創世記45:1-15「悪を転じて善に変える神」
2025年9月7日(日) 礼拝メッセージ
聖書 創世記45:1-15
説教 「悪を転じて善に変える神」
メッセージ 堀部 舜 牧師

1そこでヨセフはそばに立っているすべての人の前で、自分を制しきれなくなったので、「人は皆ここから出てください」と呼ばわった。それゆえヨセフが兄弟たちに自分のことを明かした時、ひとりも彼のそばに立っている者はなかった。2ヨセフは声をあげて泣いた。エジプトびとはこれを聞き、パロの家もこれを聞いた。3ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはヨセフです。父はまだ生きながらえていますか」。兄弟たちは答えることができなかった。彼らは驚き恐れたからである。
4ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。5しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。6この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。7神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。8それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。9あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。10あなたはゴセンの地に住み、あなたも、あなたの子らも、孫たちも、羊も牛も、その他のものもみな、わたしの近くにおらせます。11ききんはなお五年つづきますから、あなたも、家族も、その他のものも、みな困らないように、わたしはそこで養いましょう』。12あなたがたと弟ベニヤミンが目に見るとおり、あなたがたに口ら語っているのはこのわたしです。13あなたがたはエジプトでの、わたしのいっさいの栄えと、あなたがたが見るいっさいの事をわたしの父に告げ、急いでわたしの父をここへ連れ下りなさい」。14そしてヨセフは弟ベニヤミンのくびを抱いて泣き、ベニヤミンも彼のくびを抱いて泣いた。15またヨセフはすべての兄弟たちに口づけし、彼らを抱いて泣いた。そして後、兄弟たちは彼と語った。
創世記45:1-15
聖書の背景
創世記の族長物語を読み進めていますが、先々週からヨセフ物語です。14章にわたる長い物語全体が今日の聖書箇所の背景にあります。流れをおさらいしてから、より詳細に御言葉を読んでいきます。
ヨセフ物語の概要
ヨセフは、ヤコブの愛妻ラケルの子で11番目の息子として、特別な愛情を受けて育ちました。17才の時に兄弟や父母が彼を伏し拝むという夢を見て、兄弟たちに憎まれ、通りがかりの隊商に奴隷として売られます。▼ヨセフはエジプトのファラオの侍従長に仕えます。そこで「主が彼とともにおられ」、「主が彼の手のすることをすべて栄えさせられ」たので、侍従長はヨセフに彼の家の全財産の管理を任せました(39:3)。▽ところが、侍従長の妻がヨセフを誘惑し、ヨセフに濡れ衣を着せたために彼は投獄されます(39章)。ここでも主が彼と共におられ、ヨセフはすべての囚人を管理するようになりました。
そこに投獄されてきたのが、王に仕える献酌官と料理官でした。2人は、ヨセフが解き明かした夢の通りに、一人は職に復帰し、一人は処刑されました。(40章)▼その2年後、ファラオが夢を見ますが、解き明かす人がなく、献酌官の進言でヨセフが王宮に連れて来られます。▽ヨセフは王の夢を解き明かして、7年の豊作と7年の飢饉を予告します。彼の進言は王の心にかない、彼はエジプト第二の地位につき、エジプト全土を監督します。(41章)
そして豊作の後に、厳しい飢饉が来ると、周辺全域の人々が食料を求めてやってきて、ヤコブと息子たちもエジプトに行きます。兄弟たちはヨセフの前にひれ伏しますが、ヨセフとは気づきません。ヨセフは気づいて、末子のベニヤミンを連れて来いと命じます。兄弟たちは、かつてヨセフに犯した罪の天罰と悔い、ヨセフはそれを聞いて密かに泣きます。そして、首謀者であった次男シメオンを投獄し、兄弟たちに食料を与えて送り返します。(42章)
兄弟たちが家に戻ると、父ヤコブはベニヤミンを送り出すのを渋ります。しかし、食料が底をついた時、四男ユダが自分の命に代えて弟ベニヤミンを守ると申し出て、父ヤコブは兄弟たちとベニヤミンを送り出します。▽ヨセフは兄弟たちと食事をし、(43章)兄弟たちが帰る時、ヨセフは策を巡らして、銀の杯をベニヤミンの食料袋に入れ、盗みの疑いをかけてベニヤミンを奴隷としてエジプトに留まるように命じます。▽その時、ユダが、ベニヤミンの帰りを待つ父のために、ベニヤミンの身代わりとして奴隷になることを申し出ます。(44章)ユダのこの言葉を聞いたヨセフは泣き崩れて、兄弟たちに自分がヨセフであることを明かします。ヨセフは全家族をエジプトに呼び寄せて、彼らを養います。(45章)
この壮大な神様の物語から、私たちは何を学べるでしょうか?すべての出来事を通して、神様が私たちを導き・配慮して下さる神様の計らいを「摂理」と呼びます。今日は、①摂理の中にある神の御心は何か?②摂理の中でどのように導かれるか?を見ていきます。

1.摂理の中にある神の御心は何か?
摂理の中にある神の御心は何でしょうか?
①いのちを救う
45:5b「…神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」
50:20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。
神様の御心は、「いのちを救う」ことでした。神様は私たちを愛しておられるので、私たちの命が保たれるように、配慮して基本的な必要を満たしてくださいます。私たちはそれを信頼できます。▽主イエスの教えを思い起こせば、食べる物も着る物も、私たちに必要なものは神が与えて下さいます。そのことを信頼しましょう。
②平和の関係性の回復
ヨセフ物語に見ることができる、もう一つの神の御心は、平和シャロームの関係性の回復です。ヨセフの兄弟たちはヨセフに対して、平和の挨拶「シャローム」を告げることができませんでした(37:4)。しかし、神の摂理の苦しみを通った後、ヨセフは兄弟との2度目の対面で、兄弟たちに平和の挨拶をします(43:27)。[①]▽神は、ヤコブの家族を愛のご計画で導かれた時に、ただ命を救うばかりではなく、彼らの間の関係性の平和を回復されました。ここに、神のご計画の明確な特徴があります。[②]
【適用】
神のご計画の目的は、「関係性の回復」にあります。このヨセフ物語を読んで、私たち自身の周りに、回復されるべき関係性はないでしょうか。主の平安を祈るべき崩れた関係はないでしょうか?▼里子牧師はよく「橋を架ける人」Bridge Builderという言葉を使います。回復した関係性こそ、神の目的であり、祝福をもたらす通路となります。▼この聖書の言う平和・平安とは、それぞれが神に従って歩むことから生まれる、神の祝福を頂ける関係性です。誰かが神の御心から逸脱してしまうなら、それは平和の関係性を破壊します。私たちはその人のために祈らなければなりません。
2.摂理の中でどのように導かれるか?
第二に、私たちの互いの平和の関係を回復するために、神は摂理の中でどのように導かれるでしょうか?今日はユダの姿とヨセフの姿から見てみます。いずれも苦難を通って練り清められるのですが、一人一人にそれぞれのストーリーがあります。
◆ユダ:砕かれた心の犠牲的な愛
【奴隷に売る】 四男ユダは、ヨセフを奴隷に売った首謀者の一人でした。長男ルベンがヨセフを救おうとしますが、ユダは冷酷に奴隷として売ることを提案しました。
【タマル】 続く38章には、一見無関係に見えるユダの嫁タマルに関するスキャンダルが述べられます。ユダは異教徒の妻との間に3人の息子がありましたが、長男と次男は悪を行ったために、主が彼らを殺されました。当時の文化では嫁は兄弟に再婚させることで、女性の経済的立場と名誉を守るのが家長の責任でしたが、ユダはそれをしませんでした。そこで嫁のタマルは何とユダ自身によって子をもうけるのですが、それは当時の文化では、女性にとっては舅の仕打ちに対する自己防衛でした。このことはユダにとって大きな恥となり、ユダは公に自らの非を認めざるを得ませんでした。ユダの言葉を見ると、彼はこの出来事を通して神の正しい裁きを学び、へりくだって自らの行いを慎むことを学んだようです(38:26)。
【ベニヤミンの保証人】 そして、飢饉が起きた時にユダは決断力を発揮します。食料が底をついても、父ヤコブがベニヤミンを送り出すことを渋り続けた時、ユダは自分が弟の保証人になって、自分の命に代えても彼を父のもとに連れ帰ることを約束しました。この保証によって、父ヤコブは決意を固めて、兄弟たちを送り出します。
ヨセフの計略でベニヤミンが奴隷にされようとした時、ユダは言いました。
44:16「われわれはわが主に何を言い、何を述べ得ましょう。…神がしもべらの罪をあばかれました。われわれと、杯を持っていた者とは共にわが主の奴隷となりましょう」。
そこには、かつての傲慢で冷酷なユダの姿はありません。かつてヨセフに犯した罪を認めて深く悔い、へりくだってその裁きをうける砕かれた人の姿があります。
44:32-34「しもべは父にこの子供の身を請け合って『もしわたしがこの子をあなたのもとに連れ帰らなかったら、わたしは父に対して永久に罪を負いましょう』と言ったのです。33どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください、34この子供を連れずに、どうしてわたしは父のもとに上り行くことができましょう。父が災に会うのを見るに忍びません」。
ユダはベニヤミンの代わりに奴隷となることを申し出て、父のため、弟のために、大きな愛を表しました。かつてヨセフの苦しみに心を閉ざして奴隷に売った冷酷な姿は消えて、家族のために進んで犠牲を払おうとする悔い砕かれた姿があります。▼ユダの姿は、ヨセフの心を激しく揺さぶりました。
ユダは、この時以外はむしろ過激な罪やスキャンダルにまみれています。それでもなお、愛のために自分の犠牲をも惜しまなかったユダの姿に、主イエスの姿が重なります。
後に父ヤコブが最期の床で息子たちを祝福した時、ヤコブはユダの勇気と献身をたたえて、このユダの子孫からダビデ王家とひいてはキリストが誕生することを預言しました。
ユダは、自分の罪深さが露わにされた時に、心を砕かれ、罪を悔いてへりくだり、犠牲を恐れずに愛に生きる者となりました。その愛によって、キリストの姿を表す者となりました。
【適用】
私たちはどのような人生を歩んでいるでしょうか?ユダのような罪を犯した方は、少ないかもしれません。しかしまた、ユダのように砕かれた心を持ち続ける人も少ないのです。▽ユダはヨセフの前に立った時、かつて神の前で犯した罪を忘れませんでした。それは、私たちクリスチャンが主イエスの十字架の前に立った時のことを決して忘れないのと同じです。主イエスの十字架を仰いで、自分の罪深さと恥を徹底的に味わい、徹底的に心砕かれたその場所に、生涯変わらない自分の立ち位置として保ち続けるのです。▼多く赦された者は、多く愛する者となります。ユダが家族を愛して犠牲をいとわなかったように、私たちが愛を表すべき人は誰でしょうか。愛するに値する人だから愛するのではなく、神が私の罪を赦されたから、神様のため愛を表すべき人はいないでしょうか。
「この子供を連れずに、どうしてわたしは父のもとに上り行くことができましょう。父が災に会うのを見るに忍びません」(44:34)。砕かれた心は、「そうするほか、私にはどうすることもできない」と言うのです。

◆ヨセフ:和解と癒し
続いて、ヨセフの心がどのように取り扱われたかを見ていきます。ヨセフ物語は、客観的な描写が中心で、心の動きは推測するしかない部分が多く、いろいろな解釈があります。しかし、彼が非常に深く傷つき、激しく揺さぶられたことは間違いありません。
○マナセ:「父の家を忘れた」
エジプトの宰相になるとヨセフの働きは成功し、当時の支配階級であったエジプトの宗教指導者の家系の娘と結婚して、子どもが生まれます。
41:51 ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。
エジプトでの栄光に満ちた生活は、それまでの苦渋に満ちた13年の奴隷生活と、兄弟に裏切られた父の家での痛ましい出来事を忘れさせてくれました。
「父の家のすべてのことを忘れる」とは、直訳すると「父の家の全てを忘れた」です。ヨセフは当時、エジプトの名を与えられ、異教の祭司の娘を妻に娶り、エジプト社会に同化して、「父の家を忘れた」のかもしれません。[③] 幸福な職務と家庭生活の中で、苦痛に満ちた父の家での思い出に蓋をしたまま、神の祝福を受けて彼の奴隷生活の記憶は癒されていきました。▽ヨセフはエジプトで地位を得た後も、父ヤコブに連絡をすることはありませんでした。ヨセフは、そこから生まれる強烈な痛みのために、そこに踏み出せなかったのかもしれません。しかし、兄弟たちに自分の素姓を明かした時に、第一声で「父上はお元気ですか」と尋ねたように、愛を注いでくれた父親を忘れることはできませんでした。[④]
○ヨセフの荒々しい態度
兄弟たちが食料を求めてやって来た時、ヨセフは再びかつての痛みに向き合います。ヨセフは兄弟たちに対して、「彼らに向かっては知らぬ者のようにし、荒々しく」語りかけます。ヨセフは末っ子のベニヤミンを連れて来るように命じました。▽ヨセフは、弟ベニヤミンの身の上を心配していました。自分が、父の寵愛を受けて、兄弟に妬まれ、奴隷に売られたように、ベニヤミンも同じ仕打ちを受けないか、不安だったに違いありません。
ヨセフはかつて見た夢を思い出しました。しかしヨセフは、兄弟たちの残酷な姿を思い出して、体はこわばり、心は緊張したでしょう。ヨセフは言います。
42:16 あなたがたのひとりをやって弟を連れてこさせなさい。それまであなたがたをつないでおいて、あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言葉をためしてみよう。
ヨセフは彼らがベニヤミンをひどい仕打ちをしていないかと疑い、彼らの誠実さを試すために、ベニヤミンを連れてくるように命じました。
42:21 彼らは互に言った、「確かにわれわれは弟の事で罪がある。彼がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでこの苦しみに会うのだ」。
兄弟たちは、ヨセフへの仕打ちに対する罰を受けていると考えて、その言葉には深い悔恨が刻まれています。さらに、ヨセフは、長男ルベンが彼を救おうとしていたことを知ります。ヨセフは、罪を悔いて弱り果てた兄たちの姿を見て、憐れみと懐かしさと神の取り扱いを覚えて、一人離れて涙を流します。そして、ヨセフへの企みに最大の責任のあった次兄のシメオンを捕らえて投獄します[⑤]。▽兄弟たちの食料袋に銀を入れさせたことは、家族を思うヨセフの愛の計らいでした。
〇兄弟に平安を問うヨセフ
兄弟たちがベニヤミンと共に2回目にヨセフに面会した時、ヨセフは兄弟たちの安否(シャローム)を尋ねます。このことは、ヨセフ自身の心はすでに兄弟たちを赦していたことを意味しています。しかし、ヨセフは兄弟たちに自分の素姓を明かして和解することも、父ヤコブと会うことを求めることもせず、策を巡らして弟ベニヤミンを奴隷とすることで、彼の近くに置き続けようとします。
その時、かつてヨセフを奴隷に売ることを提案したユダが、ベニヤミンの身代わりに自分が奴隷となることを申し出た時に、ヨセフの心にあった兄弟たちとの壁が崩れました。▼かつて兄弟たちの内にあった憎しみが、今はもう残っておらず、むしろ父への配慮と弟への愛がまさっていることが明らかになりました。▽ヨセフは、自分の心にはわだかまりがなくても、兄弟たち自身が自分と共に生きることを求めているかが分かりませんでした。しかし、ユダの犠牲の申し出を聞いて、神はヨセフだけでなく、兄弟たちも取り扱われ、破壊的な憎しみを癒し、犠牲を惜しまない愛に代えられたことを、ヨセフは知りました。
ヨセフは、夢を見て、夢を解き明かす預言者として、告白します。
45:8「それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。」
確かに舞台の上に現れたのは兄弟たちであり、彼らの悪意と行動がありました。しかしヨセフはその悪意を徹底的に味わったうえで、「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです」と言います。▽「あなたがたではなく」というのは、神の役割を強調するためのレトリックと言えるでしょう。▽兄弟たちの悪意や企みがありました。しかし、その背後で、さらに強力な神のご計画と意志が働いているのです。兄弟たちの悪意と策略がなったように見えて、その実は、神ご自身の救いと癒しのはるかに大きな計画があったのでした。
ヨセフは同じことを、父ヤコブの死後にも兄弟たちに伝えました。
50:19-20「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。」
ヨセフは、自分を奴隷に売った兄弟たちが自分の前にひれ伏した時、神の裁きが実現したことを知り、兄弟たちの真実を試しました。ある意味では、神に近い視点から、兄弟たちを試し、神の裁きを行使しようとしたかもしれません。しかし、神のご計画の取り扱いはヨセフの想像よりもはるかに深く、兄弟たちを深く取り扱っておられ、ヨセフ自身の痛みや警戒心をも取り扱われたことを知りました。まさに人は神の代わりになることはできず、神が罪を取り扱い・悔い改めた人を赦される時、どのような人であっても、さばくことはできないことをヨセフは学びました。人間の悪意や企みにはるかにまさり、それを上書きして覆い尽くす神の良いご計画があることを知りました。
(※証しは割愛。)
詩篇105篇にヨセフ物語が歌われています。
詩篇105:19 彼の言葉の成る時まで、主のみ言葉が彼を試みた。
主の言葉が実現する時まで、その御言葉は、私たちを練り、試みます。私たちは御言葉の前で格闘し、倒れ、疲れ果て、時に成功し、学び、砕かれ、整えられ、丸くされ、柔和な者とされていきます。そのようにして、神に信頼すること、人間のはかりごとを越えて神が支配し・導いておられることを知るようにされます。
【適用】
私たちに与えられている導きは何でしょうか?私たちが直面している困難や試練、不満や願いの中で、どのように神に信頼することを学ぶことができるでしょうか?私たちはどのように忍耐し、へりくだって屈辱を受け止め、神の御業を待ち望むべきでしょうか。私たちが神に代わって誰かを裁こうとしていることはなかったでしょうか?誰かの悪い仕打ちに対して、「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです」と告白するために、私たちに何が足りないでしょうか?神のご計画は、ユダを砕き、ヨセフを癒し、ヤコブを練りました。私たちは、神のご計画が私たちをきよめる御業のどの段階にいるでしょうか?
神は私たちすべてを、キリストにあって愛をもって選び、良いご計画をもって、捕らえ導いて下さいます。私たちも献身と服従と信頼と希望をもって、主に従ってまいりましょう。

[①] C.ウェスタ―マン「現代神学の基礎知識 旧約聖書」12 平和(平安)
[②] メシアが来られた目的も、平安(シャローム)をもたらすためでした。イザヤ53:5参照
[③] ラビ・ピンハス・ペリー「トーラーの知恵」同化ユダヤ人の帰還 ミケッツ 創世41:1~44:17
[④] Victor P. Hamilton, The Book of GENESIS Chapters 18–50, New international commentary on the Old Testament、41:50-52注解。Gordon J. Wenham, GENESIS 16–50 Volume 2, Word Biblical Commentary、41:51注解。
[⑤] ヨセフが奴隷に売られた時、彼を救おうとしていた長男ルベンはその場におらず、それ以外の兄弟の中で最年長者がシメオンに最大の責任があったとみなされる。