詩篇25:1-15「あなたの進む道」

2022年11月27日(日) 礼拝メッセージ

聖書 詩篇25篇1~15節
説教 「あなたの進む道」
メッセージ 堀部 里子 牧師

【今週の聖書箇所】
「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。
あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。
あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。
…へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。
主のすべての道はその契約とあかしとを守る者には
いつくしみであり、まことである。
…主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。」
(詩篇25:4-5,9-10,12)

今日からアドベントに入りました。クリスマスの飾りが施され、キャンドルの光が一つ灯りました。嬉しくて飛び跳ねたいような気持と、厳かに静かに待ち望む気持ちの両方が私の中にあります。どちらにせよイエス様をお迎えするのにふさわしく整えられる期間となるようにと祈ります。

楽しみと言えば「サッカーワールドカップ2022」が開幕して、先週日本代表チームが強豪ドイツ相手に劇的な勝利しました。ここまでの道のりを切り開いてきた方々、そのために人生を注いで来られた方々の並々ならぬ労があることを覚えたいと思います。

サッカー選手の中にも公にクリスチャンだと表明している選手がいます。その一人がブラジルのネイマール選手です。彼は「100%JESUS」という鉢巻きを欧州の大会で優勝した時にしていたそうです。インタビューで「何か決める時は僕は祈ることにしている。僕のキャリアは神に導かれている」と語り、聖書の言葉や信仰を表す入れ墨も体に刻んでいます。去る24日のセルビア戦で右足首を負傷しましたが、SNSで「…私は不可能を可能にする神の息子であり、私の信仰は終わりがない」と発信しました。

クリスマスを前に、あなたはキリストへの信仰をどのように表明・発信するでしょうか。

【著者ダビデの道】

今日はダビデが書いた詩篇25編が開かれましたが、25編は「嘆願・信頼・罪の赦し・救い・主の知恵」など幾つかのコンテンツがある詩です。ダビデが歩んで来た道は、どのような道であったのでしょうか。

ダビデは八人兄弟の末っ子で羊飼いでしたが、サウル王専属の竪琴奏者に抜擢されました。その後、兵士として多くの戦いで勝利を勝ち取り、イスラエルの王となりました。一見華やかな道を歩んで来たかに見えますが、ダビデはサウル王の嫉妬心ゆえに命を狙われ、荒野で逃亡生活を余儀なくされました。更には家庭内の不和で悩み、自分の息子から命を狙われた時期もありました。またダビデは姦淫の罪を犯した結果、息子を失う痛みも経験しました。正に波乱万丈の人生を歩んだダビデでした。一方でそのような苦難の道を通ったからこその詩篇もたくさん生まれました。

ダビデは罪を犯し道を逸れることもありましたが、彼の素晴らしい点は自分が悪かったと悔い改めて軌道修正をしたことです。サウル王も多くの失敗をし道を逸れましたが、悔い改めることなく我が道を行き、最期は悲惨な死を迎えてしまいました。ダビデは神を慕い求め、どんなときでも賛美する心を失いませんでした。だからこそダビデは神に「あなたの道をわたしに教えてください」と自分が進むべき道を祈り求めたのです。

皆さんはダビデのように神に「道を教えてください」と祈った経験がありますか?どのように自分の道を決定してきましたか。またこれから更なる人生の岐路に立つ時、どのように道を歩みたいと願いますか。ダビデの詩篇から神が教えてくださる道の祝福を学びたいと思います。

【全き信頼を神に置く】

ダビデの周りには裏切る者がいたようです(2-3)。王様という立場上、不満を抱いてダビデに反抗する人たちがいたことは容易に想像できます。またダビデは異邦人の勢力との闘いが生涯にわたってありました。だからこそ、ダビデは神に全き信頼を置き、自分自身の魂を神に向けました。私たちは苦難の中にいる時こそ、神を必死で求めるのではないでしょうか。ダビデは一国の王でありながら、神を愛する者として神の国を建てるために霊的な戦いをしてきました。

今日の週報にFSさんの証しが掲載されていますが、愛する家族の病のために祈ることは、孤独な霊的な戦いです。霊的な流れを変えるために教会のとりなしの祈りの援護射撃や、断食の祈りは有効です。信仰生活が成熟してくるほど、霊的な壁を突き破るために戦いも激しくなるからです。八方塞がりでも天の窓は開いています。教会は主とそして皆様と共に闘い、勝利を目指したいと思います。ダビデは天の神に全き信頼を置き、告白します。

「主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。
わが神よ、わたしはあなたに信頼します。」(1-2a) 

この1節のヘブル語の直訳は、「私があなたに私のたましいを持ち上げます」です。たましいとは理性や知性を超えた人間の霊的な部分です。ダビデは自らたましいを神様に差し出し、一心に神を信頼する信仰を率直に表しています。困難の只中でのこのような叫びは、神を全く信頼する人ができる告白です。

「…どうか、わたしをはずかしめず、
わたしの敵を勝ち誇らせないでください。
すべてあなたを待ち望む者をはずかしめず、
みだりに信義にそむく者をはずかしめてください。」(2b-3)

敵や裏切る者が勝利することなく、神を待ち望む者が恥を見ないように、神の助けを求めています。本気で神に祈り委ねる人は、天の国の勝利を地上にもたらす人となるでしょう。

【主の道】

「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、
あなたの道をわたしに教えてください。
あなたのまことをもって、わたしを導き、
わたしを教えてください。
あなたはわが救の神です。
わたしはひねもすあなたを待ち望みます。」(4-5)

昨日、韓国光林教会を開拓された金ソンド牧師が25日未明に天に召されたとの連絡を受けました。92歳でした。謙遜で祈りの方でした。光林教会は世界最大のメソジスト教会で10万人の教会員を有しています。研修で訪問した時にいろいろな施設をツアー見学をさせていただきました。教会が障害者支援施設、高齢者介護施設、青少年教育施設、ミュージカルホール、祈祷院、体育施設、カフェや食堂などを有しており、奉仕活動も熱心で良い影響を社会的に与えています。日本語と英語が堪能であったソンド牧師は、国籍を超えた働きをされており、常に「あなたの道を私に教えてください」と神の道を祈り求めて突き進んで来られた先生でした。教会が社会との懸け橋となりキリストの愛を伝えることを最後まで全うされ、天国への道を駆け上って行かれました。

人生はよく「道」に例えられます。今まで歩んで来た道(過去)、今通っている道(現在)、そしてこれから歩む道(未来)は連続している一本道です。25編には「道」と訳された言葉が、6回出て来ます。4節の「あなたの大路」(デレフ)と「あなたの道」(オーラフ)の「道」の二つの道は何を指すのでしょうか。一般的には神の御心が書かれている律法(トーラー)を指しますが、もっと大きな意味を含んでいます。それは生き方を示す主の道・霊的な旅路です。これは人の道とは明らかに異なる道です。

人が創造された当初は、一つの神の道しかありませんでした。しかし、アダムによって罪が入り込んでからは道が二つに分岐してしまったのです。人が神から離れた道が存在するようになりました。

「人が見て自ら正しいとする道でも、
その終りはついに死に至る道となるものがある。」(箴言14:12

 ダビデは自分が王様でありながらも、完璧でなく罪人であることを認めていました。神の憐れみと恵みによって生かされていることも知っていました。だからこそ
「わたしの若き時の罪と、とがとを

思い出さないでください。
主11よ、あなたの恵みのゆえに、
あなたのいつくしみにしたがって、
わたしを思い出してください。…私の咎をお赦しください。主よ、み名のために、わたしの罪をおゆるしください。
わたしの罪は大きいのです。」(7、11)
と言っています。

ダビデの過去の道には多くの過ちと失敗がありました。しかし過去の道を神に委ね、清算され赦しを経て、現在進むべき道を示していただいて行く方法をダビデは選択しました。

例えばSuicaに十分なお金がチャージされていない時は、改札を通過することはできません。先ずお金の清算をして初めて目的地に到着することができます。神様はお金が足りなく清算できない私のために、言わば代わりに清算してくださるようなお方なのです。

つまり神に背いて道を離れてしまった人間に、近づいてきてくださり本来私が負うべき罪という負債を代わりに負ってくださったのがイエス・キリストです。ダビデはイエス・キリストの二十八代前の子孫です(マタイ1:17)。ダビデはイエス様が地上に来られるずっと前に、キリストの光を暗示してくれています。

神様はイエス・キリストという道を提示してくださいましたが、私たちに決して強制なさる方ではありません。主の道を示して選択肢をくださいましたが、その道を通るかは私たちが決めることなのです。

「WWJD・What Would Jesus Do」という頭文字の意味をご存じですか?キーホルダーやシールなどがクリスチャンストアーで販売されています。「イエス様ならどうなさるだろう」という意味の英語の頭文字です。この文字を見て思い起こすためです。何を思い起こすのでしょうか。もしこの時代に、ここにイエス様がおられたならどうされるだろうか、と。イエス様が私たちの生活の只中で、どのようなアドバイスをくれるか神様に問うチャンスをこの頭文字は与えてくれます。たくさんの選択肢がある中で、どの選択肢を選び取るか主に聞くことを共にさせていただきたいと思います。ダビデは「主よ 思い出してください。」(6)と祈りましたが、私たちも主を思い起こしたいと思います。

【天と地の架け橋という道~クリスマス~】

「主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。
それゆえ、主は道を罪びとに教え、
へりくだる者を公義に導き、
へりくだる者にその道を教えられる。…主を恐れる人はだれか。
主はその選ぶべき道をその人に教えられる。」(8-9、12)

貧しい者とはお金がない人ではなく、心低くされ謙遜に神に助けを請うことのできる人のことです。主を恐れる人とは、神に対する畏敬の念を持つ礼拝者のことです。貧しく罪人であっても、正義である主を畏れる人に与えられる恵みをダビデは知っていました。

「主のすべての道はその契約とあかしとを守る者には
いつくしみであり、まことである。」(10)

神が示す道があります。イエス様はは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない 。(ヨハネ14:6)と言われました。イエス様が「天と地の架け橋の道」として踏まれるために地上に来られた日がクリスマスです。これから私たちは一ヶ月、アドベントの期間を過ごしますが、イエス様が地上に来てくださった意味を今年は今年として、深く味わいたいと思います。イエス様の誕生をお祝いすることは、その意味を知り、「救い」というプレゼントを受け取る人たちが起こされる前祝いでもあります。喜び祝う背後には、死に勝利されたイエス様の大きな犠牲があることは忘れてはいけないことです。なぜならキリストの道は、天と地を結ぶための十字架の道だからです。その道を選択する人に与えられる幸せがあります。

「彼はみずからさいわいに住まい、
そのすえは地を継ぐであろう。
主の親しみは主をおそれる者のためにあり、
主はその契約を彼らに知らせられる。」(13-14)

恵みとまことに満ちた道を歩ませて頂きましょう。最後にイザヤ書の言葉を二か所読んで終わります。

「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。」(イザヤ30:21)

「そこに大路があり、
その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。」(イザヤ35:8)