておられる主に残りの人生をお委ねして、歩んで参りたいと思います。