ルカ2:22-38「幼子イエス」
2025年12月7日(日) 礼拝メッセージ
聖書 ルカ2:22-38
説教 「幼子イエス」
メッセージ 齊藤 良幸 役員
22それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。23それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、24また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。25その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。26そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。27この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、28シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
29「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
30わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
31この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
32異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。33父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。34するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。――35そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
36また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、37その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。38この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。
アドベント第2週を迎えました。聖書の暦の上では、まだイエス様はお生まれになっていませんが、救い主を待ち望んでいた二人の人を通して、私たちもイエス様の誕生をどのように待ち望むべきかを考えたいと思います。
聖書の背景
旧約聖書の最後の預言書であるマラキ書が書かれてから、この時までに400年以上が経ちました。メシア、救い主の出現については、旧約聖書の創世記から最後の預言書マラキ書まで各所に記されていて、イスラエル人は、救い主の誕生をずっと長く待ち望んできました。
今日の聖書箇所の時代、イスラエルの人々は、自分の国を失ってから、捕囚の民として大変厳しい立場に置かれ、苦しい生活を続けていたばかりではなく、異教徒の支配者によって多くの旧約聖書が焼き捨てられ、更に神様を信じてはいけないと弾圧されつづけてきました。しかし、それでも旧約聖書のことばを心の中に書き記していたイスラエル人の中には、信じ続ける人たちが残され続けていたのです。
今日の箇所の背景
イエス様の誕生は、天使長ガブリエルによって、まずヨセフとマリアに知らされました。東の国の博士たちは、天体観測によって、明るく光る星を発見したことで、ユダヤ人の王の誕生を知るきっかけとなりましたが、イスラエル人の王が生まれると理解できたのは、旧約聖書がその地域にも伝えられていたからでしょう。羊飼いたちには、天使たちの聖歌隊によって、救い主の誕生が知らされましたが、羊飼い以外で付近にいた人たちが気づくことはありませんでした。
今日登場するシメオンは聖霊によって知ることができ、両親に語りました。女性の預言者アンナは神様からの預言を受けて知り、神殿にいた人々に知らせました。
神様が色々な方法で、それぞれに救い主の誕生をしらせた理由は、私たちにはわからないけれども、神様は今も尚、私たちに聖霊を通して働きかけ続けておられるので、私も救いにあずかることができたのです。
22-24を読んでいただきましたが、ベツレヘムでお生まれになったイエス様は、「きよめの期間」が終わり、出生後40日ほどたってから、両親に抱かれて、10kmほど北にあるエルサレム神殿に行かれました。おそらく、マリアとイエス様はロバの背に乗っていて、ヨセフがロバの手綱をひいていたと思います。
両親は、神様が、モーセを通してイスラエルの民に与えた律法を忠実に守っていたので、神殿に到着してから、初子の贖いの為に山鳩か、家鳩のひなをいけにえとしてささげました。(レビ記12:1-8、出エジプト記13:2)。
25節以降では、聖霊に満たされた人シメオンが、正しく敬虔な人で、イスラエルが慰められることを待ち望んでいたと書かれており、ダビデ王の子孫であり、イエス様の父となったヨセフも、シメオンと同じタイプの「正しい人」と表現されています。
多くのイスラエル人は、慰めというよりも、ローマ帝国の統治から独立したい、自分たちの国を復興したい、という政治的な解放の欲求がとても強かったのです。
イスラエル人は律法と預言書に基づいてメシアを待ち望んでいたにもかかわらず、多くの人が、キリストは王様として来て欲しかったので、宮殿で生まれるに違いないはずだと勘違いしていました。まさか貧しく馬小屋でお生まれになったとは、とても信じがたいことだったのでしょう。
しかし、ここで登場したシメオンは、本当の意味での「救い」、「慰め」を求めていた人でした。シメオンの信仰が他の人々と最も異なる点は、聖霊が彼にとどまり、直接シメオンを導いていたことです。聖霊から「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはない」というお告げを受けていたため、シメオンはメシアとの出会いを確信し、待ち望み続けることができました。シメオンが幼子イエス様をメシアとして認識する上で、この聖霊による導きが、決定的な役割を果たしたことがわかります。シメオンは、祭司ではなく、普通の人でしたが、聖霊がシメオンの上におられたので、今ここで、聖霊の導きを感じ神殿にはいってきました。
神様は、牧師や伝道者のような立場にいる人だけでなく、どんな人をも、聖霊によって導くことがおできになります。
シメオンは、両親から幼子イエス様を受け取り、胸に抱きながら、イエス様を、「御救い」と表現しました。
預言のことばを聞くことや幻などを通してご自分を示されてきた神様が、今まさに、人間の姿でご自分を示されたので、実際に触れることで、「救い」、「慰め」を実感し、神様の約束の確かさに感激したのです。目に見えない神様によって与えられた約束は、イエス様を通して神様を見るという恵みとなりました。
子ども
今日は私たちの孫二人が、礼拝に参加していますが、今月末か1月には、新しい兄弟のお姉ちゃん、お兄ちゃんになります。お母さんは、切迫早産の恐れがある為、3週間の予定で入院しています。お父さんは、ご近所さんたちの助けもありつつ、子育てに孤軍奮闘中です。最近は医療技術が進歩して、お母さんのおなかの中の様子が映像ではっきり見られるようになりました。
お母さんが写真をメールで送ってくれて、コメントが添えられていました。
「今日、こんなお顔を見せてくれました。髪の毛もはやしているそうです。」
3人目は、お腹で一番大きく育っていて、お兄ちゃんに似ています。本当に、赤ちゃんの誕生は待ち遠しく楽しみなものです。
異邦人の光
シメオンの発言にはなしをもどしますが、シメオンの見た救いとは、「31この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、32異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
これは、驚くべき発言で、イスラエル人にとっては、救い主は、あくまでもイスラエルを救う方で、異邦人については全く考慮されていませんでした。それで、父ヨセフと母マリアは、幼子についていろいろ語られる事に驚いたのです。彼らが従っていたのは、あくまでもモーセの律法でしたから、イスラエルだけに与えられた神様の掟だと考えるのはある意味当然でした。しかし、この幼子は、イスラエルという枠組みを越えて、すべての民族に救いをもたらす方となりました。
また、シメオンは両親を祝福した後に、母マリアに言いました。
「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。」
イエス様が私たち異邦人にとって光となる一方で、肝心のイスラエル人の多くがイエス様に反対するだけでなく、本当に頼りになる「尊い隅の石」(イザヤ28章16節)であるのに、イスラエル人たちにとっては同じ石が「さまたげの石、つまずきの岩」(イザヤ8章14節)になってしまったのです。
35そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
マリアは、福音を伝え始めたイエス様が多くの人の憎しみを受けるのを見つつ、やがて、あの十字架刑で処刑されるという現実に直面しました。イエス様は、その誕生の時から命を狙われただけでなく、全生涯においてへりくだった立場を取られたにもかかわらず、心高ぶった人たちは、イエス様を受け入れることができずに絶えず反対しました。
それでもイエス様の深い愛は、御自分を処刑した人たちに対しても罪ありとはなさいませんでした。イエス様が復活され天に戻られたからこそ、イエス様を信じ悔い改めるものには「赦し」を与えて下さり、聖霊を求めるものには、「聖霊」をお与えくださることがおできになるのです。これが信じる決断をし、イエス様を信じますと告白した人誰にでも約束された福音なのです。
36-38に登場するアンナは、宮で仕えている預言者で、神様から直接救い主について示していただきました。彼女がイエス様のことを語っている事実は、福音が女性にも行き届くことを示しています。こうして、聖霊に満たされた人と、女預言者によって、イエス様のことが証詞されました。
ルカの福音書は、神様の御計画通り、イスラエル人が待ち望んできた救い主イエス様が誕生したことで、救いの時代が到来したことを歴史の事実として調査した結果を記録して伝えています。
最後になりますが、イエス様は両親に抱かれる以外に、何もすることのできない幼子、赤ちゃんでした。しかし、神様の御子としてこの世にこられたという事実が、旧約聖書の預言通りに、天使長ガブリエルを通してヨセフとマリアに誕生にかかわること伝え励まし、ローマ帝国の皇帝と総督を動かし人口調査をさせ、御使いたちを通して羊飼いたちがイエス様に会いに行くように動かし、天体観測によって東の国の博士たちをベツレヘムまで導き、そして、ここでは、聖霊がシメオンをイエス様にお会いさせることで励ましと慰めを与え、預言者アンナを用いてイエス様のこれからの人生を神殿にいた人々に語り知らせました。
クリスマスに誕生されたイエス様は、完全な神様であられると同時に、確かに人間でした。私たち人間にはなくてはならない光は、私たちが歩むべき道を照らしだし、まっすぐに、間違いなく信仰の歩き続けさせてくださるのですから、その光に頼り導かれて、イエス様にお会いするまで、イエス様を信じ続け、聖霊に励まされ、慰められながら、ともに人生を歩み続けていきましょう。
「30わたしの目が今あなたの救を見たのですから。31この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、32異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
祈ります。


