詩篇143篇「主よ、答えてください」

2025年3月31日(月)高齢者施設でのメッセージ

聖書 詩篇143篇1-12節
説教 「主よ、答えてください」
メッセージ 堀部 舜 牧師

生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。

 ダビデの歌

1主よ、わが祈を聞き、わが願いに耳を傾けてください。
あなたの真実と、あなたの正義とをもって、わたしにお答えください。
2あなたのしもべのさばきにたずさわらないでください。
生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
3敵はわたしをせめ、わがいのちを地に踏みにじり、
死んで久しく時を経た者のようにわたしを暗い所に住まわせました。
4それゆえ、わが霊はわがうちに消えうせようとし、
わが心はわがうちに荒れさびれています。
5わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、
あなたのみ手のわざを思います。
6わたしはあなたにむかって手を伸べ、
わが魂は、かわききった地のようにあなたを慕います。〔セラ

7主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます。
わたしにみ顔を隠さないでください。さもないと、わたしは穴にくだる者のようになるでしょう。
8あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。
わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。
9主よ、わたしをわが敵から助け出してください。
わたしは避け所を得るためにあなたのもとにのがれました。
10あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。
恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください。
11主よ、み名のために、わたしを生かし、
あなたの義によって、わたしを悩みから救い出してください。
12また、あなたのいつくしみによって、わが敵を断ち、わがあだをことごとく滅ぼしてください。わたしはあなたのしもべです。

詩篇143篇

【悔い改めの詩篇】

今日は、悔い改めの詩篇を読みたいと思います。詩篇143篇で、ダビデは乾ききった荒野で、敵に命を狙われ、自分の罪を深く自覚しています。

私は、物事がうまくいかない時、何かの課題にぶち当たっている時、恐れや不安に圧倒される時、神様の前にただひれ伏して祈ります。デボーションをしても、スマホで聖書の朗読を聞いても、賛美を聴いても、運動してリフレッシュしても、心の不安や悩みや恐れや怒りが消えない時、私は全てを置いて、文字通りひれ伏して、全ての考えを止めて、ただ神様の臨在に心を集中します。そうして神様の臨在を感じる瞬間、心の不安や思い煩いがフッと消え、信仰と平安が訪れます。そして数日のうちに、停滞していた事柄がいつくも動き出すことを、何度も経験しました。▽神様は祈りを聞いて下さる! でもよく考えると、神様の働きを妨げていたのは、自分自身だったのか…と気づきます。

【しもべ】

ダビデは自分を「しもべ」と呼んで、神の前にひれ伏します(2、12節)。自分に対する神のみ旨をへりくだって受け止めます。神の前に砕かれた心でひれ伏し、神に従うのがしもべの心です。

【あなたの真実によって】

その心は、自分の正しさではなく、神様の真実により頼む祈りに表れます。143篇の冒頭と末尾でよく似たフレーズが出てきます。1節「あなたの真実と義によって 私に答えてください」。11節「あなたの御名のゆえに私を生かし、あなたの義によって…助け出してください」。12節「あなたの恵みによって 私の敵を滅ぼし…」。ダビデは、自分自身の正しさや潔白さには頼りません。むしろ、神の恵み・神の真実により頼ります。彼が祈る権利・祈る勇気の源は、自分自身のうちにはありません。「神様、あなたはただあなたの親切さのゆえに、あなたご自身にふさわしい親切をもって、私の願いに答えてください。」「だれも、あなたに救いを要求できる人はいません。ただあなたの親切によって、私に答えてください」と。

143篇は「セラ」によって前半と後半に分かれます。前半でダビデは神の前に立ち、後半で、具体的な嘆願をささげます。私たちも、このようにして深く祈ることができます。

■【1.神の前に立つ】

143篇全体のテーマを示す1節に続いて、2-6節でダビデは神の前に立つ準備をします。

【ありのままの姿を告白する】

2節でありのままの罪深さを認めます。

2b 生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。

3-4節で敵によって死の淵に追い詰められ、心が弱り果て荒んだ自分の姿をありのままに告白します。

【聖書を黙想する】

ダビデはみじめな自分の姿を認めますが、聖書の御言葉に自分を浸します。

5  わたしはいにしえの日を思い出し、
あなたが行われたすべての事を考え、
あなたのみ手のわざを思います。

「考える(思い巡らす)」(ヘブル語:ハーガー)という言葉は、古代ユダヤ人が暗唱した聖書の言葉を声に出してつぶやきながら黙想したことを指す言葉です。ダビデは聖書に記された神の救いの御業を、繰り返し言葉に出して心に留めました。▼私はよく、シャワーを浴びながら、スマホアプリの聖書朗読を聞きます。試練の時には、特に御言葉のシャワーを浴びるように心がけます。私たちの教会の高齢の兄弟は、声を出して聖書を朗読していて、聖書を読むのを楽しんでおられます。▼聖書の御言葉を聞くことから信仰が起こり、試練の中で希望が生まれます。

【神を慕い求めて祈る】

私たちは、聖書を頭で理解しなければなりません。しかし、頭の知識そのものが救いをもたらすのではありません。聖書は、神ご自身を指し示す案内図のようなものです。私たちは、聖書の知識に導かれて神の前に出て、神から救いを頂きます。

6 わたしはあなたにむかって手を伸べ、
わが魂は、かわききった地のようにあなたを慕います。

これが、神を慕い求める祈りです。神を慕い求める魂は、神に出会ってその渇きを癒されなければ、満たされません。神の臨在に触れ、魂の渇きが癒される瞬間、そのところから、真に答えを頂く具体的な祈りが始まります。私たちは、この祈りに時間を取っているでしょうか?神の臨在を感じる前に、祈りの座を立ち去ってしまうことはないでしょうか?神の臨在に心が触れて、信仰の確信と平安を頂き、魂の渇きが癒されるまで、神に向かって手を伸べ、御座の前にひれ伏すのです。

■【2.主よ、私に答えて下さい】

神の御前にひれ伏し、神の臨在を慕い求める沈黙の祈りの後に、神が聞いて下さっているとの確信のうちで、ダビデは口を開いて、神への嘆願がほとばしり出ます。

7節「みやかにわたしにお答えください」。「わたしにみ顔を隠さないでください」。8節「あなたのいつくしみを聞かせてください」。9節「敵から助け出してください」。11節「わたしを生かし、…悩みから救い出してください」。12節「…わが敵を断ち、…わがあだをことごとく滅ぼしてください」。救いを求める端的な求めです。

7a主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます」。これが143篇の祈りの核心です(構造上の中心・意味的中心)。この訴えを神に告げるために、ダビデは神の前に立ち、沈黙のうちに主の臨在を慕い求めてひれ伏したのです。

【朝に】

8a「あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください」。▼ダビデは皆が寝静まった夜、一人で主の前に祈り込んだのかもしれません(時間的な朝)。▽それ以上に、この死の暗闇は過ぎ去り、恵みの光の朝がやってきます(象徴的な朝)。明けない夜はなく、苦難の暗闇の時も、必ず過ぎ去ります。恵みの朝は、私たちの力によって来るのではなく、恵みの神ご自身が開いてくださいます。

【御心に従う】

主が祈りを聞いて下さることを確信したダビデは、祈りの答えが実現する前に、主の御心にかなって歩むことを願います。

8b「わが歩むべき道を教えてください。」10「あなたのみむねを行うことを教えてください。

神の聖なる臨在に触れる時、主を愛し慕うになります。このように御心に従おうとする人に、主は必ず答えてくださいます。

【しもべの心】

しかし、主が答えて下さるのは、ご自分の御名のため・神様が真実であられるからです。私たちは、砕かれた心を保ち、神の前にしもべとしてひれ伏し、主の霊の導きに従ってまいりましょう。

■【まとめ】

7a「主よ 早く私に答えてください。私の霊は滅びてしまいます。」

試練の中で、主に心からの祈りをささげてまいりましょう。

6  「あなたに向かって 私は手を伸べ広げ
私のたましいは 乾ききった地のように  あなたを慕います。」

神の前に立ち、ひれ伏し、渇き慕い求める、粘り強い祈りによってこそ、神の御座に私たちの祈りが届きます。別の言い方をすれば、こうした祈りを通して、私たちの心が神の前にふさわしく低くされ、神の御座が私たちのために開かれ、神が耳を傾けてくださるのにふさわしく、神の前に正しい姿勢を取ることができるようになります。

試練の中にある時、神の前に出てひれ伏し、神に心を注ぎ出して祈ってまいりましょう。