マタイ11:25-30「解き放たれる」
2023年7月9日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝メッセージ
聖書 マタイの福音書11章25-30節
説教 「解き放たれる」
メッセージ 堀部 里子 牧師
【今週の聖書箇所】
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイ11:25-30
おはようございます。今朝は先ず嬉しいご報告をします。先週の日曜日に、Bさんが二度目の礼拝出席をされ、礼拝後にイエス様を信じ受け入れるお祈りをされました👏。主の御名を崇めます!Bさんに、「地域の方々の救いのためにずっとお祈りをしてきて、このようにBさんが導かれていることは、神様からのお祈りの答えです」と申し上げたら、喜んでおられました。Bさんは「今まで赦せなかった人を赦せるようになって、とってもすっきりしました」とおっしゃいました。「よく赦せましたね」と申し上げたら、「赦さないで怒りを抱えている方がもっとエネルギーを使うので、健康にも良くないことが分かりました。自分にはできないけど、神様が力をくださって、とっても楽になりました」と答えてくださいました。ハレルヤ!
【命の水の給水ポイントへ】
イエス様は「わたしのもとにきなさい。」(28)といつでも私たちを招いてくださっています。Bさんがすっきりして楽になったとおっしゃっいましたが、それは彼女が人生の重荷をイエス様のもとに下ろして、「解き放たれた」からではないでしょうか。イエス様を私たちは肉眼で見ることはないかもしれませんが、イエス様と共に生き、イエス様を体験することはできます。また私たちは「人生」という道を走るマラソンランナーとして、心と魂に「命の水」が必要です。なぜなら人の心と魂は飢え渇くからです。イエス様は「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。」(ヨハネ7:37)と渇くことのない命の水を差し出してくださっています。一週間に一度、皆で捧げる礼拝は、「給水ポイント」です。今日も共に御言葉に聞いて行きたいと思います。
【拒否する人々】
イエス様は十二弟子を派遣後、御自分も以前と同じように、町や村を巡って教えを説き、福音を伝え、人々の病気を癒していました。その理由は、御自分が神の子であることを示し、神の国をこの地上にもたらしていることを信じさせるためでした。しかしイエス様がどんなに力あるわざを数多く行っても、教えを真剣に受け留めず、悔い改めない一定のユダヤ人がいました。ユダヤ教の人たちの目には、イエス様の教えは神を冒涜していると映ったからです。しかし、イエス様もひるみません。ユダヤ人のかたくなさや無反応を示す人々が住む町々に対して、イエス様は厳しい言葉を返されました(20-24)。
イエス様は「わたしにつまずかない者は、さいわいである」(6)とおっしゃいました。「つまずかない」という言葉は、別の訳では「腹を立てない」とあり、ギリシャ語では、「スキャンダル」という言葉の語源となっている単語が使われています。当時、イエス様の話を耳にしても、イエス様が行う奇跡ばかりに目を留め、イエスご自身には目を向けない人たちがいました。そのような人々が住む町々に対して、イエス様ははっきりとお叱りの言葉を発したのでした。
話をする側が、相手に話を真剣に聞いてもらえたと感じる要素は何でしょうか。相手の目や表情、受け答えの言葉や態度で分かると思います。たとえ違う意見を持っていても、話を聞いてもらえた、理解してもらえたという感覚はお互いの関係性にとって大切なことでしょう。また聞いた話をどう受け止めたかが分かる変化が見えるなら、良いリアクションだと思います。
Bさんにがアパルーム(※毎日読む聖書の箇所が記載され、世界各国のクリスチャンの証しが掲載されているデボーションガイド)を読んだ感想を次のようにおっしゃいました。「アパルームを読んで、共鳴や共感することもあれば、違和感を感じることもありますが、自分の心が何らかの反応をしています。特に家族が亡くなった日の聖書の言葉は心に沁みました」私はBさんが、自分の前に置かれた御言葉を正直に受け止めておられると思いました。私たちの心に蒔かれ留まった御言葉の種は、時間の経過と共に、発芽し、実を結んでいきます。しかし、拒否する人もいることを心に留めたいと思います。
【神のみこころにかなうこと】
今日の聖書の箇所は、悔い改めない町々を叱責後の、イエス様の祈りの言葉から始まっています。
「そのときイエスは声をあげて言われた、『天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなった事でした』」(25‐26)
「そのとき」とはどんな時でしょうか。イエス様のガリラヤ地方での伝道を終えた時です。また「これらの事」とは、ガリラヤでイエス様が語って来られた「福音・キリストがメシアであること」を指しています。「知恵ある者や賢い者」とは、自分たちは知恵があり、正しく神の言葉に精通していると自負しているパリサイ人や律法学者を指しています。そのような人たちには、イエス様の言葉やあらゆる奇跡の本当の意味は隠され、理解できませんでした。イザヤ書29:14の「彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される。」の言葉の通りです。
一方で、「幼な子」とは、自分は恵みを受けるにふさわしくなく、神の憐れみと助けがなければ救われないことを知っていて、自らを罪人だと認識している人々のことです。神の国は、地上の学歴や経験などが物をいう世界ではありません。イエス様の弟子たちも神学者や律法学者でなく、無学な者たちでした。そして、ガリラヤ地方でも実際にイエス様の言葉を理解した人々は、学歴などに関係のない単純な人たちでした。
イエス様のガリラヤでの伝道活動は、結果として失敗に見えるかもしれません。なぜなら、「幼な子」だけがイエス様の教えを受け入れ、社会的地位があり影響力の大きい「賢い者」つまり律法学者などは、イエス様のメッセージを拒否したからです。でもイエス様は失敗に見える状況の中で、父なる神様をほめたたえ、感謝を捧げました。
私たちはどうでしょうか。多くの人の目に失敗と見える状況を目の前にして、落胆せず、神に感謝を捧げることができるでしょうか。イエス様は、「これはまことにみこころにかなった事でした。」(26)とおっしゃいました。「私の思う通りに行かないことであっても、神様の心には良しとされていることであるなら、感謝して受け入れます」という意味を含んでいます。自分自身が見える視点に固執せず、常にもう一つの視点・神の視点を覚え、その中で感謝を捧げたいと思います。
【親しい関係を築くために】
「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。」(27)
27節は、イエス様と父なる神様の関係をよく現している一節です。ユダヤ人が神と崇めている方を、イエス様は「父」と親しく呼び、「すべてのことが父から渡されている」と断言しています。父に与えられている権威も父の思いも計画も心も、子であるイエス様と共有している関係です。しかし、ユダヤ人は神の名をみだりに呼ぶことは、冒涜だと教えられているので、イエス様の行為は全く理解できなかったと思います。
また「知る」という言葉が二度使われていますが、ただ単に分かるという意味を超えて、「父と子の間に他人が入ることを許さない親密な関係」を示唆しています。ユダヤ人は神の名を直接呼ばずに祈りますが、私たちはイエス様がすでにこの壁を突破してくださったので、「アバ、父よ(お父ちゃん!)ローマ8:15」と親しく呼び祈ることができます。
私は通っているフィットネスクラブで、最近知り合った方と連絡先を交換しました。「あなたのフルネームを教えて。何と呼んだらいいかしら。次、お茶していろいろお話しましょう」と言われました。これからお互いに知り合っていくわけですが、親しい人間関係を築くには時間や労力、お金も必要です。しかし、神様と親しい関係を築くには、お金や労力は必要ありません。神様がすでに私たち一人ひとりの名前や存在を知っておられるので、私たちは主の招きに「はい、宜しくお願いします」と応答すれば良いのです。これは神に知られている恵みです
【迫害者サウロの転機】
今朝の私のデボーションの聖書箇所は、使徒行伝9章でした。熱心なユダヤ教徒であったサウロが、イエス様を信じる者たちを見つけ出し、殺そうとダマスコへの道を進んでいました。すると突然、天からの光がサウロを照らしました。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4)するとサウロは「主よ、あなたは、どなたですか」(5)と問います。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」(5-6)と、語られました。サウロはイエス様を直接迫害していないと思っていたかもしれませんが、イエス様は信じる人たちと一心同体でしたので、「わたしは、あなたがた迫害しているイエスである」と答えられたのです。イエス様を心に信じ受け入れた人を迫害することは、イエス様自身が痛み、苦しまれることと同じです。サウロは直接イエス様を知りませんでしたが、イエス様はサウロの今までの行動、人生の歩みをご存じでした。そして然るべき時に、「サウロ、サウロ」と名前を呼ばれたのです。名前を呼ばれることは、その人に向けられた特定のメッセージを相手が持っているということです。イエス様はサウロに対して、「異邦人宣教の使命」を持っていました。その後サウロは、「迫害者」という立場から解き放たれ、新たな道・大伝道者パウロへと変えられて行きます。
あなたは自分がイエス様に呼ばれた経験はありますか。呼ばれたらどのように応答しますか。
【すべての人への招き】
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(28)とありますが、疲れない人はいないと思いますし、何らかの重荷を皆持っているでしょう。そうだとするなら、あなたも私も招かれています。一人ひとりの名前が込められている呼び方なのです。旧約聖書を読めば分かると思いますが、様々な規定、禁止事項、命令が何ページにもわたって記されています。真面目なユダヤ人なら一生懸命に守るでしょう。しかし問題は、これらの律法を守るために、律法学者たちは更なる規定を自分たちで作ってしまい、それをも守り行うようにと多くの重荷を人々に課したことです。律法主義的な要求は、重労働となり、人々は疲れ果て、本来の神を礼拝することの意義から遠く離れてしまいました。イエス様は、だからこそ「重荷は私に持って来なさい、休ませてあげる」とおっしゃっているのです。
ひるがえって、現代を生きる私たちの疲れや重荷は何でしょうか。日々の忙しさ、煩わしい人間関係、経済的な心配、健康上の問題、子どもや孫の将来への不安や悩み、お墓の問題、終わりの見えない戦いなど、シンプルライフを生きたいと願っても、様々な事柄が絡み合って複雑になっていく現実に押しつぶされそうになっていないでしょうか。イエス様はそのような状態に陥りやすい私たちに対して、心と魂の休息所へ来るようにと招いてくださっているのです。
私は疲れると「スパか温泉に行きたいな、整体に行って凝りをほぐしてもらいたいな」と思います。それで、体の疲れや重荷は一時的になくなるかもしれませんが、心と魂の休息は得られません。静まって聖書を読み、神の語りかけを聞き、賛美を捧げ、イエス様と対話をする中で、癒され解放されていくのが分かります。イエス様のくださる平安・平和はこの世が与えるものとは違うと聖書に書かれています(14:27)。
【主イエスのくびき】
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(29-30)
「くびき」とはすきや車を引くために、二頭の家畜が一組として力を出すように首に置く枷です。その時、二頭は同じ体の大きさの家畜が求められます。なぜなら、大きな家畜に負担が行ってしまうからです。イエス様は私のくびきを負うようにとおっしゃっていますが、明らかにイエス様と私たちは器の大きさが異なります。しかし、イエス様自身が共にくびきを負うことで、「私が多くを担うよ」とおっしゃっているのです。「わたしの荷は軽い」とおっしゃっていますが、荷が軽くなるのは、イエス様が負担してくださるからなのです。このような「柔和さと謙遜さ」はイエス様の特徴です。
今朝は、ゼカリヤ書の言葉も開きましたが、そこにはイエス・キリストが来られるずっと前にすでに救い主であるイエス様の到来と、イエス様の特徴、そしてイエス様が何をなさるのかが約束・預言されています。そして実現しました。あなたは何かに捕らわれていませんか。イエス様のもとへ行き、重荷を下ろして、イエス様のくびきを担うことで、毎週刷新されてイエス様と共に歩みませんか。祝福をお祈りいたします。
「シオンの娘よ、大いに喜べ、
エルサレムの娘よ、呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得、
柔和であって、ろばに乗る。
すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
わたしはエフライムから戦車を断ち、
エルサレムから軍馬を断つ。
また、いくさ弓も断たれる。
彼は国々の民に平和を告げ、
その政治は海から海に及び、
大川から地の果にまで及ぶ。あなたについてはまた、
ゼカリヤ9:9-12
あなたとの契約の血のゆえに、
わたしはかの水のない穴から、
あなたの捕われ人を解き放す。
望みをいだく捕われ人よ、あなたの城に帰れ。
わたしはきょうもなお告げて言う、
必ず倍して、あなたをもとに返すことを。」