出エジプト記17:1-7「いのちの水を求めて」
2025年10月12日(日) 礼拝メッセージ
聖書 出エジプト17:1-7
説教 「いのちの水を求めて」
メッセージ 堀部 里子 牧師

6見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。7そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。
出エジプト記17:6-7
1そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、2どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。3何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。4おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。5キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。…13あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
ピリピ2:1-5,13
おはようございます。今朝はファミリー礼拝で、午後は祈いつつ待ち望んで準備してきた「ファミリーコンサート」が開催されます。主に期待をして過ごして参りましょう。
荒野へ送り出される
国や文化の違いによって、翻訳される言葉のニュアンスが変わって来るという現象があります。例えば、「木漏れ日」という日本語は、「木の葉の間から差し込む太陽の光」の意味ですが、この言葉は外国語では一語では表現しにくい言葉の一つで、日本人の自然に対する繊細な観察と美意識が現れているそうです。
一方で、日本語の聖書で「荒野」と訳される言葉が、旧約聖書のヘブル語では幾つかあります。イスラエルという国がいかに「荒野」と密接であるかが分かるのではないでしょうか。
①מִדְבָּרミドゥヴァル:砂漠の近くにある乾燥地帯を指す。
②עֲרָבָהアラヴァー:人里離れた乾燥地帯のこと。砂漠。
③חָרְבָּהホルバー:荒れ果てた地、捨てられた地。また破壊され再建できない廃墟などを表す。
④צִיָּהツィヤ:水のない地
今朝開かれた17章の「荒野」は①מִדְבָּרミドゥヴァルという言葉が使われています。荒野は水や食べ物がなければ、飢え死にしてしまう場所です。また孤独の戦いが強いられる試練の場所でもあります。
先日、友人から連絡があり、9月から東京勤務になったそうです。「都会は孤独だ」と言っていました。友人にとって、東京で仕事をすることはいきなり「荒野」に放りだされた気持ちになっているのかもしれません。落ち着いたら友人に会いに行ってこようと思います。

「荒野の泉」との出会い
私が神学校一年生の時に、「荒野の泉」というデボーションガイドをいただきました。私が多くの慰めと力を得た本の一つです。著者のレティー・カウマンは夫と共に宣教師として1901年に日本で活動を始めましたが、夫チャールズが病を患いました。荒野の旅路を余儀なくされたレティーは病床に伏した夫を励ますため、また自らの信仰を支えるために、毎日少しずつ文章や詩、聖書の言葉を書き綴っていきました。深い試練と苦しみの中で書かれた文章の一部を紹介いたします。
神はしばしばわたしたちの金を試みるために、それをるつぼの中に投げこんでかすや、不純物を取り除きなさる。もし、人生の海を波立たせる暴風がイエスを信ずる者をさらに貴き者とするならば、わたしたちはどんなに幸福なことであろう。キリストがおられない静かな海よりも、波とともに暴風の中にいる方がましである。もし神があなたがたの生涯を苦痛によらずして円熟させることができたとしたならば、どうであろう。
荒野の泉p.271
神の子であるイエス様も、洗礼を受けた直後に、聖霊に導かれて「荒野」へと送り出されました。荒野において、様々な困難と出会うとき、私たちがどのような反応をするかによって結果が変わってきます。今朝は「荒野で水を求めて叫ぶ声」から学びたいと思います。
飲み水がない!
「イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。」(出エジプト記17:1)
イスラエルの民は、シンの荒野を旅立ち、レフィディムで宿営しました。レフィディムはシンの荒野とシナイ山の間にある、シナイ半島最大のオアシスでした。ところが民が到着するとそこには期待していた飲み水がありませんでした。追って来るエジプト軍を神様が、紅海を分けて救い出された直後にも水不足はありました(15:22-25)。水は生きるためには必須で死活問題です。今回も「それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。(出エジプト記17:2)
私はこの争いは不必要な争いだったと思います。モーセが総勢200万の民に水を与えられるのでしょうか。モーセは民に「なぜ主を試みるのか」と言いましたが、言い換えると「なぜあなたたちは主を信頼して待ち望まないのか。主はあなたたちを奴隷状態から救い、エジプト軍からも救い、荒野へと導いた方だ。荒野で養ってくださるのも主ではないか」です。
しかし、民はモーセの言うことに耳を貸しません。「民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、『あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか』」。(出エジプト記17:3)
イスラエルの民は飲み水がないことで、エジプトを恋しがり、過去の奇跡と先に用意されている祝福の約束を忘れ、渇きからくる死を恐れました。モーセ自身が民を導くために一番喉を使い、渇いていたはずです。もしイスラエルの民がモーセに、「民全体で一緒に神様に水を求めて祈りましょう」と言ったとしたら争う必要はなかったのではないでしょうか。
「このときモーセは主に叫んで言った、『わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています』。」(出エジプト記17:4)主に叫ぶとすぐに答えが来ました。
「主はモーセに言われた、『あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる』。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。」(出エジプト記17:5-6)
「イスラエルの民の不平不満」と「モーセが神の叫んだ祈り」がとても対照的です。神様はレフィディムに水がないとご存じでしたが、イスラエルの民をそこへ導かれました。

神が導かれた場所
私たちは苦難・困難に直面すると、すぐにつぶやく傾向がないでしょうか。信仰の試練が与えられる時に先ず覚えたいことは、神様が私たちをそこへ導かれたということです。
つぶやきは不信仰を招き、不信仰は争いを招きます。イスラエルの民の不信仰がモーセを苦しめました。彼らはモーセに水がない責任を押し付け、咎めました。なぜなら、モーセが彼らをエジプトから荒野に導きだした張本人だったからです。「水を出す奇跡を見せろ」という気持ちもあったかもしれません。神様にしか出来ない奇跡を、目に見える指導者に求めたのです。モーセは民の非難は主に対する非難だと指摘しました。それは神様の計画が分からないために、約束された真実に疑いを抱いていることになります。
神様は私たちに主を信頼し、忍耐させ、成長させるために試み・苦難を与えられる方です。神が導かれたなら、神のなさるわざを共に見させていただきたいと思います。
神が避けどころ
モーセが苦難に直面した時、神様が避けどころになりました。「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。」(4)というモーセの神様への訴えはそのまま切実な祈りとなりました。モーセは自分自身に民に水を与える力がないことを知っていました。だからこそ自分の足りなさを隠さず、神様だけが私も民も救ってくださるという信仰を示しました。
人は自分に対して非難の言葉があったとき、怒って瞬間的に反応してしまうことがあります。その後には大きな後悔もついてきます。一番良い方法は何よりも先ず主の御前に出ることです。遅くなっても大丈夫です。そして、祈るときに神様の心を神様が分かち合ってくださいます。神の子どもたちが苦しむ時、神様が沈黙しているように思える時も、共に神様も苦しんでおられ、その先にある祝福を見るようにと導いてくださいます。
モーセの前に立つ神
「主はモーセに言われた、『あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる』。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。」(出エジプト記17:5-6)
神様はモーセに「つえを手に取って行きなさい」とおっしゃいました。「杖」とはモーセが神様に呼び出される前、羊飼いの時代からずっと手にしていた杖です。モーセが主の命令に対して、自分の弱さと現実を並べ立て、尻込みをしていた時、神様が「あなたの手にあるそれは何か」(出エジプト記4:2)と尋ねたのです。この杖を通して神様は奇跡を起こされました。初心を思い出させるかのように、その杖をもう一度手に取り、行けと神はモーセにおっしゃいます。行く先の「ホレブの岩」で、神御自身が「わたしは…あなたの前に立つ」とおっしゃいました。ヘブル語を直訳すると「神はモーセが打つ岩にご自身を立てられ、ご自身が打たれるように差し出された」となります。つまり、民の飲み水のために神が「わたしを打ちなさい」と命令されたのです。この言葉は「十字架で打たれたイエス・キリスト」を彷彿させます。
パウロはⅠコリント10:1-4で次のように言っています。「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」
そして、イエス様は「命の水」を飲むようにと招いておられます。
「祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、『だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』」。(ヨハネ7:37-38)「…わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4:14)。水は一度飲んで終わりでなく、飲み続けなければいけないものです。だからこそ涸れない泉が必要です。

二つの名前
「そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。」(出エジプト記17:7)
モーセが岩を打って水が出た場所にモーセは二つの名前を付けました。一つ目は「マサ」で、「試み」という意味です。二つ目は「メリバ」で「争い」という意味です。最初のマサは神様の民に対する行動がそのまま名前になり、二つ目のメリバは民が神様にとった態度が名前になっています。イスラエルの民は神様が、彼らの只中にいて約束されたことを行うことを信じることができませんでした。私たちは例え、マサ(試み)の中にあっても、それがメリバ(争い)で終わらないようにしたいと思います。
苦難に対する私たちの二つの態度
私たち夫婦に「リビングライフ」を毎月二冊送ってくださる方がおられました。今は定期購読をして夫婦で共に朝のデボーションで恵みを分かち合っています。御言葉の説明の後に「黙想エッセイ」があるのですが、ある日の文章を紹介いたします。
神様は作品を造るときに、苦難という材料を使われます。苦難にあうと、私たちは『神様、なぜ私をこのように苦しめるのですか』と恨みますが、神様が最高の作家であることを覚えなければなりません。神様が必要だと思われたからこそ苦難がやってきたのに、私たちが反論することができるでしょうか。私たちにできることは、忍耐することだけです。今は良くても死ぬほど苦労する人生ではなく、今はつらくても終わりの良い人生となるように生きましょう。…
リビングライフ2023年3月号・耐え抜く力、打ち勝つ恵みより
現実の苦難に対する態度で結果が変わります。不平不満は不信仰を生み出し、不信仰は争いを生み出します。しかし、「神に叫び求める」という別の方法が私たちには与えられていることを改めて覚えたいと思います。水のあるべき所にない時こそ、「信仰を輝かせるチャンス」です。神がその場所へ導き、そこで「いのちの水」を飲むように招かれていることを確信いたしましょう。信仰を持っているということは、頼るべき人、頼るべきものがない時に神を頼って苦しみを克服する人ではないでしょうか。追い込まれても絶望せず神を見上げたいと思います。信仰によって捧げる祈りは、尊い実を必ず結びます。
あなたは心に飢え渇きを覚えていないでしょうか。皆様の新しい一週間が豊かな主の希望と聖霊による神様の愛に満ちあふれていますように。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)
「…患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ5:3-5)
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント10:13)


