ルカ19:1-10「あなたの家に」(ファミリー礼拝)
2023年10月15日(日)聖霊降臨後第21主日 ファミリー礼拝
聖書 ルカ19:1-10
説教 「あなたの家に」
メッセージ 堀部 里子 牧師
【今週の聖書箇所】
イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
ルカ19:5-6
※このページのイラストは「日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団教会教育部ホームぺージ こひつじ」から転載したものです。
おはようございます。今日はファミリー礼拝です。子どもも大人も皆家族として一緒の礼拝を神様に捧げることできることが嬉しいです。また私の両親と姪が木曜日に沖縄から上京していて、今日はコイノニアの礼拝に初めて参加しています。
今、CSチームで「♪帰ろう」という賛美をしました。皆さんには「帰る家」があると思います。英語でhouseは建物のことを表しますが、homeは目に見える建物のことだけでなく、家族や家庭、心が安心する場所を表します。誰でも自分が本当に安心する「home/居場所」を求めていると思います。あなたにとっての「home/居場所」は何でしょうか。今日はこの「home/居場所」について一緒に考えていきたいと思います。
【名前の意味】
「ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。」(2)
先ず皆さんはご自分の名前の意味を知っていますか。私の「里子」という名前は、「古里」の「里」という字が入っていますが、「故郷である沖縄を思い出して欲しい」という願いが込められているそうです。
今日、登場するザアカイの名前は「正しい人、きよい人」という意味です。でも実際はザアカイは、正しくないことをしている人でした。どんなことをしていたと思いますか。ザアカイのお仕事はエリコという町の「取税人」でした。エリコの町は、ヘロデ王様の宮殿がある大きな町でした。だからエリコの町の「取税人」はたくさんのお金を集めることができました。ザアカイは有名だったようです。「取税人」はお金を集めるお仕事をする人ですが、お金を多く集めて、多く集めた分を自分のものにしていたのです。だからザアカイは嫌われ者で、友だちがいなくて、お金が友だちでした。ある日、ザアカイは町の人たちが話していることを聞きました。
「おい、俺たちの住むエリコの町にあのイエス様が来られるんだってさ。イエス様と言えば、目の見えなかった人の目を見えるようにしたり、死んだ人を生き返らせたりした方だ。イエス様のところに行ってみよう。」
ザアカイもイエス様がどんな人か興味が湧いてきて見たいと思いました。見ようと出かけましたが、すでにたくさんの人がイエス様の周りにいて、イエス様が見えませんでした。
「彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。」(3)
ぴょんぴょんとジャンプしてみましたが全然だめです。ザアカイは考えました。「俺は見ての通り背が低い。イエス様を見るために、何かいい考えがないだろうか。みんなと同じ場所にいたらイエス様は見えない。どこか高い所から見えないかな。。。そうだ!先回りしてイエス様が通る道の側の木に登ってイエス様を見ればいいんだ。よーっし!」
「それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。」(4)
「よいしょ、どっこらしょ。よし、これでイエス様が見えるぞ。俺は何て頭がいいんだろう。背が低くても知恵がある男だな、ははは」ドキドキ、イエス様が見えるぞ。。
実はエリコの町は「しゅろの木」が多く生えていて、エリコの別名は「しゅろの町」でした。でもザアカイはたくさんあるしゅろの木に登らず、いちじく桑に登りました。なぜでしょうか。エリコの町では、いちじく桑の木に、貧しくて身分の低い羊飼いたちが登って木のお世話をしていていました。ザアカイは自分が登っても、羊飼いたちにまぎれてバレないと思ったようです。いちじく桑の実はビー玉の大きさの実だそうです。でもそのままにしておくと渋くて食べられません。誰かが針で実を刺して、その穴にオリーブ油を塗ると不思議といちじくのような甘い実になったそうです。その面倒臭い仕事を羊飼いたちはしてくれていました。渋い実にひと手間かけることで甘い実になることからか、いちじく桑はヘブル語で「シェクマ」と言いますが、その意味は「再起・更生」だそうです。言い換えると「リバイバル」でしょうか。お金持ちのザアカイが、低い身分の貧しい羊飼いたちを象徴するようないちじく桑の木に登ったのは、神様のご計画だったかもしれません。
たくさんの人たちに囲まれてイエス様の一行が、ザアカイの登っているいちじく桑の木に近づいてきました。ザアカイは木の上にいて、誰にも気づかれていないと思っていました。するとびっくりすることが起こりました。イエス様はザアカイが登っているいちじく桑の木の前を通る時に、わざわざ上を見上げて、ザアカイの名前を呼んだのです。
「イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。」(5)
「おい、そこの木の上の人!」とはイエス様は呼びませんでした。「ザアカイ」と呼びました。ザアカイは、ただイエス様を見るために木の上に登りました。でもイエス様はザアカイが一人ぼっちで、友だちがいないことを知っていました。そして取税人で、みんなのお金を不正に横取りしていて、町の人たちから嫌われていることも知っていました。そして、ザアカイに今、何が本当に必要なのかを知っていました。だから、イエス様は「ザアカイよ、急いで下りてきなさい」と声をかけてくださったのです。ザアカイはイエス様が自分の名前を知っていたことにとってもびっくりしたと思います。でももっとびっくりしたことは「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と言われたことだったと思います。「え、僕の家にイエス様が泊まる???」今まで誰も来たことがない家に、そして誰も泊まったことのない一人ぼっちのザアカイの家に、泊まってくださるというのです。それも「泊まることにしているから」と、もう決めています。
皆さんはどうですか。いきなり今日初めて会った人に「今日はあなたの家に泊まることにしているから」と言われたらどうでしょうか。嫌だと思う人もいるかもしれませんが、ザアカイはそのようにイエス様から言われてとっても嬉しかったのです。「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。」(6)
ザアカイはイエス様に「嫌です。木から降りません。家に来ないでください。」とは言いませんでした。急いで木から降りて、喜んでイエス様を自分の家に迎え入れました。イエス様はエリコの町で一番孤独で寂しい人の家に来ました。ザアカイをどうにかして救いたいと思ったからです。お金持ちなのに、ザアカイの心はいつも何か満たされず、悪いことをして嫌われ者でした。そんなザアカイにイエス様は、特別に愛を注いでくださいました。ザアカイはどんなに嬉しかったでしょうか。でもイエス様の周りの人たちは反対に面白くありませんでした。
「人々はみな、これを見てつぶやき、『彼は罪人の家にはいって客となった』と言った。」(7)
この人々はどういう人々かというと、18:43に「すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながらイエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。」とあります。目が見えなかった人をイエス様が癒した奇跡を見て、神を賛美した人たちですが、宗教指導者たちと同じように、イエス様のことをつぶやき始めたのです。
イエス様は18章で、敬虔な金持ちに「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。「…富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(18:22、25)におっしゃっていました。この金持ちはそれができなかったので悲しんで帰りました、彼らは普通に目が見えなくて困っている人をイエス様が癒すことは良いことだけど、あの敬虔な金持ちを退けて、この悪い金持ちのザアカイを受け入れたことに我慢がなりませんでした。これは間違いだと思ったのです。
イエス様がザアカイの家に行くということは、誤解を招くのに十分でした。でもこのようなイエス様の行動がザアカイの悔い改めを呼び起こしたのです。
「ザアカイは立って主に言った、『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します』」。(8)でも、ザアカイはあの敬虔な金持ちができなかったことをしました。するとイエス様はザアカイに言いました。「イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」(9-10)
ザアカイは「失われた者」でした。「失われた者」とは、「大切なことを見失った人」という意味です。誰にも受け入れられない人でしたが、イエス様が受け入れてくれました。イエス様にとって、見た目や仕事やどんな良い人かとか、悪い人かとかは関係ありませんでした。イエス様と出会ってザアカイは今までしてきた悪いことを悔い改めました。今までとは変わった人になりました。なぜならイエス様が「あなたの家に泊まりたい」と言ったので、家に入ることを受け入れたからです。イエス様が入ったことで、ザアカイの家はとても心地の良い居場所になりました。「家」とは心のことです。ザアカイは自分の家・心にイエス様を受け入れたのです。その証拠にザアカイの行動が変化しました。
ザアカイは最初は好奇心からイエス様を見たいと思いましたが、素直にイエス様の言葉に従ったことで、本当の居場所を得ることができました。今まで自分で変わりたい、友だちが欲しい、みんなと仲良くしたい、お金を騙して集めることを止めたいと思っても止められませんでした。変わりたいと思っても、自分で自分のことをどうすることも出来なかったのです。これが私たちの中にある「罪」の姿です。イエス様はこんな私たちのために、「私をあなたの家に迎えてくれませんか」とおっしゃっているのです。もし一度イエス様を迎え入れていたとしても、時間が経つにつれて、イエス様を家の真ん中のリビングでなく、家の押し入れや物置にイエス様を隠していないでしょうか。一緒にお祈りしましょう。
「イエス様、私を新しく造り変えてください。今、あなたを私の家・心にお迎えします。私には罪があります。イエス様、この罪を全部赦してください。そうしてくださることを感謝して、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」