ヨハネ10:11-18「良い羊飼い イエス・キリスト」

2024年4月28日(日)礼拝メッセージ

聖書 ヨハネ10:11-18
説教 「良い羊飼い イエス・キリスト」
メッセージ 堀部 舜 牧師

Stained glass at St John the Baptist's Anglican Church, Ashfield, New South Wales. Wikimedia Commons

【今週の聖書箇所】

 11わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。12羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。13彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。17父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。18だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

ヨハネ10:11-18

【ドイツ訪問】ドイツ訪問から無事に帰国しました。いろいろなトラブルもありながら、いつも不思議な助けを頂いて守られ、祈られていることを感じる、非常に密度の濃い11日間でした。お祈りを心から感謝いたします。

【ヴァルトブルク城】 里子牧師が高校時代に留学したゲッティンゲンから1-2時間の距離に、ヴァルトブルクという古城があります。1521年にマルティン・ルターが異端宣告を受けた後にかくまわれ、ドイツ語聖書を翻訳した場所です。1000年の歴史を持つ強力な君主であったことが分かりました。ヨーロッパ全土を巻き込んだ改革の大波の中で、ルターが聖書を翻訳した部屋が残されていました。

 その近郊に教会があり、ルターが一時期講壇に立ち、後に教会音楽家のヨハン・セバスチャン・バッハが洗礼を受けた教会です。とても立派で美しい教会でした。2階席・3階席の欄干に聖書の言葉が記してありましたが、古いものと新しいものが混ざっていました。ナチス・ドイツの時代にユダヤ人が迫害されましたが、その時に、ユダヤ的とされた旧約聖書など言葉が外されて、戦後に新しく作り直されたそうです。

【ベーテル】 里子牧師が大学時代に1年間過ごしたビーレフェルト市には、ベーテルという総合医療福祉施設があります。これは19世紀に産業化の波に取り残されていたてんかんの患者のための家から始まりました。現在はドイツ各地で17000人以上の職員が働いているそうです。ナチス政権下のドイツでは、障がい者が虐殺された時、ベーテルではキリスト教の立場から、障がい者の虐殺に反対し、多くの人々の命が守られたそうです。

 ナチス政権が、聖書の信仰をゆがめて、教会からユダヤ系牧師を追放し、教会を支配下に置こうとしました。これに対して、ドイツのプロテスタント教会の約1/3が集まって告白教会を組織し、教会闘争を展開しました。その神学的土台になったのがバルメン宣言です。▼ナチズムによる聖書の真理の歪曲と戦ったバルメン宣言の第1条では、聖書で証しされるイエス・キリストだけが、私たちが聞き従うべき唯一の神の言葉であることが宣言されます。そして、ヨハネ福音書から2つの聖句が掲げられます。[1]

ヨハネ14:6「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

もう一か所が、今日の聖書箇所の直前のヨハネ10章の箇所です。

ヨハネ10:7,9「そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。…わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。」

 主イエスは「羊の門」であり、「良い羊飼い」です。これは、キリストのみが救い主であり、聖書で預言された救い主であることを教えています。

【聖書の背景】 今日の聖書箇所の直前のヨハネ9章では、主イエスが、生まれつき目の見えない人の目を開きます。人々は、目が見えるようになった人を会堂から追放します。主イエスは彼に、ご自分がキリストであることを示します。▼宗教指導者たちは、主イエスに従う男を迫害しますが、主は彼を真理に導かれます。このことを主イエスが別の人々に説明された言葉が、「この私こそ羊の門である」「この私こそ良い羊飼いである」という言葉です。

【聖書の背景:「門」】 キリストが「門」であるという表現は、あまり聞き慣れないように思います。しかし、詩篇118篇の重要なキリスト預言の直前に、「主の門」という表現が出てきます。[2]

詩篇118:20「これは主の門である。正しい者はその内にはいるであろう。」

重要なキリスト預言の文脈であるこの箇所の「主の門」という言葉を、主ご自身にあてはめられたように思われます。

【聖書の背景:「良い羊飼い」】

「良い羊飼い」という言葉も、単なる「導き手」という以上に、「来るべき救い主」を指していると思われます。

旧約聖書で「羊飼い」のイメージが用いられている多くの箇所から、いくつかを紹介します。

①「良い羊飼い」としての神

①詩篇23:1をはじめとして、旧約聖書ではよく神ご自身が「羊飼い」と呼ばれます。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」。

②出エジプトにおける「羊飼い」のイメージ

②救いのモデルとなる出エジプトの出来事でも、神が羊の群れを導く姿に描かれました。

詩篇78:52-53「こうして神はおのれの民を羊のように引き出し、彼らを荒野で羊の群れのように導き、彼らを安らかに導かれたので彼らは恐れることがなかった。

羊飼いのイメージは、配慮に満ちた「神の導き」を表すと共に、群れを守るために獣や敵と「戦う」神の姿を表します。

③キリスト預言における「羊飼い」のイメージ

③そして、キリスト到来の預言です。

ミカ5:2,4「しかしベツレヘム・エフラタよ、…イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。…彼は主の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。

エゼキエル34:8,23「わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。…わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。

 このような旧約聖書のキリスト預言の文脈の中で、主イエスが言われた「良い羊飼い」という言葉は、単なる「導き手」という以上に「預言されていた救い主」という意味合いがあると考えられます。

11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 

 実際の羊飼いが命を落としたら、残された群れを守ることはできません。ここで言われている「良い羊飼い」とは、救い主キリストのことで、十字架の死のことを述べています。イエス・キリストは、神の民のためにご自分の命をお与えになる、まことの救い主です。

■【良い羊飼いは、自分の羊を知っている】

14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

ここに、主イエスと信仰者の関係性・愛の結びつきが表れています。これを一連の箇所で、言い換えられています。

【牧者は羊の名を呼ぶ】

3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

 ドイツのホスト・シスターは、「サミー」という名前の馬を所有しています。彼女は、サミーを名前で呼んで、決して「馬」とは呼びません。人間と同じように「彼」と呼びます。彼女にとって、サミーは家族です。彼女はサミーの気持ちが分かり、サミーも人間の気持ちが分かって寄り添ってくれるそうです。彼女はサミーに語りかけ、そこにはある種の心が通う関係があるようです。▼「名前で呼ぶ」「名前を知っている」とは、そういうことです。

【羊は牧者の声を聞き分ける】

羊飼いが羊を一頭一頭区別して見分けるだけでなく、羊たちも、羊飼いの声を聞き分けます。

▼音響機器のブランドにVictorという会社がありました。蓄音機の前に座って声に聞き入る小犬のロゴマークを覚えておられる方もおられると思います。商標にHis Master’s voice(彼のご主人の声)とあります。▽モデルとなった小犬のニッパーは、ある時、飼い主マークさんが亡くなり、その兄弟であったフランシスさんに引き取られます。ある時、蓄音機から聞こえてくる亡くなった飼い主のマークさんの声に、ニッパーがじっと耳を傾けていたそうです。この出来事から、画家であったフランシスさんがこのロゴの原画を書いたそうです。[3]

 実際の群れの羊たちは、羊飼いの声をよく聞き分けるそうです。3人の羊飼いが羊に水を飲ませているのを、旅人が見かけて、どうやって自分の羊を見分けるのか、不思議に思ったそうです。 一人の羊飼いがアラビア語で「わたしに従って来なさい(メナー)」と叫ぶと、30頭ほどの羊が集まりました。もう一人の羊飼いが「メナー」と言うと、40頭ほどの羊が従って来ました。しかし、残りの羊たちは、少しも注意を向けずに悠々と水を飲んでいました。旅人はとても驚き、3人目の羊飼いの所に行って、試しに彼のターバンと服を借りて着替え、「メナー」と叫びましたが、羊は振り向きませんでした。[4]

3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

【「知る」】 私たちが「神を知る」というとき、それは理性によって理解することではありません。聖書はむしろ、生まれながらの理性は神を認識することができないことを教えています。偉大な哲学者たちも、この理性の限界を認識しています。▼私たちが神を知覚することができる機能を、「霊性」と呼びます。私たちは、理性においてではなく、霊性において、神に出会うのです。神は霊であり、神の事柄は聖霊によってさとるのであり、聖霊が働きかける場所が、私たちの霊性です。

14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

 家族が互いに知り合うように、また、夫婦が深い一致と交わりを経験するように、父なる神と主イエスが一つであられるように、主イエスと私たち信仰者は、深い交わりの愛のきずなで結ばれています。それは、主イエスが私たちのためにご自分の命をお与えになるほどの愛です。

11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

■【教会の一体性】

16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 ここに、教会の一体性が明確に述べられています。聖書の元々の文脈では、「この囲いに属さないほかの羊たち」とは、ユダヤ人ではない、異邦人で信仰を持つ人々を指しています。私たちもそのような異邦人クリスチャンです。

 キリストこそ、ただ一人の牧者であり、教会は「一つの群れ」です。▼教会の一致の「目に見えるしるし」に、洗礼・聖餐・信仰の内容としての信仰告白を挙げることができると思います。

エペソ4:4-5「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。

 私たち夫妻は、ドイツ滞在中の礼拝は、ホスト・マザーと共にローマ・カトリックの教会に出席してきました。通常はローマ・カトリックの教会では、プロテスタントの洗礼を受けた私たちは、聖餐にあずかることができません。しかし、その教会では、プロテスタントの洗礼を受けた私たちも共に聖餐にあずからせて頂きました。キリストにある一致・キリストにあって「一つの群れ」「一人の牧者」であることを、具体的に表している実践だと思います。

 20世紀以降、キリスト教の諸教派の間の対話と理解が深まってきています。▼1965年にローマ・カトリック教会と、東方正教会の間で900年余り続いた相互破門が取り消されました。▼1999年に、ルーテル教会とローマ・カトリック教会の間で、義認の理解にはもはや齟齬はないとする「共同宣言」が出され、宗教改革500年を記念した共同の記念行事が持たれました。▼様々な問題・課題はありますが、これらの点に関しては、教会の一致(対話と相互理解と交わり)が前進している時代だとも言えるのではないかと思います。[5]

 神学をないがしろにして、仲良くするという問題ではありません。しかし、「一人の牧者」であるイエス・キリストのもとで、「一つの群れ」とされたのが教会です。主イエスの命によって買い取られた民の間に、本来分裂があってはなりません。聖書を学び、歴史を学び、本来あるべき姿は何であるかを心に留めて、共に歩んでいく者でありたいと思います。

■【ナチスから障がい者を守ったボーデルシュヴィング牧師】

 ベーテルの創立者の2代目フリードリヒ・フォン・ボーデルシュヴィングの生涯を紹介します。フリッツというあだ名で知られる子ボーデルシュヴィングは、1877年にベーテルで生まれます。プロテスタントの牧師となり、26歳でベーテルの副牧師となる。忍耐強く働き者のフリッツは、父と周囲の人々の間の関係を良好に保ち、絶大な信頼を得ました。第一次世界大戦中にベーテルには30の野戦病院ができ、3万人を超える負傷兵が収容されました。WWI敗戦後、ハイパーインフレーションの中でも多くの寄付が集まり、ベーテルの働きは次々と拡充されました。

フリードリヒ・フォン・ボーデルシュヴィング(子)牧師 Wikimedia Commonsより

 1933年にヒトラーが政権を取ると、教会の自由を求めた教会指導者の多くがナチスとの対決路線をとりましたが、フリッツはベーテルの人々を守るため、意識的に闘争を避け、ナチス幹部とも対話を続けました。

 ヒトラーは、優生思想に基づいて、社会に役立つ者を残し、役立たない者を抹殺しようとし、1939年、障がいを持つ人を安楽死させる法律を成立させました。41年に法律の実施を公式に通達しますが、その間にすでに7万人の障がい者が秘密裏に抹殺されていました。当時ベーテルでも6500人の人々がその対象となる危険がありました。

1941年患者たちの労働能力を問う申告書がベーテルに届きます。フリッツは迷わず、一切記入しないように指示し、ナチス幹部に抗議します。同僚の牧師が逮捕されますが、フリッツは著名な牧師であったため、逮捕は免れます。

1941年、18名の医師視察団がベーテルを訪れ、強制的に書類を奪い、患者の能力を記録していきました。この日、ヒトラーの側近の医師で保健衛生局の委員長であったブラント教授が、ちょうどベーテルに来ていました。すでに彼とやり取りを重ねていたフリッツは、二人きりで話をしました。その間にも、医師団は患者たちの診断を続けていました。

ブラント教授は安楽死の必要を理路整然と説きます:「抹殺されねばならないのは、もう社会に適応しなくなった者です。そのような不治の病をもったまま生きることは本人たちにも不幸せなのです。安楽死によって、彼らは幸せになるのです。それに、身内や親戚の物だって幸せなのです。さらに、国のため、多くの國人のために足手まといになっていますから、国にとっても良いことなのです。」

フリッツは話し始めます「この世の中には、生きるに値しない人とか、社会に不適応な人はおりません。神は決してそのような人間をおつくりになりませんでした。国家にとって有用か、国家の目的に合うかの問題は、人間個性の尺度にはそぐわないのです。…安楽死は神の掟に反します。それにキリスト教徒にとってこのような安楽死は非難されるべきです。なぜなら、イエス・キリストは一番みじめな人のために十字架にかかり、復活なさいました。国民を助けるために、何千という人々を犠牲にしてはなりません。それは大きな間違いです。他の健常な人たちを助けるという大義名分で、非人間的なことをすることは何人にも許されません。」「あなた方は世界のクリスチャンの信をなくします。もっと見えない敵が増えていきます。ドイツだけでなく、世界の信者が敵になります。」

3時間後、戦いに決着がつき、フリッツは「生涯で一番辛い戦い」に勝ちます。彼は、教授に、全ドイツでこの行為を停止するように要請した。

 医師団の訪問の噂は、たちまちベーテル中に広がり、多くの患者を恐怖に陥れました。フリッツは人々を励まし続け、直ちに手紙を書き、忍耐強く待ちました。1週間が過ぎ、2週間が過ぎても、人々を連れ去る抹殺者は現れず、ついに、ベーテルで障がい者抹殺の計画が打ち切られたことが、時と共にはっきりしました。

 1945年4月、WWIIが終結します。フレッツは翌46年1月に亡くなります。1948年6月、ナチスの医師であったブラント教授は、ニュルンベルクで国際医師犯罪裁判により絞首刑の判決を受け、処刑されます。ブラント教授は裁判の中で、唯一本気で警告してくれたのは、フレッツ・ボーデルシュヴィングであった、と述べています。[6]

 私たちはフレッツ・ボーデルシュヴィングの勇気の源に心を向けます。どのような時代の思想が押し寄せても、主イエスだけが唯一の「門」です。たとえ社会の流れがキリストに背いていても、キリストだけが救いに至る唯一の門です。▼また、キリストこそ、一人の魂のために、命を捨てた良い牧者です。全ての人は、キリストがご自分の命をお与えになった、尊い魂なのだということを覚えます。▼キリストこそ、激しい世の荒波の中で、私たちを導く良い羊飼いです。

■まとめ

 11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。…14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。…16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。…18だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。


[1] https://hokkochurch.com/church_barmen/ C.F.ヴィスロフ「現代神学小史」p81-83

[2] 直後の22節に「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった」とある。

[3] https://victor-store.jp/nipper

[4] 高野勝夫「キリスト教逸話例話集」p41-42

[5] 「ローマ・カトリックと宗教改革500年」https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/holyyear/reform500/

[6] 橋本孝「福祉の町ベーテル ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語」p109-193