エペソ2:8-10「恵みのゆえに、信仰によって」
聖書 エペソ2:8-10
説教 「恵みのゆえに、信仰によって」
メッセージ 齊藤 良幸 役員

8あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。10わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
エペソ2:8-10
励まし気にかけてくださる主
イースターから3週間が過ぎました。
聖書の中で、イースターの3週間後には、イエス様はまだ天に戻られておらず、弟子たちや信じる者たちを励まし続けておられました。復活の事実を見ないで信じることは大切なのですが、イエス様は、十字架にかかられる前にご自身が話してこられたことを弟子たちや信者たちに思い起こさせるために、すぐには天に帰らずに、必要なときに必要なところに目に見える姿で現れて、復活された事実を通して励ましてくださいました。旧約聖書を通して語られているイエス様ご自身に関わる預言を的確に思い起こさせて、復活されてから40日間にわたり信者たちを励まし続けておられました。
神様は私たち一人ひとりに目を留めて下さり、気にかけていてくださいます。

神の前になすべきこと
私が子どもの頃、初めて教会の伝道集会に参加した時に、創世記のアダムとエバが神様との約束を破って、善悪を知る木の実を食べてしまった話が語られました。その時は、私自身信じようとは全く思っていませんでした。しかし、すでにその時から、神様は私を気にかけて下さいました。
私たち人間は、自分自身が誘惑に負けて、神様との約束を破ってしまったことを正直に神様に告げて謝るのではなく、エバは「蛇にそそのかされた」、アダムは「エバに食べてと勧められた」と、神様に怒られることを回避しようとして自分の責任を転嫁するという行動にでてしまいました。蛇にそそのかされたエバが、神様のように賢くなりたいという最初の願望に負けてしまったのと同じような動機が私たちにはあるのです。
ですから神様の恵みを受けるためには、私たちの誇りを取り除き、神様の前にへりくだる必要があります。
【無償で与えられる救い】
今日の聖書箇所を読みます。
「恵みのゆえに」と書かれているように、救いという恵みは神様が一方的に提供して下さった賜物、プレゼントです。この恵みは、無代価、つまりタダです。実際にお金では買えないほど価値のあるものであるにもかかわらずです。
日本ではタダほど高いものはないと言われる通り、タダと言われるとちょっと疑いたくなりますが、この救いという恵みは、湧き続ける源泉であり、今もずっと継続して提供され続けていて、ほんとうにタダなんです。
この救いの恵みを受け取る条件、それが信仰だと書かれています。
信仰とは、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れることです。ただ一人の救い主として、イエス・キリストを信じる信仰によって、神様が心のうちに働いて起こしてくださる変化である「救い」という恵みを私たちは体験していくのです。私たちは何もしなくても、自動的に救われることを望みますが、すべてにおいて完全に正しい神様にはそうはできない理由があるのです。
私たちは、すべて自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない責任があります。私たち一人ひとりは完全ではないので、神様の恵みによる救いを信仰によって受け入れるという行為が無ければ、神様の怒りの裁きに会い、死ななければなりませんでしたが、「信仰によって」救われるようにと、アダムとエバの時から、すでに神様は救い主をこの世に送り込む準備に取り掛かられました。
神様との関係を修復するための準備にはとても長い期間が必要でした。信じることによって、初めて神様の恵みが救いとなってその人のうちに働き始めます。ですから、信仰によって恵みの救いにあずかることは絶対に必要なのです。
【救いの喜び】
神様の恵みによる救いにあずかったならば、それはとても口では言い表せないような大きな喜びとなります。
私の若いころには、ゴスペルフォークソングがたくさん作られ、伝道集会には特別講師の先生と賛美ゲストがこられました。救いの喜びを新しいメロディーに乗せ、ただ神様を賛美するという伝道集会での証詞を通して、また他教会の伝道集会の応援や複数の教会との合同賛美集会で交流も生まれました。
コイノニア・クリスチャン・チャーチも「ピースフルサウンズ」というグループで近隣の伝道集会の応援に出かけましたし、高齢者施設の西が丘園や光照苑やキングス・ガーデンにも演奏に行かせていただきました。
賛美は神様をほめたたえているのですが、ほめたたえることで私も喜びを感じていました。神様に取り扱われているという感覚は、なんとも言えない安心感を伴いました。この喜びを与えて下さった神さまに感謝をささげて生きる人生が大切だと思います。
自分の思い通りにならないのが人生ですが、ただ確かなことは、イエス・キリストが救い主であり、地上の命を終えても永遠に生きる命を信仰によって与えて下さるということです。
すでに永遠に至る人生を私たちは歩き始め、歩き続けています。もともとアダムとエバがいた世界、命の実のなる木から自由にとって食べることのできる世界に戻る旅をしています。その素晴らしい世界、神様の栄光があふれ出ている世界に、確実に一歩づつ向かっています。

【救われた者の姿】
私たちの生き方のヒントは、次の10節に書かれています
「10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」
私たちは神様の御手による芸術品なのです。神様の願われるままに、神様の喜びとして、私たちはかたち造られ生きていきます。私たちは、神様の御手で形づくられて、神様が意図された目的に生きることで、人生の喜びを感じられます。
私たちは、「良い行ない」に歩むようにと勧められています。私たちが救われたのは行ないによるのではないのですが、救われた私たちは良い行ないをするようになります。「神様が、その良い行ないをあらかじめ備えておられる」からです。良い行ないでさえも、私たちからではなく神様から出たものなのです。
神様が私たちのために行なってくださったこと、罪の贖いと永遠の命を下さることが福音です。私たちが、神様が行なってくださった「救い」という恵みを受けたので、私たちは神様が備えられた良い行ないをあたりまえのようにできるようになります。これが、イエス・キリストを信じる私たちが今を生きていく姿です。
神様がご自分の恵みによって、すべての人に平等に「救い」のチャンスを与えられました。この神様の思いの中心に、みなさんがいて、一人ひとりがイエス・キリストを信じる信仰によって新しく造られたといえるように変えてくださるのです。
【救いの目的】
イエス・キリストにあって造られたのは、私たちが、イエス・キリストにあって神様に似た者となるためです。神様が良いお方であるように、神様が良い働きを継続されているように、イエス・キリストにあって私たちも良い行いをするよう勧められています。
行いによって救われたのではありません。けれども、良い行いをするために救われました。
その良い行いを通して、神様が現われて下さるからです。神様の働きが、私たちを通して現れるというのが神様のみこころであり、すべて神様から始った良い行いによって、私たちに関わる人々が神様を知り、救いに至るというのが宣教なのです。
そして、イエス・キリストのからだなる教会において、ともに神様をほめたたえ、喜びを分かち合うのです。私たちの変えられた人生は、他の人の人生に影響を与えます。
人間関係は、色々ですが、神様は信じる私たちと共に働かれ、実際におられることを実感させてくださいます。神様の働きをするために、私たちは、神様の御心を求めます。聖霊が私たちの近くにおられて、聖書の御言葉を通して、私たちを教え、導き、守ってくださいます。至れり尽くせりの神様に心から感謝します。
礼拝に参加し、あなたが恵みを受け、神様を褒め称え、神様に祈り、神様に語りかければ、必ず反応がありますし、聖書を読み確認することで、発見、驚き、感動があるのです。
イエス様は「私を信じなさい。」と言われました。イエス様は、私たちが何人であろうと、どんな人生を歩んでいようと、神様が私たちを愛し、それぞれに豊かな人生を歩んでほしいと、どんなに願われているかをつたえ教えようとしておられます。
イエス様は、過去の自分がどんな状態であったか、どんなことについても、そんなことにはお構いなく、一人の対等な人間として接し、「あなたも大切な人だ」と言葉と態度で示してくださいました。
イエス様は、私たち一人ひとりがこれまで歩んできた人生も、今抱えている問題もよく知っておられ、時にはその重みに押しつぶされそうになることも知っておられます。
イエス様は私たちがそのまま押しつぶされてしまうことなく、それぞれに豊かな人生を歩んでほしいと願われ、「私を信じなさい」と招いておられます。
【ヨナ書を通して】
今日のメッセージを準備するにあたり、神様から思い出させていただいた事があります。私は今、預言書を読み進めていますが、ヨナ書に来た時、今までにはない感覚を覚えました。
ヨナは神様からの依頼を断り、「ニネべ」とは反対方向に船に乗り込み逃げ出しましたが、嵐に会い、嵐を静めるために海に投げ込まれ、大きな魚の中で3日間過ごし、悔い改めてから、魚に吐き出され、「ニネべ」に行き、神様の裁きを町中に伝えました。ヨナにとって、「ニネべ」は滅んで欲しい町でしたが、神様は町全体が悔い改めた様子を見て滅ぼすことを思いなおされました。
それが気に入らないヨナは、神様に文句を言いました。あなたが恵み深い方なので、きっと「ニネべ」を滅ぼすことを思いなおされるとわかっていたからこそ、ここに来たくはなかったと、ものすごく腹を立てて、死んだほうがましだと言いました。日差しの強いの中で、「ニネべ」の町の東の方で何が起こるかを見守っているヨナを見て、神様が、「ヨナの不機嫌を直そう」として一本の唐胡麻をはえさせ、ヨナはとても喜びました。
しかし、翌朝には枯れてしまい、暑さが増すとヨナは、怒って「生きているよりは死んだほうがましだ」とまた、文句を言うのです。神様は、ヨナが唐胡麻を惜しんでいるように、12万人の住む「ニネべ」を惜しまないでいられようかとヨナを諭すように語られたのです。

ユニークな神様の導き方
それで思い出したのですが、私が品川の教会にいたころ、神学生が、研修と応援を兼ねて派遣されて来ていて、伝道集会で証詞をしてくれました。その方は、牧師の家庭の娘さんで、献身の思いが与えられていたのですが、ご本人は大学卒業を機に海外旅行をしてから、社会人として就職しようと考えていたそうです。誰一人として知った人のいない旅行先であるロシアのモスクワに向かう飛行機の中で隣に座られた女性が、クリスチャンの方で神様の救いと導きついて熱心に語ってくれたそうです。その神学生は、自分にとってその飛行機の中こそ、神様が備えてくださった大きな魚のお腹であったと話して下さり、日本に戻ってから献身の道に進まれたのだそうです。
実際にヨナのような体験をされた方がおられ、神様がいかに一人ひとりにふさわしく様々な経験を通してかかわってくださるかを知り、感激したことを思い出したのです。私がこの聖書箇所に心が留まったのも、初めて教会にいったときの、天地創造の話を聞いた時から私自身も神様の創造による一人なのだと気づくように神様が導いてくださったのだと思います。

私の今年の御言葉
今日は私の今年の御言葉として、メッセージさせていただきましたが、私にとっては生涯に渡る御言葉でもあります。イエス様の愛を信じることは、私たちがどんな時でも希望を失わずに最後まであきらめずに前を向いて生きるための力です。
今この時もイエス様は「私を信じなさい」と一人ひとりを招き、励ましてくださっています。御言葉を読みます。
「8あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。10わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」

