マタイ28:11-15「神の創造の喜び」
2025年4月27日(日)礼拝メッセージ
聖書 マタイ28:11-15
説教 「神の創造の喜び」
メッセージ 堀部 里子 牧師

見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。
イザヤ65:17-19
女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。」(
マタイ28:11-15
おはようございます。一ヶ月ほど前に調理をしていたら包丁で指を切ってしまいました。傷が深く治るまで思ったより時間がかかりました。すっかり治りましたが、できなくなったことが一つあります。それはスマートフォンの指紋認証です。違う指を登録し直さないといけないと思いましたが、新しく再生した指の皮に、以前と同じ指紋が現れてきて何回かに一回は指紋認証ができるようになりました。
神様は、人間の体の指紋一つに至るまで一人ひとりをユニークに創ってくださいました。怪我をしても再生する力も与えてくださいます。新しくされること、これは神様の創造の恵みではないでしょうか。神様は今日も私たちに「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マルコ1:11)とおっしゃってくださいます。
【番兵たちの存在】
イースターから一週間が経ちました。先週の礼拝で語られた御使いの言葉を覚えておられますか。御使いは、お墓に駆けつけた二人のマリアに言いました。
「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく。(マタイ28:5-7)
御使いのメッセージを二人のマリアだけが聞いていたのではありませんでした。お墓の前で番をしていた兵士たちも聞いていました。「見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。」(マタイ28:4)
番兵たちは、大きな地震が突如起こり、御使いが天から現れ、お墓の入口の石を動かしたことも見ていました。人間わざでないことが目の前で起こったので、恐ろしさのあまり震え上がり、硬直して動けなくなり、聖書には死人のようになったと記されているのです。またそれだけでなく、女性たちが御使いの言う通り弟子たちに知らせようとお墓を出発した時、「おはよう」と声をかけてくださったイエス様と出会いました。その様子も番兵たちは見ていたことでしょう。「これは大変なことになった」と番兵たちは、女性たちより先に一目散にエルサレムへ行ったのです。なぜ彼らはこんなに急いでエルサレムに行ったのでしょうか。
【番兵たちのメッセージ】
「女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した」(マタイ28:11)
「いっさいの出来事」とは、①大きな地震が起こって、②主の使いが天から降りて来て、③石をわきに転がし、④その石の上に座ったこと、⑤よみがえったイエス様が女性たちに声をかけていたことです。番兵たちはお墓の石が動いて、イエス様がお墓から出てくる様子をはっきりと見ました。
イエス様の復活を目撃した女性たちと、番兵たちの様子が実に対照的です。両者とも御使いに会い、イエス様の復活を知りましたが、番兵たちは恐れて死人のようになり、女性たちは恐れましたが大喜びで弟子たちのところに行って伝えました。
番兵たちは自分たちの身を守り、潔白を証明するために祭司長たちに事実を知らせました。当時は兵士が自分の任務中に自分の所定の場所を離れたり、囚人が逃亡したりしたら死刑になったからです。ですから番兵たちは、イエス様を十字架にかけた首謀者たちにところへ駆けつけ、密かに復活の事実を知らせたのです。
しかし、ユダを銀貨30枚で買収した祭司長たちは、番兵たちにもお金を与えて買収してしまいました。ここに宗教指導者たちの闇があります。
【祭司長たちのメッセージ】
「祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。」(マタイ28:12-13)
宗教指導者たちは、番兵たちに賄賂を与え、イエス様の復活の事実をないことにしようと偽りのメッセージに変えたのです。「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え」と命令されるわけですが、番兵たちは任務をちゃんと遂行していたのに不本意だったと思います。わざわざ死体が盗まれないため、イエスが復活したなどと吹聴されないようにと、番兵がお墓に配置されたのに、彼らが眠っていたとは何と言うことでしょうか。祭司長たちと長老たちも、イエス様の復活の事実を認めていることになります。彼らは真実を偽りに変えたことが罪だとはっきり知ってもいいはずです。
そして、もし番兵たちが任務中に眠ってしまったことが総督の耳に入るなら、大変なことになります。番兵たちは自分たちの責任が問われることを心配しましたが、身の安全を祭司長たちから保証され、嘘の噂を知らせることになりました。
「『万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう』。そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。」(マタイ28:14-15)
何ということでしょうか。この記事は四つの福音書の中で、マタイの福音書にしか記されていない出来事です。「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている」とユダヤ人のマタイが、第三者的に書いています。マタイが言っているユダヤ人とは、イエスを復活した救い主だと信じていない人たちを指しています。彼らは曲げられた偽りのメッセージを、マタイの福音書が記された一世紀後半の時点でも信じていました。マタイはユダヤ人として、噂の真実を明らかにしたのです。
お金の力と権力は、歴史の事実を曲げるほどに大きいことが分かります。ユダはイエス様を裏切りました。裏切った後も、真実の方に向き直るチャンスはあったにも関わらず、自ら死を選んでしまいました。罪の力は人間を滅びへと突き落とします。
「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。」(ヤコブ1:15)
【真実のメッセージ】
イエス・キリストの復活の事実は、救われた人には喜ばしい知らせですが、福音を信じない人には良くない知らせです。群衆は真実を受け入れるよりも、自分が信じたい宗教指導者たちの話に惑わされました。現代でも、多くの人がイエス様の復活の事実を信じ難いものと考えるかもしれませんが、真実は一つです。その真実のメッセージが伝えられていくことが、神の命の創造が拡がっていくことなのです。

【従兄弟の死を通して】
先週、信じがたいニュースが飛び込んできました。兄のように慕っていた一つ年上の従兄弟が交通事故で亡くなったという知らせでした。
私が大学生時代に、友人が事故で亡くなったことが知らされた時もイースターの直後でした。その当時の私は「イエス様は生き返ったのに、友人は生き返らないじゃないか」と神様に反発しました。あれから年月が経ちました。今の私は神様に反発こそしませんが、従兄弟の死の知らせを聞いて以来、悲しみが日毎に増し加わり、何も手につかずにいました。近年、従兄弟と疎遠になっていたことを後悔し、やり取りをしたメールや写真を何度も眺めては涙していました。しかし、私以上に大変辛いのは両親、兄弟です。
失意の内に神様が私に与えてくださった言葉があります。天から降りてくるようにストンと与えられました。「心を高く上げよ」という言葉でした。新聖歌50番の歌詞でした。聖餐式に歌われる賛美です。欄外に参照聖句があり、哀歌3:41に「れわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう。」とありました。それは私の心の悲しみと後悔と悔しさに対する神様からの答えでした。両手を上げることは、神に対して全面降伏と信頼を表します。私の心は神様に高く上げるものには相応しくないと思う中、そのままを神の御前に捧げようと思いました。
〈♪新聖歌50/讃美歌Ⅱ1「心を高くあげよう」〉
1.心を高く上げよう 主の御声に従い
ただ主のみを見上げて 心を高く上げよう
2.霧のような憂いも 闇のような恐れも
みな後ろに投げ捨て 心を高く上げよう
3.主から受けたすべてを 再び主に捧げて
聖き御名をほめつつ 心を高く上げよう
4.終りの日が来たなら さばきの座を見上げて
わが力の限りに 心を高く上げよう
昨日、従兄弟の葬儀が行われ、私は参列できませんでしたが、弔電を打ち夫婦でお祈りをしていました。昨晩、母と電話で話した時、キリスト教式で行われた葬儀は、主の慰めと愛に満ちていたことを聞きました。そして家族葬であるにも関わらず、知らせを聞いた従兄弟の同級生を始め、実に多くの方々が弔問に来て、葬儀にも両親の知らない人たちが半分くらい参加していたと聞きました。従兄弟の人生は、私の目には困難と試練と戦いの連続でしたが、同時にどんなに愛されていたかを知りました。また彼が撮った写真に聖書の御言葉が印刷され、教会の写真部で販売され、町の貧困家庭のために寄付されていたことなども初めて聞きました。
従兄弟の愛唱歌の一つが「イエスは勝利の主」という曲でした。葬儀の献花の時にも「勝利者」という曲が流されたそうです。従兄弟にとってイエス・キリストは、正に罪と死に勝利された「圧倒的な勝利者」であったでしょう。彼は、私たち親族がいつまでも悲しみ続けることを望んではいないと思います。従兄弟の祈りは彼の父であり、私の叔父の救い、そして親族の救いでした。私は新しく心を高く上げ、神様が「もういいよ」とおっしゃるまで、従兄弟の祈りを受け継いで地上の歩みを続け、天国での再会を待ち望みたいと思います。
「それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。」(Ⅱコリント4:14)
イエス様は復活され、栄光の体で弟子たちに再会されました。私たちの肉体もいつかは朽ちますが、イエス様がよみがえられたように、創造主である神が私たちにもその恵みを注ぎ、全てを新しくしてくださいます。今日開かれたもう一つの箇所を見てみましょう。
「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。」(イザヤ65:17-19)
神は、破壊されたエルサレムを単なる復興や再建、再生でなく、全く新しくしてくださる方です。すべての罪と死の束縛がない世界です。神様が創造される新しい天と新しい地は神の国であり、神の民は祝福を味わうことになります。新しい天と新しい地を約束された神を信じて歩む人は、「♪日々主と歩めば御国のここちす」と賛美にあるように祝福を味わうでしょう。
【イエス様のメッセージ】
復活されたイエス様が天に昇られる前、弟子たちに託された最後のメッセージを見てみましょう。今日読まれた箇所の続きにあります。
「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ28:19-20)
人の命の始まりも終わりも主の御手の中にあります。そして、地上における神の国の拡がりも創造の祝福です。イエス様は、世の終わりまで共にいてくださる約束を私たちにくださいました。この約束を握り、共に祝福を受け継ぐ者とならせていただきましょう。