4/15-25 ドイツ訪問 報告(牧師夫妻)

報告①

4/15~25に夫婦でドイツへ行きました。17歳でドイツの地を踏んでから30年が経過しています。2020年にホストファミリーの両親の金婚式に招待された時は、コロナ真っ最中で渡独を諦めました。その後、結婚し2022年に夫婦で沖縄へ行った時の写真を送ると、「次はドイツに来る番だね」と言われました。今回のドイツ訪問の目的は、①ホストファミリーへの結婚の報告、②留学中にお世話になった方々への挨拶、③1月に転入会をした利菜姉の訪問としました。一回の礼拝と二回の祈祷会を役員の方々にお願いし、また祈って頂きました。滞在中、様々なハプニングがありましたが、全て良い思い出です。

最初のハプニングは空港から乗った新幹線の乗り間違えでした。4分前の新幹線に乗ってしまったのです。車掌さんがチケットを見て「この電車は〇〇行で、ビーレフェルトに停車しないよ。」と教えてくれました。一瞬真っ青になりましたが、心の中で祈りました。すると近くの男性が丁寧に乗り継ぎを紙に書いてくださり、車掌さんも戻って来て助けてくれました。1時間遅くなりましたが、無事に目的地に到着しました。町を歩いていると元クラスメートにばったり会ったのです!もし遅れた電車に乗っていなければ出会っていなかったでしょう。しかし、その日はビーレフェルト市内のバスと電車は全てストライキでストップしていたのです。

報告②

滞在三日目には、ドイツで教会音楽家として奉仕しているS姉を訪問し、彼女が勤める二つの教会を見学しました。礼拝堂に響き渡る彼女のパイプオルガン演奏を聞きながら涙が止まりませんでした。無事に会えた安心もありましたが、賛美の中に住まわれる神の愛に圧倒されました。その後、教会に併設されたS姉の自宅でランチタイムとなりました。4月は白アスパラガスが旬の時期で、南ドイツ方式の食べ方を教えてくれました。クレープに生ハムと白アスパラガスを巻いて、チーズソースをかけていただくのです。絶品でした。お互いの近況報告をして充実した時間を過ごしました。しかし時間を忘れて話し込んでしまい、新幹線に乗り遅れてしまったのです!駅まで車で送ってくれたのですが、時すでに遅し…。本来なら新チケットを購入しないといけないのですが、駅の窓口で正直に事情を説明すると、数名で話し合い特別なスタンプを押してくださり「良い旅を!」と笑顔で送り出してくれました。普通は有り得ないことです。主に感謝☆

報告③

4/18~24はホストファミリー宅にお世話になりました。以前に持参した御言葉掛け軸もそのままありました。綺麗な庭も懐かしかったです。年月を経て変化もありますが、変わらないものもたくさんありました。

滞在中は、友人と会ったり、家族と日帰り旅行にも行きました。日曜はオンラインでコイノニアの礼拝に出席し、また家族とカトリック教会の礼拝に参加しました。神父が私たちに「ようこそ。聖餐に与ってくださいね。次に来る時は説教してください!」と声をかけてくださいました。あっという間の6日間でした。食事後の団欒は英語、ドイツ語、日本語が飛び交いました。家族が話すドイツ語のスピードに慣れてきた頃に、お別れとなりました。ホストマザーより「舜と里子が来てから10年分くらい笑ったように思うわ。再会の実現のために、祈りサポートしてくださった教会の方々や日本の家族、お友だちに心からの感謝を込めて、宜しく伝えてね」とのことです。感謝します!

報告④

短い滞在中、ドイツの教会の現状を垣間見る場面もありました。ドイツの教会の信徒数は減少の一途をたどり、教会の統廃合が進んでいます。今回の訪問でも、里子牧師が高校時代に通ったカトリック教会は閉鎖されていました。また、ドイツ在住のS姉が奉仕する教会は2つの教会が統合されて、兼牧されていました。立派な会堂が閉鎖されて、レストランになってしまっていた場所もありました。

 一方、ホストマザーが通うローマ・カトリックの教会では、生き生きとした聖霊の働きを感じました。私たちが参加した当日も洗礼式があり、受洗したベトナム人留学生が初々しい証しをされました。彼を導いたアルメニア人留学生は正教会出身でした。▽プロテスタント教会で洗礼を受けた私たち夫妻は、通常はローマ・カトリック教会では聖餐にはあずかれませんが、その教会では私たちも聖餐にあずからせて頂きました。▽その礼拝は、国籍を越え、教派を越えた、キリストにある一致を体現しているように思いました。▽ドイツは宗教改革が始まった地ですが、プロテスタントとカトリックが分裂した地でもあります。ドイツ人司祭が、教派を越えて私たちも聖餐に招かれたことは、真の信仰の一致に向かう、聖霊の自由な働きであると思います。ハレルヤ!

報告⑤

ドイツのキリスト教人口は(前回の報告のように)減少しているとはいえ、身近な生活に深く根差しています。

聖書の言葉が刻まれた古民家もいくつもありました。ハンブルクでは、時を知らせる教会の鐘が町中に響き渡っていました。訪問した複数の古い町で、街づくりの中心に数百年の歴史を持つ礼拝堂がありました。

カトリック信徒であるホストマザーは、修道院が発行する毎日の黙想文(デボーションガイド)を用いていました。その影響なのかはわかりませんが、ホストマザーは聖書的な習慣として、定期的に自分の死を考え、エンディングノートを更新することを習慣にしているそうです。お墓にはその土地の文化が表れるので、自分は旅先でよく墓を見ると言って、近隣の墓苑を案内してくれました。日本では死が暗く忌避されがちですが、復活の希望を持つキリスト文化の中で、死や墓地から明るい印象を受けました。

ドイツ在住のS姉は、教会で奉仕する音楽家の資格を持ち、国家公務員として奉仕しています。会堂管理者も資格を持つ職員です。ここまで制度化されていることに驚きました。▽「政教分離」といっても多様な形があり、ドイツでは、国家が他の宗教・宗派を排除することなしに、教会を支援することを許容しているそうです。教会税があり、牧師は公務員で、公立学校で宗教教育がされます。▽社会に根差した教会のあり方について、豊かな歴史と伝統があることを知り、その一端に触れることができました。