マタイ6:33-34「明日のことは心配ご無用!」
聖書 マタイ6:33-34
説教 「明日のことは心配ご無用!」
メッセージ 堀部 舜 牧師

33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイ6:33-34
新聖歌349「移り行く時の間も」Day by Day
私が最も好きな讃美歌の一つが、新聖歌349番「移り行く時の間も」です。作詞者のカロリーナ・サンデルさんは、スウェーデンのルター派の牧師の娘として生まれ、お父さんととても親しかったそうです。ところが26歳の時、フェリーで湖を渡っていた時に、船が突然揺れて、一緒に乗船していたお父さんが湖に投げ出されて、目の前で亡くなってしまいます。彼女がその数年後に書いた讃美歌が「移り行く時の間も」です。
1. Day by day and with each passing moment,
Strength I find to meet my trials here;日々刻刻、私はこの試練に耐える力を下さる。
彼女が一日一日、一瞬一瞬を神様により頼みながら、この試練の時を過ごしていった様子が感じられます。
Trusting in my Father's wise bestowment,
I've no cause for worry or for fear.父なる神の、知恵深い賜物に信頼すれば、
私は心配したり恐れたりする必要はない。
ここに、神様への深い信頼が表れています。父親の死という最も厳しい試練の中で、彼女は神様との愛の交わりの中に歩みました。
He whose heart is kind beyond all measure
Gives unto each day what He deems best—計り知れないほど優しい神様は、
日々、最も良いとお考えになるものをくださる。
彼女が経験した日々は、厳しい試練でした。しかしそれを神の御手から受けた時に、その内に最も良い神の愛があることを、神の内にあって認めるようになりました。
Lovingly, its part of pain and pleasure,
Mingling toil with peace and rest.愛をこめて、苦しみと喜びとを与え、
労苦に平安と安息を織り交ぜてくださる。
彼女は現実から目を反らしません。そこには痛みがあり、喜びがありました。そのどちらもが、神の愛の御手から与えられた者でした。そして、深い悲しみの中に歩んだ労苦の内に、神が下さった平安と安息があったことを告白します。
2. ... All my cares He fain would bear, and cheer me,
The protection of His child and treasure
Is a charge that on Himself He laid;私の全ての思い煩いを、主は喜んで担い、私を励ます。
神の宝である子どもたちの守りは、主がご自身に課せられた責任。
ここに、彼女が聞いた聖書の約束があります。神は私たちをご自分の宝・愛する子どもとして、ご自分にかけて、その務めを果たされます。
3. Help me then in every tribulation
So to trust Thy promises, O Lord,
That I lose not faith's sweet consolation
Offered me within Thy holy Word.だから主よ、全ての試練の時に、
私があなたの約束を信頼するように、私を助けて下さい。
あなたの聖なる言葉によって与えられる信仰の甘美な慰めを、
私が失うことがないように。
厳しい試練の中で、彼女が聖書の言葉から大きな慰めを受けていたかが表れています。カロリーナ・サンデルは、スウェーデンのリバイバルの中で600曲以上の讃美歌を残したそうです。[①]

イエス・キリストの幸福
マタイ6:33-34 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
主イエスはこの教えをガリラヤの丘の上で語られました(山上の説教)。直前の箇所には、花や鳥の様子が出てきます。ガリラヤは緑が豊かで、クロッカス、アネモネ、グラジオラスなどの色とりどりの花が咲き誇り、小鳥たちがさえずる美しい自然の中で話されました。
マタイ6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。…
マタイ6:28-30 …野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。29…栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。…

主イエスと弟子たちの生活は、労苦の尽きないものでした。群衆たちの中で多くの必要に答えて、休む時間さえままならない働きの中にありました。生活の基盤のある場所を離れ、ある弟子たちは生活の糧を得るための網を置き、取税人の職を離れて主イエスに従いました。人々の家に寄留して、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言われた放浪の生活でした(8:20)。
しかし、主イエスは神様に深く信頼していました。神様が私たちに全ての必要を与えて下さる良い方であることを、全く信頼しておられました。ここに、神の子としての全き信頼があります。▼主イエスは神を「父」と呼ばれました。子どもは父親が自分のために必要を与えてくれることを信じて疑いません。そのように、主イエスは天の父がすべての具体的な必要を満たして下さることを信頼しておられました。この信頼において、父と子は一つでありました。
そして、弟子たちにもその信頼を教えました。この神様のご配慮の行き届いた支配こそ神の国であり、全き信頼こそ、そこに生きる弟子たちの姿です。主イエスは、神の国で、神と共に生きる生き方を身をもって示し、弟子たちに教えられました。ここに真の幸福があります。主イエスは神の支配の内を全き信頼をもって歩み、神と共に生きる幸福の内を歩まれた方でした。[②]
1.神の国と神の義
マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
「逆転人生」三谷康人さん
カネボウ薬品の元社長であった三谷康人さんは、仕事第一の人生から神を第一にする人生に変えられた人でした。奥さんの君子さんは、結婚後まもなく信仰を持つようになり、自宅で集会を始めて、牧師になります。三谷さんは工場勤務の傍ら、妻の牧会する家の教会を手伝いながら求道をしていました。
33歳の時、転任先の社宅で家の教会を開きますが、ある新興宗教が社内に広まったために、社内での宗教活動を禁止します。ところが、三谷さん自身が社宅で家の教会をすることに批判が出たため、三谷さんは家の教会を「やめさせる」と答えます。真剣に求道していた三谷さんは、そのとたんに心が苦しくなりました。自分がキリストを裏切ったという気持ちで、仕事も手に着かず、頭はまっ白になり、苦悩のどん底に突き落とされました。牧師である奥さんに励まされて、「自分の力ではもはやどうすることもできません」と自分を投げ出して、その日までのキリストへの反抗を心から悔い改め、「主よ、信じます」と言うことができ、とめどなく涙が流れました。その夜、近所の信徒の人たちも集まり、牧師である奥さんから洗礼を受けられました。すると、つい今しがたまで心が苦悩し、どうしようもなかったのが、スーっと平安になり、喜びへと変わっていったそうです。妻から、「仕事も人生も命も主にすべてささげますか」と聞かれ、「はい」と答えました。キリストを信じ、仕事も人生も主にささげ切った時に、「すべてが終わった」と、神様が自分に語って下さったと信じました。苦しかった心の中の葛藤は平安に変わり、悲しみは喜びに代わりました。仕事を通して、自己矛盾するような、厳しい苦しみの道を通ったが、主は信じる者に本当の喜び、平安を与えて下さることを知ったと述べています。[③]
クリスチャンになった康人さんに、妻の君子さんは言いました。「主に喜ばれるように行動して下さい。そして、主の証人そちえ歩んでください。出世してくださいとは言いません。もし、会社で首になるようでしたら辞めてきなさい。一緒に伝道しましょう。」康人さんは、キリストを信じて受け入れ、仕事も人生もささげますと決意してから、人生の見方や感じ方が大きく変わりました。ビジネス生活の中で、①平安、②力、③愛が与えられることを強く感じました。そして、物の見方が変わり、行動を起こす時の判断基準が変わりました。「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。」(ガラテヤ1:10)[④]
三谷さんは、45年のビジネスマン人生で3回の降格と左遷を経験しました。1度目は30代の時に、会社の全役員が退任した社長の交代劇のとばっちりを受けての左遷でした。2回目はオイルショックの不況の赤字を責任を取って、全役員と共に2回の降格と大幅減給となりました。3回目は、自分の良心に従って、不正に関与することを拒否して、上司に求められた書類へのサインを拒んだ後で、赤字会社への出向を命じられた時でした。しかし、3回の降格と左遷に会っても、心は平安であったと言います。人生に失望することも、会社や上司に不満を持つこともありませんでした。クリスチャンとして、自分の人生、仕事もすべて神にささげ、ゆだね切っていたために、どのような道を通されても不満はなかった。むしろ、平安の中にあって、主に導かれている喜びすらあった、と述べています。[⑤]
彼のビジネス人生を見てきたカネボウ本社の名誉会長が述べています。「三谷康人くんは、ビジネスマンとしては、まことに異色の人であった。歴史があり、多くの事業をかかえている企業には、古くからのしきたりがあったり、サラリーマン社会につきものの「出世競争」「事なかれ主義」がある。…三谷君は、そのしきたりや、「出世競争」や、「事なかれ主義」に決して流されなかった。…三谷君(の)鐘紡生活…は、…考えようによっては、暗くジメジメし、失敗の「半生記」になりかねないエピソードにあふれている。…ビジネス社会の厳しい「掟」、成果主義により、幾度か降格、左遷に会いながら、少しも悲観、絶望せず、真正面からこれに取り組んでいった。▼三谷君の悲しい顔、苦しみに悩んだ顔に私は会った事がない。いつも変わらぬおだやかな口調で話し、意見や書簡を提出してきた時、その末尾に必ず「聖書」のことばが書き記されていた。本書を読み、やっと三谷君が解った。三谷君は一人ではなかったのだ。三谷君と共に君子夫人が居り、その君子夫人を通して、三谷君は熱烈なクリスチャンとなり、常に「神」に祈りながら生き抜いていたのだ。」[⑥]
「神の国と神の義」を第一にする
(1)神信仰を否定しない
私たちにとって、「まず神の国と神の義とを求める」とは、どういうことでしょうか?三谷さんがクリスチャンになってまもなく直面したのは、鐘紡神社での安全祈願でした。鐘紡では、伝統的に三谷さんの当時の職務である人事課長が神社参拝を取り仕切っていました。ある時、彼は本社に呼び出されて「信仰を取るのか、仕事を取るのか、信仰を取るなら、仕事を辞めなければならないかもしれない」と問われ、「私は信仰を取ります」と答えました。[⑦]これは、「神の国と神の義を求める」という中で、非常に基本的な選択です。しかし、これだけではありませんでした。
(2)不正を拒否する。
マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。
彼の生涯で問われたもう一つの点は、不正を拒否することでした。上司から「君はクリスチャンだから、純粋で清いことを求めるが、現在の社会は、上位職になればなるほど、清濁合わせ飲まないと出世しないよ。」と言われます。そして、上司から、ある書類に判を押すことを求められた時、おそらく何らかの不正にかかわる内容だったと思います。三谷さんは、「人に喜ばれる道ではなく、神に喜ばれる道を選び」、上司の願いをきっぱりと断りました。すると一カ月後、赤字会社への出向命令が出ました。[⑧]▼私たちは、人に喜ばれることを願うよりも、神に喜ばれることを願うでしょうか?そのために、上司から疎まれ、出向という現実的な代価を払うことも受け止めるでしょうか。▼「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」神の道に従えば、悪いことは起こらない、というのではありません。むしろしばしば圧迫を受けたり不利益を味わうことを、聖書も歴史も示しています。しかし、三谷さんは左遷された先で、涙の谷が喜びの泉に変えられる神の祝福を経験します。それがマタイ6:33の御言葉の約束ではないでしょうか。
(3)「事なかれ主義」に流されない
マタイ6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。
神様を第一にすることが、三谷さんにもたらしたことの中で、見落とせないことがあります。それは、上司であるカネボウ本社元社長が彼を評したように、組織の「しきたり」や「事なかれ主義」に流されなかったことです。
三谷さんは、クリスチャンになって、物事が素直に見えるようになったと言います。「組織の中で、その雰囲気や、組織の持っている無言の取り決めのようなものに縛られて、冷静に考えるとおかしいことでも、それをおかしいと感じない危険性がある」と三谷さんは言います。例えば、上司のメンツをつぶしてはいけないとか、新しい革新的なことを提案すると反対されたり、チームワークを乱すものとして排除されるので、組織の輪を優先させるとかである。その本質を見抜いて、データと経営理論に基づいて具体的な変革を導いていきました[⑨]。神を第一として、組織にあっては自分の立身出世や保身ではなく、本当に互いの祝福を求めて、原理原則を揺るがせなかったその姿勢が、組織のひずみに気付き、それを変革する勇気を与え、人々を生かす改革を導く力となりました。
(4)祈りと専門知識
マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
「神の国を求めれば、必要なものはすべて与えられる」という約束は、社会での働きに必要な専門知識や能力を軽視するものでは決してありません。
実際の信仰者の歩みで、失敗することがかなり多いと感じるのは、祈りと専門性の両立です。ある人は、熱心に祈るけれど、実際の課題を解決するのに必要な専門知識や能力が不足している。別の人は、専門性を磨くのには熱心でも、あまり祈らない。このように偏ってしまうことが非常に多いのです。
聖書で偉大な働きを成し遂げた人物は、しばしば非常に優れた知恵や専門知識を持った人々でした。族長ヨセフやダニエル、モーセやエズラ、ネヘミヤなどです。
神の国の働きが、専門的な知識や能力なしで、祈りだけで進められるというのは、通常の聖書的方法ではありません。私たちも何かをなそうとするならば、必ず多くの努力と学びを必要とします。誰かを愛そうとするなら、時間を割かなければなりません。相手が何かの必要や課題を抱えているならば、具体的にそれを理解し、対応しなければなりません。それを怠るならば、物事が動かないのは当たり前のことです。適切に理解し、適切に行動することで、物事は動きます。祈りの力は、そのプロセス全体に働いて、必要な助け手に出会わせ、気付きや知識を与え、導きによって成功へと導きます。
適用
私たちが「まず神の国と神の義を求める」時に、神が働いてくださいます。私は、物事がうまくいっていない、空回りしていると感じる時、まず、自分自身が神様に捧げ抜いているかを顧みます。自分の献身が退いていないか、恐れたり不安になったりして、自分のことが第一になっていないか、御言葉から離れているところがないかを確認します。多くの場合、人を恐れたり、労苦の大きさにしり込みして自分の献身が退いた時に、神様の祝福を失っていることに気付くのです。
でも、そうでないならば、三谷さんも人生で何度か経験したように、組織や社会の大きな流れに巻き込まれたり、他人の悪意によって不遇を経験する時は、主に身を委ねましょう。
1ペテロ4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。
1ペテロ5:6 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
2.明日のことを心配しなくて良い
マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
ビートルズの有名な歌に、Let it beがあります。
When l find myself in times of trouble
私が困難の中にいる時、Mother Mary comes to me
母マリアが私にやって来てSpeaking words of wisdom, Let it be
知恵深い言葉を語った。「あるがままに受け止めなさい」と。
作詞の背景としては、ビートルズが分裂の危機にあった時に、作詞者ポール・マッカートニーの亡き母マリアが夢の中で彼に言った言葉だったそうです。しかし、歌詞そのものは、主イエスの母マリアの言葉を思わせる言葉遣いになっています。ビートルズの歌では、「起こる出来事をあるがままに受け止めなさい」という受動的な意味にとれますが、聖書の母マリアの本来の文脈では、ルカ1:38「お言葉どおりこの身に成りますように」という、深い神への信頼の言葉が、Let it beと訳されています。ケセラセラ「なるようになる」ではありません。母マリアが、命の代価を払うことになるかもしれない場面で、「お言葉どおりこの身に成りますように」という神への全き献身と信頼を告げている言葉です。
三谷さんは、仕事も人生も神様に捧げ切った時に、すっきりと全ての不安や思い煩いが消えて、「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」に覆われました(ピリピ4:7)。私たちも、信頼と献身をもって「神の国と神の義」を第一にする時に、主の平安と導きの内に守って頂くことができます。
マタイ6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
「お言葉どおりこの身に成りますように」と信頼して、主について参りましょう。

まとめ
1ペテロ5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
全ての思い煩いを、主の前に持っていきましょう。そして、今日一日、主にあってなすべき事柄・使命に集中しましょう。「一日の苦労は、その日一日だけで十分である」のです。そして、一日を終える時、感謝をもって床に就き、安眠の中で一日の疲れを取って頂き、希望を持って朝を迎えることができますように。
主の祈りをもって、主に教えられたように神様を信頼して、歩んでまいりましょう。
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
[①] https://en.wikipedia.org/wiki/Day_by_Day_(hymn)
https://en.wikipedia.org/wiki/Lina_Sandell
[②] N. T. Wright, ”Matthew for Everyone” Matt. 6:25-34
[③] 三谷康人「逆転人生」第2章 キリストとの出会い 9 進退きわまる、10 洗礼
[④] 三谷康人「逆転人生」第3章 生まれ変わったビジネスマンの歩み 1 出世より神第一
[⑤] 三谷康人「逆転人生」第3章 生まれ変わったビジネスマンの歩み 12 降格されても平安
[⑥] 三谷康人「逆転人生」 推薦のことば 「神に対しての祈りに徹したビジネスマン――三谷康人君」鐘紡(株)名誉会長 伊藤淳二
[⑦] 三谷康人「逆転人生」第3章 生まれ変わったビジネスマンの歩み 3 仕事か信仰か
[⑧] 三谷康人「逆転人生」第3章 生まれ変わったビジネスマンの歩み 14 上司の頼みを断る
[⑨] 三谷康人「逆転人生」第3章 生まれ変わったビジネスマンの歩み 9 化粧品部門のひずみ


