マタイ1:20-23「私たちと共におられる神」
2023年12月24日(日)クリスマス礼拝メッセージ
聖書 マタイの福音書1章20-23節
説教 「私たちと共におられる神
メッセージ 堀部 舜 牧師
【今週の聖書箇所】
20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
マタイ1:20-23
【挨拶】
メリークリスマス!クリスマスをともに祝えることを、心から感謝します。
▼1年を振り返ると、ここにおられる皆さんにも、本当にいろいろなことのあった1年でした。今年、ご結婚された方、ご家族が結婚された方、赤ちゃんが与えられている方、ご家族を亡くされた方、仕事や病気やその他様々な試練を通られた方もありました。▼世界では、コロナ禍が日常に近づき、戦争のニュースを聞き続けた1年でした。
「神には栄光、人々には平和」とあるように、クリスマスのメッセージは「平和:シャローム」です。▼しかし、この戦争の時代に、「キリストの平和」とは何を指すのでしょうか。▽私たち一人一人の生活でも、試練や転機がありますが、キリストがくださる「平和/平安:シャローム」とは、何でしょうか?――それは、クリスマスのもう一つのキーワード:インマヌエル「神がともにおられる」ということからくる「平安・平和」です。
【主イエスの時代】
イエス様が来られたのも、苦しみの時代でした。
▼①ローマ帝国の抑圧、②政治的な陰謀、③キリストの命を狙うヘロデ大王による幼児虐殺という深い暗闇の時代でした。また、救い主キリストが生まれたのは、華やかな王宮ではなく、人目につかない田舎の貧しい家畜小屋でした。
そんな時代に、主イエスの誕生はどうして「喜びの知らせ」だったのでしょうか。その時代の抑圧・陰謀・虐殺・貧困・無知は変わりません。幼子として来られた主イエスは、どのように「喜びと平和」をもたらすのでしょうか? その喜びと平和は、「神が共におられる」ことから出てきます。
短く3つのポイントでお話しします。
■【1.「人になった神」が共におられる】
「インマヌエル――神が私たちと共におられる」。その第一の意味は「『人になった神』が共におられる」ということです。
「人となる」ということは、お腹が空き、喉が渇き、仕事をすれば疲れ、人間関係の中で悲しみも喜びも寂しさも感じる、ということです。▼私たちは、食べ物のことや仕事やお金のこと、日常生活や人間関係の悩みは、もしかしたら、「俗っぽい」ことで、神にかかわる「聖なること」ではない、と感じるかもしれません。▽しかし、主イエスは「人となって」生活し、食事も仕事もお金も人間関係も、人々と共に歩まれました。神が人になられたなら、人間の生活の中に、神と無関係な領域は一つもありません。▼神様は私たちの生活のすべての領域に気を配ってくださり、必要を満たして下さいます。「神様にこんなことまで求めていいのかな」とためらう必要はありません。愛と信頼をもって神様に求めることができます。
■【2.「力ある神」が共におられる】
「インマヌエル――神が私たちと共におられる」。第2の意味は、全ての出来事を通して必ず計画を成し遂げる「『力ある神』が共におられる」ことです。
キリストの誕生は、はるか昔から預言されてきたことの成就でした。キリストは「ダビデの子孫から」「ベツレヘムで」「未婚の女性から」生まれました。
それは、神様の真実さ・忍耐強さ・約束の確かさを教えています。▼「神はあなたを忘れていない」。神は私たちのために良い計画をもっておられて、「神の計画は必ず成就する」。このことを心に留める時、目に見える状況は変わらなくても、私たちの心が変わります。喜びで満たされます。神が共におられて、神様が全てを支配しておられることを知る時、逆境は神のご計画の一部になり、苦しみには意味があることを知ります。その時、状況は変わらなくても、そこから目を上げて、苦難や逆境を受け止めて、神に信頼して歩むようにしてくださいます。
■【3.「交わりの神」が共におられる】
「インマヌエル――神が私たちと共におられる」。第3の意味は「人格的な『交わりの神』が共におられる」ことです。
主イエスは私たちと同じ人間として、しかも身分の低い庶民・近づきやすい幼子として生まれ、人々と共に生活されました。
主イエスは、マリアのお腹に宿り、家畜小屋にお生まれになりましたが、同じように、私たち一人一人の心の内にも誕生してくださいます。神が人になったので、人間のうちに神の霊が住むようになりました。▼聖霊は火に譬えられます。私たちが持つキャンドルライトは、聖霊の臨在を象徴します。私たち一人ひとりのうちに、キリストが住んでくださいます。
イエス様は私たちの内で、「わたしはここにいる」「大丈夫だよ」「わたしはあなたを愛しているよ」と語りかけ、人生を導き、励ましてくださいます。
■【私の神との出会い】
私は18歳の大学生の時に初めて教会に行きました。科学で証明できないことを信じなくなっていた私でしたが、勧められるままに、初めてイエス様のお名前で一人で祈った、次の朝、非常にはっきりとした夢を見て、そこから信仰の第一歩を歩み始めました。
でも、キリスト教って本当なのかな?聖書の教えは本当かな?という疑問は次第に厳しくなっていきました。
「信仰」とは何だろう?「罪」とは何だろう?最初はよく分かりませんでしたが、教えられたように祈りながら聖書を読み進めると、次第に聖書が分かるようになり、聖書が自分自身の事柄として心に響くようになりました。▽その後、自分の力では人を愛することができないと分かり、主イエスを、主イエスだけを、僕の救い主として信頼しました。大学2年の秋のことです。
当時、毎日聖書をノートに書き写して学んでいましたが、読んでも心に響いて来ず、心がとても飢え渇いていました。自分はイエス様を信じても、人を愛する愛は渇ききっている。そんな辛さの中でその年のクリスマスを迎えました。クリスマス集会の準備をしながら、書き写したノートを読み返していると、神様の愛が、そこにもここにも溢れんばかりに記されていました。私は泣きながら「神様、私の心は渇いています」と言いました。その時、聖霊が滝のように注がれて、聖霊が心に語りかけるのを感じました。「それでも、わたしは、あなたを愛している」。無力さと寂しさを押し流す、静かな、力強い愛が、私の心を満たしました。これならやっていけると感じました。
この経験以来、「神は本当にいるのか」とか「キリスト教は正しいのか」という疑問はなりました。私は、この愛のとりこになりました。この御声が聞きたくて、この愛に触れ、臨在に触れたくて、毎日、神様の前に出続けました。多くの失敗があり、もがきました。
もし私たちの側が準備が整うなら、神の側では、いつでも、惜しみなく愛を与えようとしておられます。私たちが神に信頼する時、いつでも神の愛を受け取ることができるのです。
■【まとめ・勧め】
皆さん、神を知りたいと願うなら、聖書と祈りが鍵です。聖霊ご自身が、私たちの心の目を開き、聖書を理解させてくださるのです。
・神様を知りたいでしょうか?神について聖書について疑問があるでしょうか?――その思いを神様にお話しするのです。
・神を拒む、かたくなな冷たい心があるでしょうか?――それをそのまま神様に申し上げて、神に心を変えて頂くのです。
・具体的な課題があるでしょうか?――その悩みを神にお話しして、神が取り扱って下さるのを信頼しましょう。自分自身を神にお捧げして、その課題を神に委ねて信頼する時、荷が軽くなっていることに気づきます。
・神を求める心を与えられているでしょうか?――その決意を固く持ち続け、聖書を読み・祈り・礼拝に集い、怠らずに神に従い続ける時に、神は遠からずご自身を現わして下さり、堅固な歩みを築くことができます。
【祈り】
一緒に祈りましょう。私が祈りますので、ぜひ心を合わせてお祈りください。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」(ローマ8:32)。
天のお父様、私のためにイエス様を与えて下さって、ありがとうございます。
・あなたを知りたいです。あなたを私にも表してください。
・聖書を理解させてください。神を信じることができるようにしてください。私に出会ってください。神を拒むかたくなな心を溶かしてください。
・主イエスが家畜小屋に生まれたように、私の心の中にも主イエスがお生まれください。
・私が悩んでいる課題を、あなたが導いて下さい。あなたに信頼します。あなたに委ねて、その重荷を担います。
主イエス・キリストのお名前で祈ります。 アーメン。