1歴代誌29:1–9「自ら進んで主に献げる」

聖書 Ⅰ歴代誌29:1–9
説教 「自ら進んで主に献げる」
メッセージ 堀部 舜 牧師

1ダビデ王はまた全会衆に言った、「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。2そこでわたしは力をつくして神の宮のために備えた。すなわち金の物を造るために金、銀の物のために銀、青銅の物のために青銅、鉄の物のために鉄、木の物のために木を備えた。その他縞めのう、はめ石、アンチモニイ、色のついた石、さまざまの宝石、大理石などおびただしい。3なおわたしはわが神の宮に熱心なるがゆえに、聖なる家のために備えたすべての物に加えて、わたしの持っている金銀の財宝をわが神の宮にささげる。4すなわちオフルの金三千タラント、精銀七千タラントをそのもろもろの建物の壁をおおうためにささげる。5金は金の物のために、銀は銀の物のために、すべて工人によって造られるもののために用いる。だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」。

6そこで氏族の長たち、イスラエルの部族のつかさたち、千人の長、百人の長および王の工事をつかさどる者たちは喜んでささげ物をした。7こうして彼らは神の宮の務のために金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。8宝石を持っている者はそれをゲルションびとエヒエルの手によって神の宮の倉に納めた。9彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ。

1歴代誌29:1–9
沖縄訪問・「琉球讃美」

私たち夫妻は、先週は沖縄に行き、里子牧師の出身教会の沖縄第一聖潔教会の祈祷会に出席して、証し/メッセージと讃美をしました。牧師の佐久眞先生は沖縄の伝統楽器 三線(さんしん)の師範で、牧師と兄弟の三線に合わせて、沖縄方言による「琉球讃美」を共に讃美しました。三線の響きがとても素晴らしく、初めて聞く言葉とリズムでした。自分たちの楽器で、自分たちの言葉で捧げられる美しい讃美が心に響きました。礼拝でも、月に1度、琉球讃美を捧げているそうです。最近、インドネシアの青年が加わり、沖縄・インドネシア・台湾の人で讃美チームを結成したそうです。全員島国出身なので、チーム名は「アイランド・ハーモニー」。時には、各国語で讃美をすることもあるそうです。自分たちの言葉で・自分たちの楽器で・心からの讃美に触れた祈祷会の時でした。

今日は、歴代誌のダビデの姿から、礼拝の心を学んでいきます。

沖縄の伝統楽器 三線(写真:あゆむ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

■【歴代誌と背景:神殿建設と奉仕者の組織】

礼拝ではダビデ物語を読んでいますが、先週から歴代誌に入りました。歴代誌は、ダビデの数百年後のバビロン捕囚の後に書かれました。王国や神殿が破壊されたことを背景に、イスラエルの歴史を振り返って、神の民のアイデンティティを、神殿礼拝を中心に回復しようとしています。ダビデに関する記述も、神殿につながる出来事が中心です。神殿を中心としたイスラエルの歴史では、ダビデの時代は大きな転換期に当たります。

ダビデの時代の礼拝の復興

かつてモーセが荒野で主の契約の箱をつくって天幕の中に置き、モーセはそこで主にお会いしました。▼イスラエルがカナンの地に定住した後も、主の箱は同じ幕屋(テント)におかれて、その場所で礼拝が捧げられました。▼ダビデの時代に、ダビデはギブオンにあったモーセの幕屋から、契約の箱を移してエルサレムに置きました。そして、幕屋のあるギブオンと、契約の箱があるエルサレムの両方で礼拝が捧げられました。

ダビデがエルサレムに契約の箱を運び上げた時の記事にこうあります。

1歴代16:37 ダビデはアサフとその兄弟たちを主の契約の箱の前にとめおいて、常に箱の前に仕え、日々のわざを行わせた。…39祭司ザドクとその兄弟である祭司たちはギベオンにある高き所で主の幕屋の前に仕え、40 …主がイスラエルに命じられた律法にしるされたすべてのことにしたがって燔祭の壇の上に朝夕たえず燔祭を主にささげた。

この過渡期の期間には、ギブオンの幕屋ではいけにえが捧げられ、エルサレムの契約の箱の前では讃美と預言の祈りが捧げられました。

【礼拝奉仕者の組織と礼拝の興隆】 このエルサレムに契約の箱を迎えるにあたって整えられたのが、新しい礼拝奉仕者の組織です(1歴代誌16章)。それまで、モーセの幕屋で仕えていたレビ人たちを再編成して、ギブオンのモーセの幕屋とは別に、エルサレムのダビデの幕屋で仕える祭司や聖歌隊や門衛などを組織しました。▽詩篇にはダビデの時代に由来する詩篇が多くあります。ダビデの時代にさまざまな楽器を用いた礼拝と讃美の様式が整えられて、後の時代に発展する土台が築かれました。このようにして、ダビデの時代に礼拝が盛んになりました。

【神殿建築】 その後、ダビデは神殿建設を志します(1歴代誌17章)。「神様のために家を建てる」ことを願ったダビデに対して、神様はむしろ「神様ご自身がダビデのために家を建てる」こと、すなわち、ダビデの王朝と、神の国を建てるという、より優れた約束をくださいます。こうして、神の国の働きは、目に見える建物の建築で終わらず、神ご自身が進めてくださいます。▼ダビデはこの神様の約束に喜び、聖霊によって神殿の設計図を示されて、資金や材料を蓄えて神殿建設の準備をします。

1歴代誌28-29章では、ソロモン王の即位式で、ダビデがソロモンに神殿建設の使命を託し、家来たちと共に心から主を礼拝します。今日は、このようなダビデの姿から、礼拝の姿勢を学んでいきます。

1.礼拝を支える人たち

歴代誌23-27章には、礼拝のさまざまな奉仕に当たる人々がリストアップされています。神の民の全てが何らかの形で礼拝の奉仕に携わりました。その中で、モーセの時代以降、神殿にかかわる様々な奉仕に任命されていたのはレビ人たちでした。ダビデは彼らを再編成して、新しい幕屋の奉仕に当たらせます。数万人のレビ人たちが、幕屋・後の神殿での奉仕にあたりました(23章)。いくつかの種類の奉仕を見ていきます。

①祭司

24章に出てくるのは祭司です。主の前に動物のいけにえを捧げることなど、神様に神殿礼拝で特別な役割を果たすのが祭司でした。祭司たちは交代で幕屋/神殿での奉仕に当たりました。ダビデの側近の高官にも祭司がいて、重要な役職であったことがわかります。当時は、神様を礼拝するときには、祭司を通して生贄を捧げるので、祭司は人々の身近な存在でした。

②讃美奉仕者

25章では、讃美奉仕者・聖歌隊として、アサフ、ヘマン、エドトンの家系が挙げられます。詩篇には、彼らの作とされる詩篇がいくつもあります。詩篇の礼拝讃美は、後の時代にも続けて発展しますが、その基礎が据えられたのは、この時代でした。▼25:1で彼らは「琴と、立琴と、シンバルをもって預言する者」と呼ばれています。聖歌隊は同時に預言者だったようです。讃美の中で主の言葉を宣言することは、ダビデの時代から今に至るまで変わらないようです。

③門衛・宝物管理者

26章にある門衛は、幕屋・神殿の秩序を守る人々でした。26章に門衛として名前が挙がっている、コラの子たちやオベデ・エドムは他の聖書箇所にも登場する忠実な人たちでした。王朝の混乱期には、門衛たちが王をかくまうなど、重要な役割も果たしました。▼神の宮の宝物倉の管理者とは、様々な捧げものを管理する会計担当者です。

ダビデ王国の組織

ダビデは王国の組織を整備して、部族の長を中心に12の軍団が交代で王の任務に当たりました。また、王の財産を管理する役人たちを置きました。今日の28-29章の箇所で、ダビデはこの王国を支える長官たちと共に心から礼拝をします。また、ソロモンが神殿を建築する時、これらの人たちが、その実務を担う担い手になりました(1歴代28:21)。

このようにダビデは、主にふさわしい礼拝のために、神殿奉仕者の組織を整え、自ら率先して主に捧げて、全イスラエルを組織して、その心を主に向けさせます。

【適用】

現代の私たちの礼拝も、様々な奉仕によって成り立っています。確かに、主を礼拝することは、いつでもどこでも一人でもすることができます。しかし、毎週の礼拝を、心を込めて共に捧げようとする時、様々な専門的な奉仕によって支えられます。ダビデの時代に祭司や聖歌隊や門衛や会計がいたように、私たちの礼拝も目に見える司会者やメッセンジャーや祈祷担当者だけでなく、様々な奉仕によって支えられています。奏楽者は礼拝の時だけ弾けば良いのではなく、毎週練習をして礼拝に臨むことで、スムーズに礼拝が進められています。YouTubeの礼拝配信や、車の送迎があって、礼拝に参加できる方々がおられます。会計の担当がおられ、スライドがあり、毎週の礼拝堂の掃除や維持管理に協力してくださる方がおられ、礼拝堂や掲示板が整えられ・飾り付けられて、礼拝者が迎えられます。

このような、目に見えない陰の奉仕があって、はじめて一人一人の礼拝者が礼拝に集中して臨むことができます。▼奉仕者が減ってきている中で、いろいろな奉仕のことを考えますが、一つ一つに目的があり、それによって御言葉を届けることができる方がおられることを思う時に、一つ一つが大切だと感じます。歴代誌の著者が、バビロン捕囚の後に神殿礼拝を中心にした歴史で神の民のアイデンティティを教えたように、礼拝は私たちクリスチャンのアイデンティティ形成の土台です。

礼拝を支えておられる陰のご奉仕に感謝し、そのために共にお祈り頂きたいとともに、これからも皆様のご奉仕とご協力を頂いて、一人ひとりの礼拝者が心から喜んで礼拝できる環境をできるだけ維持したいと願っています。

2.ダビデ時代の礼拝――律法に忠実でありながら、創造的に礼拝する

ここで、私たちは聖書の読み方・聖書に忠実であることについて、丁寧に考えたいと思います。ダビデの時代に、礼拝の形は大きく変わりました。ダビデは、契約の箱を、モーセの幕屋から写しました。ダビデは幕屋礼拝を命じたモーセの律法は無効になったと考えたのでしょうか?そうではありませんでした。

【ウザの事件】

この点で、ダビデは最初にエルサレムに契約の箱を移そうとした時に失敗をしました。主の契約の箱を運ぶために律法で定められた祭司やレビ人を任命して、定められた方法で契約の箱を扱うことをせず、荷車に乗せて運びました。牛がよろめいて倒れそうになった神の箱を、車を御していたウザが手で押さえた時、ウザは神様に打たれて亡くなりました。神様の命じた方法に従わず、神様の聖さにふさわしく神の箱を扱うことができませんでした。▼この時の反省から、ダビデは主が怒られたのは「定めにしたがって、私たちが主を求めなかったからだ」と言って、モーセの律法で定められたように、祭司とレビ人を組織して万全の体制で主の箱を迎えます。律法に忠実であることが、ダビデの基本的な姿勢となりました。

【エルサレムとギブオンで】

ダビデが再びエルサレムに契約の箱を運び上げた時、ダビデは慎重に準備して、律法に忠実に従いました。ギブオンにあるモーセの幕屋では、定めに従って毎日いけにえをささげ、一方でエルサレムの契約の箱の前では、預言者でもある歌い手たちが讃美をもって礼拝しました。▼ダビデが始めた礼拝は、モーセの律法を離れたものではありませんでした。むしろ、神の御言葉に忠実であることを学んだからこそ、新しい時代の中で新しい礼拝を生み出していきました。様々な楽器を用いて、新しい音楽を用いて、多くの詩編・讃美歌が生み出されました。そこには喜びと感謝が満ち溢れて、献身に満ちていました。▼ダビデは、モーセの時代の礼拝をただ繰り返したのではなく、神から受け継いだ信仰を、新しい時代、新しい共同体の状況の中で、創造的に表現しました。

【幕屋】

モーセの幕屋は、律法で神様が定めた礼拝の方法でした。しかし、ダビデ自身が思いがけない形で、主が新しい時代の到来を宣言されます。主がすべての敵を屈服させ・安息を与えられた今、主ご自身が主の家と王国を立て、王座を固く据えることを約束されました(17:10-14)。神殿の建物よりもはるかに重要な、神の王国と王座の樹立を宣言されたのでした。「ダビデ契約」と呼ばれるこの新しい約束によって、イスラエルは神様との新しい関係・新しい時代に入ります。ダビデの時代には、預言者ナタンやダビデ自らが預言者として与えられた御言葉の啓示によって、モーセの幕屋の時代を越えて、ソロモン神殿の建設へと向かって生きます。

【聖書解釈】

これは、聖書をどう読むかという問題にも関わってきます。ソロモン神殿が建てられると、モーセの幕屋は使われなくなりました。聖書には、歴史を経ても変わらない部分と、特定の時代の中で有効であった掟があります。時代の展開を無視して、聖書を文字通りの規則集として扱ってしまうと、大きな過ちに陥ります。聖書は、私たちがその中を生きていく、神の大きな物語です。物語の展開を無視して、生きることはできません。神様が私たちを置かれた時代のステージにふさわしく生きていくのです。

【適用:創造的な礼拝】

私たちがダビデから学びたいことは、「聖書に忠実であることは、無味乾燥な新鮮味のないものではなく、創造的で喜びに満ちた生き方であり礼拝である」ということです。聖書に忠実であるからこそ、その聖書が与えている原則を、新しい時代の中で生きていくことができます。ダビデは、モーセの礼拝を捨てませんでした。しかし、モーセの時代の形に閉じこもりもしませんでした。聖書を深く知ったからこそ、新しい礼拝のかたちを生み出していきました。

私たちの礼拝もそうです。今年のクリスマス礼拝でも、昨年に続いて特別聖歌隊などができれば良いなと思っています。皆で喜びをもって讃美を捧げたいと思います。私は先日、友人たちと讃美して以来、祈祷会でもカホンを叩くようになりました。心をこめた讃美は、礼拝を豊かにします。

礼拝だけでなく、信仰生活のあり方が生き生きしたものであってほしいと思います。青年とのデボーションの学びでは、日常生活の中で聖書に触れ、生活の中で祈り、その力と喜びを経験していくことを目指しています。▼今、日々のデボーションについては、10人前後の20-30代の兄弟姉妹と御言葉を分かち合っています。

どのようにしたら、生き生きとした信仰生活ができるのか。聖書に忠実であることが、生活に喜びと活力と生きがいをもたらすのは、どんな生き方か。その模範としての姿をダビデから学んでいきたいと思います。

3.ダビデの祈り

28-29章は、ダビデの晩年のソロモンの即位式での祈りです。この日まで、神様に喜びをもって仕え続けてきたダビデの心が表れています。ダビデの祈りの言葉。です。

28:2「わたしは主の契約の箱のため、…安住の家を建てようとの志をもち、すでにこれを建てる準備をした。3しかし神はわたしに言われた、『おまえはわが名のために家を建ててはならない。…』

ダビデは、神殿建築のために力の限り捧げてきました。その原動力は何だったでしょうか?主は、ダビデが神殿を建てるのを許しませんでした。それは、より大きな約束――人間が建てる神殿ではなく、神が建てる王国の約束――をくださるためでした。ダビデは、自分の力をはるかに超えた永遠の王国の約束を頂いて、喜びにあふれて、力の限りを尽くして主に仕えました。

28:4 それにもかかわらず、イスラエルの神、主はわたしの父の全家のうちからわたしを選んで長くイスラエルの王とせられた。…5 そして主は…わが子ソロモンを選び、これを主の国の位にすわらせて、イスラエルを治めさせようとせられた。

ダビデは、様々な試練を通った人でしたが、彼の祈りは、苦難や欠乏ではなく、神の導きへの感謝でした。

【感謝を数える】

私が神学生の時に、毎日の終わりに3つの感謝を思い出す習慣を持つ神学生がいました。韓国でベストセラーになった「一生感謝」という本を紹介してくれました。私たちはつい、「あれが足りない、これができなかった、何が困っている、何を言われた」とネガティブに考えがちです。でも、よく考えれば感謝なことはたくさんあります。▼最近見た動画で、ウクライナの軍人が、その日2人の戦友を亡くし、疲労困憊しながら、ポケットに残っていたチョコバーに感謝して、ささやかな喜びを味わって、「日常の普通の生活の感謝を知った」、「もし家に帰れたら、一日一日を大切に生きる」と言っていたのが印象的でした。日常の生活。平和で衣食住がある生活。そうした平凡なことに感謝することを学びたいと思います。

ピリピ4:6「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。7そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

「感謝をもってささげる祈りと願い」とあります。私は祈る時に、必ず「お願い」と共に「感謝」を捧げるように心がけています。神がなしてくださったことを当たり前に思わず心に留めることは、喜びと感謝に生きる秘訣です。

そのように、生活の中で感謝を繰り返し思い起こし、感謝が習慣となる時に、私たちの考え方・人生の見方も変わってきます。

そして、ダビデの王座を固く据えるという主の約束の言葉を絶えず思い起こして、感謝と喜びを持って、自ら喜んで主のために捧げて歩み続けました。29章のダビデの祈りは、捧げ抜いた生涯の最後の喜びの献身の祈りです。

1歴代誌29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。

主の約束により頼んできたダビデは、神がすべての約束を実現して、自分が捧げた以上のものを与えてくださったことを知りました。私たちも、主に満たされ、感謝と喜びをもって主に仕える者とならせて頂きましょう。