創世記12:1-9「祝福の基となるように」
2025年6月22日(日) 礼拝メッセージ
聖書 創世記12:1-9
説教 「祝福の基となるように」
メッセージ 堀部 里子 牧師

1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
創世記12:1-3
13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。14もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。…16このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、…彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。
ローマ4:13-14,16,18
おはようございます。先週は梅雨に入ったとは思えないほど真夏日が続きましたが、お元気でしたか。今朝、米軍がイランの三つの核施設を攻撃したとトランプ大統領がSNSで発表したとのこと。私たちがこのように礼拝している間もどこかで戦いがあることに心が痛みます。祈りをもってメッセージに入りたいと思います。
【祝福を祈る】
神学校4年生になり、雑居ビルの一室にある無牧の教会に一年間派遣されていたときのことです。夏の修養会の開催のために、プログラムのたたき台が必要になりました。先輩の先生に連絡をすると「テンプレートをメールで送ってもいいよ」とのこと。教会に会計用のコンピューターはありましたが、インターネット設備は整っていませんでしたが、Free Wi-fiを探し回って、何とかそして先輩の先生が送ってくれたメールを受け取ることができました。先輩のメールの最後に「祝福が豊かにありますように」との一文が書かれていました。その一文を読んだとき、涙がひとりでに私の頬を伝いました。当時の私は神学生として無牧の教会を任され、雑居ビルの一室で作業をしながら、不安や孤独感がありました。いつも大きな声で賛美と祈りを捧げて作業を開始していましたが、寂しかったのだと思います。一人でないのだと勇気が湧いてきて頑張れたことが昨日のようです。立ち上がれたことが祝福でした。
【アブラハムに語られた神の言葉】
さて、今朝開かれた創世記12章2節~3節に「祝福」という言葉が五回出てきます。
「2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
今日は、アブラハムに語られた神の呼びかけを通して、祝福の約束とは何かを共に考えたいと思います。先ず二箇所聖書を読みます。
「…あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていた…」(ヨシュア24:2)
「…わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 3仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。4そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、」(使徒の働き7:2-4)
「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、最初から神に従う人ではありませんでした。神様はほかの神々に仕えていたアブラハムを選ばれました。カルデヤ人のウルは月神礼拝の中心地であったとも言われています。使徒ステパノの説教で、彼らがウルに住んでいたとき、既に神様の呼びかけがアブラハムにあったようです。
アブラハムの父テラは家族と連れてウルを出発し、カナンを目指しますが、その途中のハランで死にました。父の死の前に、アブラハムは兄弟の死も経験しています。そんな時、神様はもう一度アブラハムに語りかけました。

神の命令に従う
「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。』」(創世記12:1)
今の場所を離れて、神様が示す土地へ行きなさいと言うのです。示す土地がどこであるかはおっしゃらないまま、約束を同時に与えられました。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」(創世記12:2)
なぜアブラハムは神の声に従えたのでしょうか。家族が召されると、生活が変化します。遺された者は、おのずとこれからどうするか、生きるとは、死ぬとは何か、人生の目的は何か、死んだ後はどうなるのか、永遠の世界はあるのかという問題と直面するのではないでしょうか。そのような中、アブラハムは出発をします。アブラハムにとってこの新しい出発は、偶像礼拝との決別であり、その時に住んでいた土地とそこで築き上げた人間関係との決別を意味しました。ヘブル人への著者は、アブラハムのその決断を「信仰による決断」であると記しています。
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」(ヘブル11:8)
神の呼びかけに応じることは、神を信じていなければ、新しい旅路に進み出ることは難しいでしょう。家族の死もきっかけになったと思いますが、何よりもアブラハムは神様の召し(呼びかけ)に従ったのです。
アブラハムは、あなたの土地(生まれ故郷)を出て、親族・父の家(血のつながりの中にある居場所)を出ました。ある意味、今までの生き方を後ろにしたのです。そして「わたしが示す地」に向かいました。それはただ単に物理的に移動してその場所を目指すだけでなく、信仰によって神の御支配の中にこれからの生き方を確立していくという意味なのです。正にアブラハムの召命の御言葉です。神の御言葉が私たちの人生の方向性を形作る時、その言葉は宝物になります。その御言葉を握りしめて歩んで行くからです。
私の洗礼と献身の御言葉
私の洗礼の時の御言葉はイザヤ43:4「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。5恐れるな、わたしはあなたと共におる」です。また献身の時の召命の御言葉はⅠサムエル3:10「主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」」です。この二つの御言葉は、私の人生の節目に与えられた聖書の言葉なので、今でも大切にしている宝物の言葉です。皆さんにも人生の節目に与えられた御言葉があると思います。去るペンテコステ礼拝後の午後の感謝会では、それぞれが賛美をリクエストして、なぜその賛美を選んだのかをコメントしてくださいましたが、皆さんの思い出の賛美を共に歌えたことが感謝です。
皆さんが大切にされている御言葉も、なぜその御言葉が大切なのか折にふれて分かち合ってくださると嬉しいです。
神の二つの約束
神様はアブラハムに命令と約束の言葉を同時に語られました。神様がアブラハムに約束されたことは、大きく二つです。①子孫に関することと(2-3)、②土地に関すること(7)です。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。」(創世記12:2-3)
「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。(創世記12:7)
約束の通りに、アブラハムの子孫は豊かに増えていきました。ハランを出発して、カナンの地に入った時、そこにはカナン人が住んでいましたが、神様は「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」(創世記12:7)と言われました。土地の範囲は「エジプトの川から、かの大川ユフラテまで」(創世記15:18)です。与える言われたその土地にはカナン人がすでに住んでいたので、アブラハムたちは8節を見るとカナンの地ではなくベテルとアイの間に天幕を張ったとあります。約束は与えられていますが、まだその実現の時期ではなかったのでしょう。その証拠にこの約束は今後、幾度となく再確認され更新されていきます。12:2⇒13:16⇒15:3⇒15:4⇒15:5⇒アブラムからアブラハムへ。契約のしるし17:7
様々な状況の中で、神の言葉を自分の人生に取り込み、その言葉に私たちが応答して、従うとき、子々孫々にわたり祝福となっていきます。

【一歩踏み出す】
アブラハムと神様との本当の意味での関係性は、アブラハムが実際に神の言葉を聞いて、信仰の決断を行動に移して一歩踏み出したところから始まりました。ですから、大切なことは神様の語りかけの言葉を聞き、受け取り、信じて従うことです。
アブラハムが神様の声に従ったとき、75歳でした。いろいろな彼の都合もあったと思いますが、彼は見えるものに頼らず、神の言葉を信じて旅立ちました。
「アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。」(創世記12:4)
幸福度指数が高い国
世界幸福度調査で上位を占める国の一つに「フィジー」があります。彼らへのインタビューを見ると、「I’m blessed!」と言って、与えられた環境の満足している、感謝している人が多いと思いました。決して経済的に日本や他の先進国と比較して、裕福な国ではないが、笑顔の方々が多い印象があります。自分の国に住んでいることで幸福であると感じている人々は幸せであると言えるでしょう。
祭壇を築く
アブラハムにはまだ定住する国がありませんでしたが、神様から祝福された大きなに、導かれた場所で「祭壇を築いた」ことにあります。恩師の黒木師は著書の中で次のように述べておられます。
「神の祝福は机上に、固定的に『ある』ものではありません。それは日々、新しく神の御声に従っていくことの中で神の祝福を担う主体、存在に『なる』ことです。そこに果てしなき挑戦があります。…私たちが神の祝福の源となる道は、ただ神の御言葉に日々、新しく祈りを込めて従う以外にないのです。」(「創世記に聞く」p.37黒木安信)
アブラハムはカナンの地と、天幕を張ったベテルとアイの間に二度、主のために祭壇を築いて礼拝を捧げました。
「時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。」(創世記12:7-8)
神様がアブラハムと結んだ約束を更新してくださったように、アブラハムも行く先々で、祭壇を築いて、神様の約束に対する信仰と献身を新たにしていきました。「主の名を呼んだ」とあります。神様へ信仰告白です。そしてそれは偶像への祈りでなく、生きておられる神様への祈りです。祈りの中に、私たちは自分の弱さ、足りなさを告白していきます。
神がいないように見える現代の暗黒の時代に生きている私たちにも、神はアブラハムに召命を与えたように私たちに語ってくださいます。「私が示す地へ出発せよ」と。そして私たちもアブラハムが祭壇を築いたように、自分が旅立って行く場所(家、学校、職場、旅行先)で祭壇を築き、主の御名を呼び求めて参りたいと思います。
【祝福の基・霊的インフルエンサーになる】
神様はアブラハムに単に子孫を与えるだけでなく、神ご自身がアブラハムの神となり、彼の子孫の神となられ、代々にわたり神が彼らの嗣業となると約束されました。
なぜセムの子孫の中のアブラハムの子孫なのでしょうか。
「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。」(申命記7:6-8)
ただ神の愛と恵みの故にアブラハムの子孫が選ばれました。そして、アブラハムを通して神の計画が実現されました。アブラハムとその子孫が導かれた地で、神の御心に適う信仰による民族形成をし、彼らを通して世界中の人々が神の祝福にあずかるためでした。その祝福が遠く日本にいる私たちも及んでいます。私たちも神に選ばれる何の資格もなく、選ばれたのは神の恵みによります。それが、信仰の生涯の出発点であり終着点ではないでしょうか。
池に石を投げると輪が広がっていく情景を思い浮かべることができると思います。「祝福の基となる」ことはそのようなことだと私は思います。アブラハム信仰の応答から始まった旅路の祝福は、拡がりを見せています。私たちも祝福の基・通り良き管・霊的インフルエンサー(影響を与える者)として用いていただきたいと思います。
「このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、…彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。」(ローマ4:16,18)
