使徒2:1-21「天よりの贈り物」

2024年5月19日(日)礼拝メッセージ

聖書 使徒2:1-21、エゼキエル37:1-10
説教 「天よりの贈り物」
メッセージ 堀部 里子 牧師

【今週の聖書箇所】

Juan Bautista Maíno: Pentecost (1620-1625), Wikimedia Commons

突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
…そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。

使徒の働き2:2-3、21

時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。

エゼキエル37:9-10

おはようございます。今日はペンテコステです。「ペンテコステ」はギリシャ語で「50番目(の日)」を意味する言葉に由来しています。イエス様は復活して40日目に天に昇られ、それから10日後、つまり40日+10日=50日後に、イエス様の言葉の通りに、集まり祈っていた弟子たちに聖霊が注がれたのです。聖霊が注がれたこと、そしてそれによって教会が誕生したことをお祝いするのがペンテコステです。キリスト教の暦では、クリスマスやイースターと並んで大きな行事です。

【聖霊の時代に生きる私たち】

聖霊とは一体何なのでしょうか。「三位一体の神」と言われますが、「なる神、なるキリスト、そして聖霊」この三つが一つです。聖霊は三位一体の神の一つのペルソナ(人格ならぬ神格)です。聖書の区分においては、キリスト誕生前の旧約聖書の時代は「父なる神の時代」、新約聖書の福音書の時代は「キリストの時代」、そして使徒の働きから現代までを「聖霊の時代」と言われます。私たちは聖霊の時代に生かされているのです。旧約聖書には、キリストの誕生が預言されていたように、聖霊がくだることも預言されていました。

イエス様自身は聖霊のことを「もう一人の助け主、慰め主、真理の御霊、あなたがたとともにおられる方、すべてのことを教え、思い起こさせてくださる方、世の誤りを明らかにする方」と呼んでいます。

「…わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。」(ヨハネ16:7)

ペンテコステを日本語では「聖霊降臨日」と言います。聖霊が降ったことによって新しいことが始まりました。そしてキリストを信じるものたちが心を一つにして神殿に集まり、食事をともにし協力体制を取りながら、礼拝をしていくシステムが出来て行きました。これが初代教会の誕生です。最初はユダヤ教の一派のように思われていました。

【ペンテコステの日に起こったこと】

今日読まれた聖書の箇所は、超自然的な出来事が起きた記事でした。現代を生きる私たちには信じ難いことで、自分と何の関係があるのだろうと思う方もおられるかもしれません。しかし、私たちの人生の起こる様々な問題、課題の問題突破の鍵が隠されているのです。聖書を読んで参りましょう。

「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると…」(2:1)五旬節はユダヤ教の三大祭りの一つで、穀物の収穫を祝う祭りです。過越し祭には収穫の初穂を捧げ、そして50日後、収穫の季節の終わりにまた感謝の祭りをささげました(レビ記23:15以下、申命記16:9以下参照)。そして時代を経て、もう一つの祭りの意味が加わりました。それは、モーセがシナイ山で神様から律法を授かったことを記念する神との契約の祭りと理解されるようになったのです。

過越し祭の時にイエス様は十字架で殺されてしまいました。復活したイエス様が弟子たちに現れ、昇天され、弟子たちにとっては激動の50日間でした。主の復活から50日後、弟子たちは一つの部屋に集まって他のイエス様に従っていた人たちと一緒に心を一つにして祈っていました(1:14)

「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。」(2:2-3)

その日はちょうどイエス様が昇天して10日目でした。弟子たちは毎日集まって、祈りながら過ごしていましたが、遂にイエス様が約束された聖霊が天から弟子たち一人ひとりに降った瞬間でした。聖霊はよく風に例えられますが、ここでは「激しい風が吹いてきたような音」とあります。

二年前、コイノニアでDVD鑑賞会を開催した時、「トランスフォーメーション」という海外のドキュメンタリー映像を皆で観ましたね。麻薬やマフィアがはびこった町や、占い師が力を持っていた町など、世界の幾つかの町が取り上げられ、そこに住むクリスチャンが祈り続け、実際に不思議な現象が起こり、変革が起こっていく映像でした。

その「トランスフォーメーション」の別のシリーズ映像を私は別の機会に観たのですが、アラスカかどこかの北極圏の小さな町の教会でいつものように集会がありました。教会の中にいた少人数のクリスチャンたちに聖霊が降りました。その瞬間、彼らは圧倒的な聖霊の臨在に満たされ、涙と共にひれ伏さざるを得なかったそうです。その時、音響を担当していた方がすぐに録音を始めました。その貴重な録音を聞きましたが、部屋の中で台風のようにものすごい風の吹き荒れる音がゴーゴーと鳴り響いていました。

正に弟子たちに聖霊が注いだ場面を思い出させました。誰にでもこのような現象が起こるとは限りませんが、目に見えない聖霊が、あえて私たちに分かるように音を立てて存在を現わしてくださることがあることを覚えたいと思います。

音だけでなく、弟子たちはそれぞれ自分たちが今まで学んだことのない言葉で話し始めました。

すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(2:4)

当時、多くのユダヤ人たちが周辺諸国に移り住むようになり、それぞれの土地で生まれ育ったユダヤ人たちがたくさん存在しました。そして、彼らはその土地でユダヤ人として信仰をを受け継ぎ、エルサレムに再移住してくる人も多かったようです。大きな物音を聞いた人たちが何があったのかを知るために集まって来ました。すると彼らは自分たちが生まれたの国の言葉を、無学な弟子たちが話すのを聞いてびっくりしてしまいました。

「そして驚き怪しんで言った、『見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。…』しかし、ほかの人たちはあざ笑って、『あの人たちは新しい酒で酔っているのだ』と言った。」(2:7-8、13)

【新しく始まったこと】

聖霊が降ったことによって新しいことが始まったと申し上げましたが、何が新しく始まったのでしょうか。

①新しい言葉

一つ目は、①新しい言葉(異言)が話されました。弟子たちは高等教育を受けたり、外国語を学んだことはありませんでした。

私は大学でドイツ語を専攻しましたが、外国語を学び習得するには一定の時間と練習が必須になります。世界の中にはいくつもの言語を習得する能力を持った方々もいますが、彼らのよると、どんなに早くても一つの言語を話すことができるまでに3ヶ月~半年はかかるようです。

聖霊という「天からの贈り物」を受け取った弟子たちは、学ぶ過程をすっとばして、聖霊によって新しい言語を話し始めたのです。異言と言いますが、現代でも異言を話す人たちがいます。私のクリスチャンの友人も従姉妹も異言が与えられています。またYouTubeで検索すると聖霊によって異言を語る世界のクリスチャンの方々の様子が出て来ます。異言は聖霊の賜物で、天からの贈り物で教会や周りの人たちの祝福のために用いられる必要があります。

②新しい人格

二つ目は、②新しい人格です。

「そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。『ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。』」(2:14-15)

ペテロと言えば、イエス様の筆頭弟子でしたが、イエス様が十字架に架かる時、自分を守るために大切な場面で逃げて、「イエス様なんか知らない」と三度否定した人物です。しかし、聖霊が注がれると、臆病さ丸出しだったペテロではなくなりました。他の弟子たちも同様です。見知らぬ人たちに向かって大胆に説教を始めたのです。聖霊がペテロや弟子たちの中に宿ることによって、彼らは力を得て、臆病と反対の人格に変えられました。本来自分が持っている性格の良いところは伸ばされ、弱かった部分と真反対の性質が神様によって与えられ強化されて行きます。これも聖霊によって与えられる大きな変化の一つです。

私自身は元々、恥ずかしがり屋で落ち着きがなく、人前に出て話すような性格ではありませんでした。何をするにも緊張し必ずお腹を壊しました。今回ドイツに行った時、会う人会う人に、「お腹は大丈夫?あなたはよくトイレを探してたよね」と言われたくらいです。でも神様の仕事をするように召されてから、緊張してもそれは聖なる緊張感に変わりました。またお腹が痛くてもコントロールできるようになっていったのです。

③新しい喜びといのち

新しいことの三つ目は、③新しい喜びといのちに満たされたことです。ダビデは「あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう」(2:28)と告白しました。ペテロが説教をして神様からの言葉を語った時、人々は心を刺され、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」(2:37)と質問しました。するとペテロは「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」(2:38)と勧めました。新しいいのちと喜びが内側に満ちるために、過去の罪との決別・清算が必要です。古いものが取り去られ、新しいものでいっぱいにするために心の掃除が必須になります。ペテロの説教を聞いて悔い改め、洗礼を受けた人たちは新しい喜びといのちに満たされました。

④ 新しい交わり――教会

新しいことの四つ目は、 ④新しく教会が始まったということです。「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」(2:44-47)

教会とは建物もそうですが、教会を構成する人が大切です。ペテロの説教を聞いた人たちは「神はありののままの私に向き合ってくださる私の神なんだ」と心動かされて、弟子たちの仲間になりました。そのように新しい生き方を一緒に始めていく群れ・共同体が形成されました。それが「教会の誕生」です。言葉や習慣、文化や民族、生活の違いは問題でなく、イエス・キリストの十字架と復活が私の生き方にかかわることだと信じる人々の群れが「教会」です。

ですから、ペンテコステのことを「教会の誕生日」とも呼びます。イエス様は昇天されましたが、イエス様の働きは、聖霊に満たされた弟子たちによって継続されていき、遠く離れた日本にも福音が届きました。何と感謝なことでしょうか。「聖霊のダイナミックな力」こそあらゆる問題解決の突破口です。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)

私たちも聖霊という「天よりの贈り物」をしっかりと受け取り、聖霊に満たされて、日々新しくされ、主のわざを期待して共に前進して参りましょう。