マタイ1:18-25「インマヌエル」

2024年12月15日(日)礼拝メッセージ

ヨセフの夢

聖書 ルカ1:5-25
説教 「インマヌエル」
メッセージ 齊藤良幸役員

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。

これは、「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

マタイ1:18-25

※ウェブサイト上では、一部の例話を割愛して掲載しています。

1.はじめに

クリスマスの時期になると町中がイルミネーションにつつまれて、とても華やかな気持ちになります。欧米ではクリスマスは最も重要な祝日で、クリスマスの前後1~2週間が休暇となります。

私たちの教会でも、毎年飾りつけを行い、来週はクリスマス礼拝、愛餐会、祝会が持たれます。クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝いますが、クリスチャンではない人たちは、自分が大切だと考える人と楽しく過ごすのが、クリスマスだと考えています。

今日は、クリスマスを祝うにあたり、「インマヌエル」という言葉の意味と重要性について、その言葉が実際に何を意味するのかを見ていきたいと思います。

2.初めてのインマヌエル

インマヌエルは、ずっと昔に神様が人間を創造したときに始まりました。(創世記 1:26-27) 。

神様はなぜ人間を創造したのでしょうか?

神様は、自分とは異なる種類の関係を持てる生き物を望みました。神様はこの新しい創造の準備に多大な労力を費やし、この地球をその拠点として選び、暗闇と混沌から光と秩序をもたらし、言葉では言い表せないほどの大自然の美しさを持つ庭園のすべてを言葉で創造しました。それから神様は言葉ではなく、手で塵に手を伸ばして、神様の似姿に人間を創造されました。私たち人間は創造主自身の似姿と指紋という個性をあたえられました。

最大の謎は、神様が人間に、①神様を愛し従うか、②神様を拒絶して自分の道を行くか、という選択を許したことです。この意志の自由により、私たち人間はより深いレベルで神様を知り、神様とコミュニケーションをとることができるようになっているのです。

しかし、結局のところ、人間をユニークにしていたもの、つまり選択の自由こそが、人間を神様から遠ざける道へと導き、神様を拒絶してしまったのです。私たち人間は自分が神様を拒絶するという罪深いことをしてしまったことを知っているので、完璧な神様の前に立つと私たちは恐怖を感じて、それ以来ずっと神様から隠れ続けています。インマヌエルは永遠に失われたかに思えました。

3.インマヌエル – 神様は個人に手を差し伸べる

しかし、信じられないことに、インマヌエルである神様は人間を見捨てることを拒んだのです。神様は、私たち人間との関係回復をまだ望んでいることを知らせ、私たちのために、「再び私たちの間で歩かれる」という計画を持っていることを長い時間をかけて私たちに知らせました。

それは、絶えず「恐れることはない。私はあなたと共にいる」と言って私たちを安心させてくださるためです。神様の貴重な招待を受け入れることを選んだ人々もいれば、それでも新たに神様を拒否した人々もいました。

(エピソードを割愛)

4.インマヌエル(神は私たちと共に)

インマヌエル(神は私たちと共に)の本当の意味を最終的に理解すると、私たちの心も燃えることでしょう。ですから、クリスマスの時期には、インマヌエル(神は私たちと共に)を祝い、私たちがどのように救われたかを思い出すのです。

私たちは、私たちの罪深さで神様を拒絶することがあるにもかかわらず、神様は私たちが神様との関係を持てるように信じられないほどのたくさんのことを長い時間をかけてしてくださったという事実を祝います。私たちにはその理由が想像もつきませんが、神様は私たちが想像できる以上に私たちを愛しておられ、今日も神様の手は私たち全員に差し伸べられ、私たち全員を神様との関係に入るよう招いておられることを知っていただきたいのです。

今年の年間聖句のように、神様との直接的な関りは、私たちを確実に成長させてくださっています。それは祈りが答えられたという実感が伴う、生活の中でのエピソードの積み重ねがあることだと思います。私たちの生き方そのものが神様の栄光を現していくというのです。

私も人生の様々な問題に対し、神様に祈るという解決方法で乗り越えてこられました。

不思議な主の導き~単身赴任を通して~

2016年8月に2017年3月から中国工場への単身赴任の辞令が出た時のことでした。私自身は不安でいっぱいでしたが、神様が守ってくださることを信じて中国赴任を受け入れました。教会の8人の方々が私に手を置いて、皆さんで祈って下さり、私のために壮行会をひらいて送り出してくださり、家族みんなに見送られて羽田空港から旅立ちました。

本当に不思議なことですが、時差が1時間あることとビデオ通話アプリのおかげで、毎日朝夕、妻と共に祈ることができました。妻がビデオ通話で礼拝と祈祷会の様子をつないでくれたので、日本での集会にも参加でき、皆さんにも挨拶できました。画面の中の私は、スイッチを切られると急に一人に戻されて、少し寂しさを感じました。

また、現地の教会のイングリッシュバイブルスタディに参加でき、クリスマスには、20人ほどのクラスメイトと英語でクリスマス賛美を発表することができました。

今となっては、楽しい思い出であると共に、コロナ禍だった2020年5月に3年2カ月の単身赴任を終えられたことに感謝しています。中国に持って行った写真立てには、妻一人の写真、私たち夫婦二人の写真、家族5人の写真、そして祈っていただいた教会の方々との写真の4枚がはいっていて、今も私の書棚に飾られています。

家族の召天~祈りのバトンを受け取る~

日本に戻ってから、新しい仕事について現在に至りますが、今年は4月に父が亡くなりました。肉親の死はとても悲しいものです。親の注いでくれた愛情はとてもありがたく感謝するばかりです。

更に、11月には、父の兄である埼玉の伯父も亡くなりました。祖父が亡くなってから、3男と4男の兄弟二人で若い時から苦労して農業を支え、本家を守り続けて、妹たち4人を嫁がせてからは、毎年兄弟会を開いていました。

(エピソードを割愛)

いくつになっても、親は子どものことを考える存在なのだと強く感じました。お二人とも、心を注ぎだす祈りをされ続けてこられた現れなのだと思いました。

心を注ぎ出す祈り

羽鳥明先生の書かれた「今日の詩篇 明日の詩篇」という著書で、「心を注ぎだす祈り」として、142編1-2節からダビデの祈りを上げて説明されておられます。

神様の前に、

1.声を上げて叫ぶ祈り。心と口を一つにして祈ること。

2.自分の嘆きを注ぎだす祈り。すべてを隠し立てせず、さらけ出す告白の祈り。

3.自分の苦しみを言い表す祈り。内にこもった中途半端なつぶやき不平不満とは違って、自分で自分の本当の必要を見極めるために祈る祈り。

これらを神様はきちんと聞いて下さり、私たちに寄り添ってくださいます。神様の前にすべてを注ぎだし空っぽになった心に、神様は新しい祝福、新しい励ましを注ぎ込み、満たしてくださいます。

神の愛の招きに応える

クリスマスを祝うにあたり、インマヌエルという言葉の意味は「神様が私たちと共に歩みたい」という強い意思のことであり、重要なことは、すべての人間が、神の元に戻ってきてほしいという願いにお応えする必要があるということです。

私たちはどのようにお答えすべきでしょうか。あなたがしなければならないのは、神の招きを受け入れることだけです。そうすることで、あなたは自分の人生と現実のすべてに意味を見出すことでしょう。

あなたは神と共にあるために創造されました。神様はあなたをとても愛しておられます。神様はあなたと共にいることを切望しておられます。神様がそれを可能にしてくださいました。

キリストという愛の招待状

私たちがクリスマスに歌い、祝う飼い葉桶の中の赤ちゃんこそ神様からの招待状です。その招待状は、今日、今ここにおられるあなたに差し伸べ続けられています。あなたはその招待状にどのように応えますか。

是非とも今日ここで、招待状を受け取り、インマヌエルが本当に意味するものを信じる体験をしてください。既に信じておられる方々は、神様と私たちのかかわり方を、是非周りの方にお伝えいただきたいと思います。