箴言3:5-6「心を尽くして主により頼む」
2025年8月31日(日) 礼拝メッセージ
聖書 箴言3:5-6
説教 「心を尽くして主により頼む」
メッセージ 齊藤 良幸 役員

5心をつくして主に信頼せよ、
箴言3:5-6
自分の知識にたよってはならない。
6すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
礼拝の「臨場感」
Yさんが先日教会の礼拝をYouTubeで参加したときのことを話してくれたのですが、何か物足りなさを感じて、そのことを姪御さんに話したところ、「おじさん、コンサートもライブに行かなくちゃ、その臨場感は味わえないんだから、頑張って教会の礼拝に行くべきよ!」と励まされたそうです。
肌で感じると深く記憶に残るものなのでしょう。
Yさんは、海外にいる里子(さとご)さんから「お父さん教会に行ってください」と言われて教会の礼拝に戻ってこられ、礼拝に参加されることにとても喜びを感じておられるそうです。
神様の前に出るという姿勢は、私たち自身にはとても大切なことであるだけでなく、周りへ方々への証し、励ましともなっています。
聖書の背景
さて、今日の聖書箇所は、ソロモン王の箴言、つまり教訓や格言をまとめた書として有名です。そして、昨年2024年の元旦に語られた教会の御言葉です。今年私に与えられた御言葉として開かせていただきたいと思います。
箴言の多くは、イスラエルのソロモン王によって書かれたものです。ソロモン王の事績は、列王記第一を読むとわかります。父のダビデ王様から引継いだエルサレム神殿建設が最大の功績と言えます。

父のダビデ王が準備した材料を巧みに用いて、神殿本体と内装の飾りつけ、祭壇の設置などを行いました。とくに神殿に用いられた切石は、正確に寸法通りに切り出されていたので、組み上げるときには微調整をする必要がないほどの精度だったと書かれています。(列6:7)イスラエル民族がエジプトを出てから480年目に神殿の建設が始まり(列6:1)、7年かけて完成しました。(列6:37)
3章1節~14節を読むと、神様から知恵をいただく前に、ソロモン王は政略結婚でエジプトからファラオの娘を王妃として迎えていることがわかります。その後で、ソロモン王は、ギブオンに行き神様に生贄をささげた夜、夢で神様と会話しました。
神様が、「あなたに何を与えようか、求めなさい」(5節)と言われたとき、ソロモン王はこう願いました。「聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。」(9節)
聞き分ける心とは、真実を見抜く知恵といえるでしょうか。善悪を判断し正しいさばきをするためとソロモン王は言うのです。神様は、答えました。12節から14節「見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。」
人間の中で、ソロモン王より知恵と判断力に満ちた人間は、過去にも、これから先にも表れないと神様が言うほどに広く深い知恵に満ちていました。ですから、近隣の国々はもちろん、遠くアフリカやヨーロッパ、アジアの国々からも、その知恵を聞くためにソロモン王に謁見を求めて多くの王様や権力者たちがエルサレムを訪れました。
善悪を判断し正しいさばきをするための判断力も兼ね備えていましたので、ソロモン王が答えることのできない問題は何もありませんでした。神殿が奉献されたとき神様の栄光が満ち溢れていました。
王国の繁栄が進むにつれ、ソロモンの心は神様から離れていきました。神様が2回もソロモン王に現れて、直接厳しい警告をしたにもかかわらず、ソロモン王は悔い改めて神様の元に戻ることはありませんでした。
最も知恵のある人間、ソロモン王でさえ、神様に従い続けることができませんでした。善悪を判断し正しいさばきをするための知恵が与えられたとしても、私たち人間には、神様に従う事より、自分勝手な道を歩もうとする性質があるのです。神様が私たち人間を創造されたときから、ずっと神様に従うことを好まず、神様との約束を破り、神様に背を向け続けているのです。
しかし、私たちは神様との関係を修復する必要があります。その修復の道筋を開いてくださったのが、心を尽くしてより頼むべきお方、イエス・キリストです。
この箴言が書かれたのは、ソロモン王が神様に従っていた頃だと思われます。
神様に従っていたソロモンでしたが、その結末はというと、列王記11章9節から14節にあるように、神様からの厳しい叱責があり、王国分裂という悲惨な結果となってしまいました。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよらない」、「すべての道で主を認める」これらの姿勢は、私たちの生涯を通して継続されなければなりません。
この思考方法と生活パターンこそが人生を生き抜くうえで最も重要なこです。神様から、私たちの行動が間違っていると指摘されたならすぐに悔い改めて、神様の所に戻り、許していただかなければなりません。
神様が叱ってくださるのは、私たちが正しい選択ができるようになるためです。
神に祈る心
もともと、私たちには、神様に祈る本能、神様にすがろうとする本能が与えられています。
今年も甲子園球場で高校野球の熱戦が繰り広げられました。テレビでは、スタンドの応援席で、ピンチを迎えるたびに手を組んで目をつむり、藁にもすがる思いで祈る姿が映し出されていました。必死になる心が祈りへとつながっていくのです。
しかし、私たち人間は、真の神様を知らないし、祈る対象が良くわからないでいます。人生に対する疑問や矛盾を感じた時に、変わることのない真実への思いが生まれ、何が正しくて、何がいけないのか、正義とは何かを求めはじめるのではないでしょうか。

神を求める心
教会員のMさんはご高齢で、お体の不調の時もありますが、イエス・キリストを信じて礼拝に出席され続けておられます。
ご主人が生きておられたときには、「私を教会には誘わないで頂戴」と言い、ご主人が足を痛められてからは、ただ付き添いとして教会来られていました。
あれから不思議なことに、ご主人の心からの祈りと娘さんご家族の祈りがあって、イエス・キリストを救い主と信じるようになりました。
「なぜ、主人はもっと早く私を誘ってくれなかったのかな」と逆の立場に変えられました。今ではお孫さん、曾孫さんも教会に来られるようになり、もっと深く神様を知りたいと願われています。
聖書を通して神を知る
神様のことを知るためには、聖書をしっかり読んで祈り求めて知っていくほかに王道はありません。
私が聖書を読み始めた時には、ややこしい名前や、系図や、歴史の出来事など、聖書を読み進めるのに大変な忍耐が必要でした。
私は二十歳の時に自分の聖書を購入し、礼拝や祈祷会、その他の集会で読まれた箇所に片っ端から赤線を引きまくり、自分が気になる箇所は線の色を変えて、後から牧師や先輩の教会員に質問するようになりました。
ある牧師に歴史上の出来事でわからないことについて質問をしたとき、天国に行ったときに結果が分かるからそれでもいいのではないかといわれました。
今すぐわからなくても問題はありませんから、「確かにそれもそうですね。」と答えました。

祈りの証し
私たちに大切なのは、今の自分の課題を解決するために、神様に真剣に祈り求め、答えをいただくという取り組みを継続していくことです。
私も教会の方々の救いの証詞や日常生活での出来事を通して、神様とどのように関わり方をし、助けられてきたかを聞いて、困った時にはどのように祈ればよいかを学んできました。
私は大学生の時、品川の教会の伝道集会に出席して信仰の先輩方がどのようにして救いにあずかったかという同じ証詞を何度も何度も聞いてきました。ですからどこでどういうエピソードを話されるのかも全部わかっているのですが、話をされておられる方の表情が喜びでとても輝いていて、聞くたびにおもわず笑顔にさせられてしまいました。
とくに印象的だったのは、北海道出身の教会役員のYさんの証詞でした。
Yさんが、高校生だったころにお父さんを亡くされ、収入がなくなり、お母さんは、家の1階部分を間貸しして生計を立てようとしました。不思議なことに、キリスト教の宣教師の方がご夫妻で借りることになったそうです。ご主人がメッセージをされ奥様がオルガンを弾かれて二人で礼拝されていたそうです。
まだ信者の方も新来会者も全くおられなかったそうで、Yさんは、2階から下をのぞいて、だれもいないと気の毒になり、聞き役として礼拝に参加されたそうです。ですから、宣教師とマンツーマンでしばらくの間礼拝が続いたそうです。礼拝の時間になると恐る恐る下をのぞいて来会者が来ているときは、ほっと胸をなでおろして礼拝をお休みしていたそうです。
Yさんは、「自分から教会に出向くことは無かったろう。だから、この私のために神様の方からわざわざ我が家に出向いてくださって、救いに導いてくださった。本当に感謝します。」と証詞しておられました。
神様のなさる御業は本当に素晴らしいですね。神様は、私たちの理解や計画をはるかに超えて働かれるお方です。
自身の祈りの証し
私の場合は、日常生活やとくに仕事でどちらか決断しなければならないけれども、祈りの回答が得られないので迷いに迷っているときにはこう祈りました。
「神様、今私は迷っています。しかし決断をしなければなりません。私は自分の判断でこちらを選択します。もし決断が間違っていたなら、私が分かるように行動をとどめてください」と祈り、決断し行動を起こすようにしていました。
定年まで27年勤務した会社のことですが、自宅に近いほうが良いと理由で転職したのに、わずか半年で神田駅前の事務所勤務から熊谷の本社工場勤務になってしまった時など、再転職するか迷いましたが、色々ありつつも祈って継続をしました。
とくにアルミ部品の押出パイプの表面処理で加工能力が不足し、素材が入荷したら部品を加工メーカーに持ち回り、納期調整を何度も行いました。
私は客先対応しなければならない立場だったので、製品が組み立てられ納品準備が整ったことを確認するまで自宅に帰ることができず、会社に泊まり込んだことが何度もありました。
また、当時最先端だった金属調塗装をお願いに行った協力メーカーの工場で、製品の仕上げや検査梱包をするために、技術部・品質部・営業部と協力して徹夜で長期間作業を行い、そのまま明け方に自動車工場に納品に行ったこともありました。
危機的な状況が何度もあり、そのたびに祈りつつ難局を乗り越えることができました。
その時にも感じたことですが、周りの人々の助言や知恵を通して、神様が導きを与えて下さっていることに気が付かされたこともありますし、神様は私たちが出会う必要のある人に出会わせて下さり、経済的・物質的な必要を満たして下さることを通して、私の信仰がさらに深まるようにして下さいました。
神様に感謝いたします。
まとめ
今日の御言葉、箴言3章6節「主を認めよ」と書かれている通り、すべての支配と権威の頭であるイエス・キリストに祈りすがるときに、すべては益とされ私の道を真直ぐにしてくださいます。
神様により頼むときに神様から与えられる恵をまとめてみます。
第一は、確信を与えて下さる恵みです。私たちが神様の救いの業、十字架の贖いを確信させてくださる恵です。神様が生きて存在しておられることを、頭で理解するのではなく、心で納得できるようにしてくれます。神様が私たちのために、すべてのことを有益にして下さることを確信できるようにしてくださいます。
第二は、洞察する心を与えて下さる恵みです。喜ぶものとともに喜び、悲しむ者と共に悲しむことを知る恵です。まずイエス様が、ともに喜び、共に悲しむ真実の友として、私の友、あなたの友となってくださいました。
第三は、霊感を与えて下さる恵みです。御言葉を適切でかつ力強く語れるようにしてくださいます。私たちの心深くに刻まれ、私たちの生活に密着したものとなります。
第四は、証詞をする恵みです。今日、証詞を引用させていただいた方々のように、私たちが歩んできた人生が、神様の導きによって真直ぐにされてきたことを知るのです。
最後に御言葉をもう一度お読みいたします。
5心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
6すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
明日からは9月です。神様に心を尽くしてより頼み、神様から新しい力をいただいて前進していきましょう。
お祈り致します。