創世記48:15「神の支えの御手」敬老祝福礼拝
聖書 創世記48:15、イザヤ46:4
説教 「神の支えの御手」~敬老祝福~
メッセージ 堀部 舜 牧師

15 そしてヨセフを祝福して言った、
創世記48:15-16
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生れてからきょうまでわたしを養われた神、
16 すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、
この子供たちを祝福してください。
4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
イザヤ46:4
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。
敬老祝福礼拝
今日は敬老祝福礼拝です。ご高齢の方々も、今日まで守られて、ご一緒に礼拝を持てることを感謝いたします。
今日は、聖書の中で幸いな老年期を過ごした人物の「物語」から、その祝福を見ていきたいと思いました。今日は、朗読された聖句に加えて、創世記の族長ヤコブの姿から、「老いと祝福」について見ていきます。
長寿の祝福
私たち夫妻は、3年前に日本伝道会議という福音派の諸教団が集う大会の事務局で奉仕しました。そこで、「おわりからはじめる私たちの祈り」という共同祈祷文を作るために、参加者が話し合う機会がありました。日本の教会が抱える様々な課題を挙げていくと、どうしても「課題、課題、課題」という話になっていきます。その時、ある牧師がこう言いました。「高齢化(長寿社会)は問題じゃない。聖書によれば祝福なんだ。感謝しなくちゃ」と。
例えばゼカリヤ8:4のように、聖書では長寿は神の祝福の象徴です。
ゼカリヤ8:4-5 「4万軍の主は、こう仰せられる、『エルサレムの街路には再び老いた男、老いた女が座するようになる。みな年寄の人々で、おのおのつえを手に持つ。5またその町の街路には、男の子、女の子が満ちて、街路に遊び戯れる』。」
クリスチャンの精神科医である柏木哲夫氏は述べています。「人の尊厳と伝統を重んじる社会では、老人の地位は高い。しかし、『強さと生産性』に価値を置く社会では、老人は肩身が狭い。」 私たちは、ともすると「何ができるか」「どれだけ役に立つか」という物差しで人を見てしまいます。しかし、人の価値は、その人が何を生み出せるかではなく、神のかたちに造られた存在そのものにあることを覚えたいと思います。[①]
ヤコブから学ぶ、祝福された人生の後半
今日は、晩年に苦難を越えて幸いを頂いた族長ヤコブの物語を読みます[②]。晩年のヤコブには弱さがあり、悩みがありました。しかし、ヤコブは神様の御手に持ち運ばれて、主の祝福のうちに最晩年を過ごしました。生涯を羊飼いとして過ごしたヤコブは、神様ご自身が「生れてからきょうまでわたしを養われた神」(別訳:「私の羊飼いであられた神」)と告白します。「羊飼いが羊と共に生きるように、神様はいつも私と共に歩み・導き・養い・守ってくださった」という信仰の告白です。
ヤコブはかつては叔父ラバンのもとで20年間下働きをさせられ、家庭では妻レアとラケルの間にいさかいが続きました。▼ヤコブは主に守られてラバンのもとを離れ、主の導きに従って故郷に戻り、兄エサウとの和解を果たします。エサウに会う前に、ヤコブがペヌエルで神の人と戦い、地に伏してエサウを迎えた姿は、かつてのように人を押しのけて自分の祝福を勝ち取ろうとするのではなく、神と格闘して神ご自身から祝福を頂く、砕かれ成熟したヤコブの姿が見られます。(創世記32-33章)
1.ヤコブの弱さ:迷いとユダの献身
ヤコブの偏愛と苦難
ヤコブは12人の息子の中で、年を取ってから最愛の妻ラケルから生まれたヨセフを特別に愛しました。その偏愛が、兄たちのねたみを生みます。兄たちはヨセフを捕らえて、外国人に奴隷として売ってしまいます。彼らは父ヤコブに嘘をつき、ヤコブはヨセフが死んだと考えます。
ヤコブにはさらに苦難が続きます。厳しい飢饉で食料がなくなり、息子たちをエジプトに送って食べ物を買いに行かせます。ヨセフがエジプトの大臣になっているとは、夢にも思いません。ヨセフは兄たちが来たことを知り、自分を奴隷に売った次男のシメオンを捕らえて、末っ子のベニヤミンを連れてくるように命じます。それを聞いた年老いたヤコブは、苦しみ悩みます。息子たちとの会話に、ヤコブの深い悲しみが表れています。
創世記42:36 父ヤコブは彼らに言った、「あなたがたはわたしに子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。今度はベニヤミンをも取り去る。これらはみなわたしの身にふりかかって来るのだ」。…38…「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」。
心は豊かに生きている:長谷川和夫医師
人間の心は、記憶したり計算したりする機械的な能力は、年齢と共に衰えていきます。でも、人の心を理解して共感する力、道徳心、創造性をつかさどる機能は、最晩年まで成長する可能性があるそうです。[③]
クリスチャンの医師で、認知症医療の第一人者であり、自ら認知症になった長谷川和夫医師(1929-2021)は自らの体験から、こう書いています。「認知症が進んでも、心は豊かに生きています。感性はむしろ研ぎ澄まされています。」「認知機能が衰えても、右の脳がつかさどる感性の働きは健在なので、喜怒哀楽や悩み、希望、豊かなものを求める気持ち、年配者としての誇り、他者や子どもを慈しむ気持ちなどは、うまく表現できなくても、あふれるほどに秘めています。」と。[④]
ヤコブの深い悲しみは、人の心の機微を感じ取り、共感することのできる高齢のヤコブの繊細な心の表れでした。
2.ヤコブの決断と神の導き
ヤコブの決断
ヤコブが末っ子ベニヤミンをエジプトに送るのをためらっている間に、ヤコブの一族は食料を食べ尽くしてしまいます。息子たちは、もしためらっていなければ、エジプトに二度は行って帰ることができたと言って、ヤコブと言い争います。▼退路を断たれたヤコブは、ついに決意を固めます。息子たちに二倍の銀と共に土地の名産を贈り物として持たせ、末子ベニヤミンと一緒に送り出します。ここに、長年の経験を積んだヤコブの知恵と、神への信頼が表れています。
創世記43:14 どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟(シメオン)とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」。
愛し愛されること・はじめること・耐えること:日野原重明医師
聖路加国際病院 元院長であり、105歳の長寿を全うした日野原重明医師(1911-2017)が、75歳以上のシニア世代の新しい生き方を実践するために、「新老人の会」を設立しました。(「老人」という言葉は、「人生経験を重ねた思慮深い人」という意味があります。)その3つのモットーが、ヤコブの姿に重なります。(1)「愛し愛されること」、(2)「創(はじ)めること」、(3)「耐えること」です。
(3)3つ目の「耐える」ことは、老年期の特徴として、先ほどの長谷川和夫先生も取り上げていました。「老い自体は美しいことではありません。予期しない病気も襲ってくるし、能力も低下します。」「しかし、…『これじゃいかん』と耐えて、奮い立たせて生きる。これが、長生きする者の姿じゃないかと思います。」「私も認知症になって転びやすくなりましたが、それでも歩き続けています。転べばやれやれと思いますが、くよくよしても仕方がない。認知症に耐えながら気持ちを奮い立たせるのが、長生きする者の矜持です。」[⑤] 「くよくよしても時間は均しく過ぎていきます。大事なのは、今日ある今を生きること。苦しいこともあるでしょうが、(病気)が進行していても、生きているうちが花だと思うのです。辛くても朝は必ず来ます。」[⑥]
(2)新老人の会のモットーの2つ目は、「創(はじ)めること」です。いつからでも新しいことに挑戦し続けること。「人は創めることを忘れない限り、いつまでも老いない」と日野原先生は言います。▼ヤコブもそのように、勇気を振り絞って、②新しい一歩を踏み出しました。先の見えない不安を主の御手に委ねて、ベニヤミンをエジプトに送り出しました。[⑦]
そして、その一歩を励ましたのが、ヤコブを支える息子たちの励ましでした。
(1)新老人の会のモットーの1つ目は、「愛し愛されること」:人と人の温かい絆の中で生きていくことです。先ほどの長谷川先生の義理の父さまが晩年に認知症になられて、家族のことが分からなくなり、食事をしていた時に突然ご家族に向かってとても不安そうに言ったそうです。「みなさまはどなたさまですか?どなたかわからなくて困っているんです」と。長谷川先生夫妻はショックで言葉を探していた時に、20才になる娘さんが言いました。「おじいちゃんは、私たちのことをわからなくなったと言っているけれど、私たちは、みんなおじいちゃんのことを知っているから大丈夫よ。心配ないよ」。それを聞いたお義父さまはほっとした顔をされたそうです。[⑧]
長谷川医師は述べています。「認知症になって過去の記憶がすっぽり抜けても不安に思うことはありません。なぜならば、あなたの周りがそれらを覚えてくれているからです。」「不安に思う必要はありません。自分がどこに帰ればいいかが分からなくなっても、周りの人が助けてくれるはずですから。人間の絆があれば大丈夫です。」
聖書は、人はそのような温かい愛の交わりと信頼関係の中に生きる存在であることを教えています。[⑨]誰もが、そのような存在を必要としています。そのような「愛し、愛される」ことを、私たちは学んでいくのだと思います。
③苦難の中で忍耐し、②新しい一歩を創め、①愛し愛される絆の中を生きる。▼ヤコブの一家が危機に瀕した時、息子のユダが「自分が責任を取る。自分が末っ子ベニヤミンの保証人となる」と申し出ました。実際、エジプトでベニヤミンが捕らえられようとした時、ユダはベニヤミンの身代わりとなることを申し出ました。ここにヤコブを支える愛の支えがありました。
神の守り
ヤコブの息子たちがエジプトにつくと、エジプトの大臣になっていたヨセフとの間で、劇的な対面があります。カナンの地で待つヤコブのもとに息子たちが戻ると、「ヨセフが生きており、エジプトを支配している」と知らせます。ヤコブはあっけにとられますが、多くの贈り物を積んだロバと宝物、ヨセフが自分のために送った車を見て、元気を出します。
創世記45:28 …「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。
エジプトに出発したヤコブに、神様が語りかけます。
創世記46:3 3神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。4わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。
主が共にいて、新しい地での歩みを守り、平穏のうちに生涯を閉じることができるという約束でした。
ヤコブは劇的な形で神の摂理を経験しました。愛する息子が行方不明になり、厳しい飢饉を経験しました。しかし、その危機の中で神の御手が導いており、そのすべての出来事を通して、ヨセフによって主が彼らの命を救われました。ヤコブは「すべての出来事のただ中で、主ご自身が私を導いてくださっていた」のだと悟りました。
苦しみの中で人生の本質に触れる:若井晋 元教授
苦難の中で神に触れることについて、クリスチャンの元東大教授で、若年性アルツハイマー病になられた若井晋氏(わかいすすむ・1947-2021)の経験が印象的です。二人三脚で歩んだ妻 克子さんの文章です。
認知症と共に生きていくのは、容易ではありません。…たとえ病んだ身でも、そこに宿る命は神様が与えてくださったもの。であれば、何らかの意味があるに違いありません。精一杯生きるのが人の務めであり、そうするための価値が人生にはあると思うのです。
晋の死に接しても、(上述の)私の考えは変わらない。彼は若年性アルツハイマー病になって、知識を、地位を、職を失った。それが世間からは、冒頭で書いたように「天国から地獄に落ちた」ように見えるのだろう。だが私には、むしろ、すべてを失ったことで「あるがまま」を得て、信仰の、人生の、本質に触れたように感じられるのだ。[⑩]
「全てを失ったことで、信仰の・人生の、本質に触れた」。それは若井教授だけでなく、息子ヨセフを失ったヤコブや、アブラハムやヨブにも当てはまります。私たちが出会う最大の試練の中で、この世のものがはぎ取られる経験の中で、主ご自身が触れてくださるのです。
ヤコブの喜び
ヤコブがエジプトにつくと、ヨセフは出迎えて、「父に会うなり、父の首に抱きつき、首にすがって泣き続け」ました。ヤコブは言います。
創世記46:30 …「あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい」。
愛する息子の顔を見て、満ち足りた父親の姿です。この世の富も名誉も、愛する者以外にヤコブの心を引くものは、この地上にありませんでした。
3.ヤコブの使命:祝福と祈り
神の守りの御手を経験したヤコブは、絶望的だと思っていたけれど、神の愛が絶えず導いておられたことを経験しました。
ファラオの前に立った時、ヤコブは既に130歳でした。周辺世界を支配する最高権力者の前で、ヤコブは族長とはいえ、飢饉にあえぐ一介の羊飼いにすぎませんでした。ヤコブは言います。「わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」(47:9)。しかし、ヤコブはファラオを父が子を祝福するように祝福します。
ヤコブの最晩年に、ヨセフと2人の息子を祝福し、12人の息子たちを祝福しました。足腰も立たなくなったヤコブの最期の務めは、周囲の人々を祝福することでした。
高齢者の役割
ある教会の牧師が、高齢者の方々の役割を二つ挙げたそうです。それは、証しすることと、祈ることです。
1.【証し】 それぞれが人生で与えられた恵みと祝福について語り伝えること
2.【祈り】 祈ること。とりわけ若い人々のために祈ること。[⑪]
私たち夫妻は、月に1度、高齢者施設のキングスガーデンで礼拝奉仕をしています。忙しい中で時間を割いてメッセージの準備をすることは、時に担に感じることあります。でも、そのたびに、実際にキングスガーデンに行って礼拝をすると、むしろ元気を頂いて帰ってきました。キングスガーデンの入居者・職員の方たちが、いつも私たちのために祈っていてくださる、その祈りに大きく支えられていると感じています。教会の皆さんの祈りは、なかなか実りが目に見なくても、教会の働きの原動力となっています。
ヤコブの祈り:「私の羊飼いである主」
ヤコブはどのように主を証しし、告白したでしょうか。
創世記48:15-16「15…「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、生れてからきょうまでわたしを養われた神、16すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、この子供たちを祝福してください。…」
彼の生涯は、災いの連続でした。しかし、ヤコブは常に彼の羊飼いであり続けた主に出会いました。主の御手が彼を支え続け、絶えず彼とともに歩み、彼を養い、導き、危険から救い出してくださいました。▼ヤコブは神様の祝福を頂いたので、次の世代の人たちを祝福することができました。
教会員の生活の中での証し
そして、皆さんそれぞれが主にあって歩んでいるその信仰の歩みが、互いに大きな励ましとなります。Sさんが洗礼を受けられて、毎日祈り、YouTubeの礼拝を守られている姿。MさんやKさんがメッセージを良く聞いてくださって、鋭い質問をくださること。Sさんから伺う信仰のエピソード。Yさんの礼拝を忠実に守ろうとする姿勢。Tさんが礼拝を守り続け、御言葉を大切にする姿勢。私の両親が毎週YouTube礼拝を守ってくれていること。一つ一つが、尊い信仰の証しです。
ヤコブは寝たきりになった後にも、証しと祈りの務めを止めませんでした。
創世記48:8-9 8…イスラエルはヨセフの子らを見て言った、…9…「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。
創世記48:15 そしてヨセフを祝福して言った、…
創世記49:28 すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そして…彼らの父が…、彼らおのおのを祝福した。
内村鑑三は、後の世代に残すことのできる最大のものは、お金ではない。事業でもない。思想でもない。それは、私たちの生き方であり、「勇ましい高尚な生涯だ」と言いました[⑫]。 私はSさんから伺ったKさんの奥様の最期の生き方を思い浮かべています。亡くなる直前の週まで、身体が傾きながらも礼拝を守られた様子を伺いました。「死んでもなお語る生き方」とは、そのような生き方ではないでしょうか。
神が最後まで善いものを備えられた老年
19世紀英国の詩人ロバート・ブラウニングが、老年期を肯定的に描いた詩が印象に残りました。「ラビ・ベン・エズラ」という12世紀の詩人の名を冠した詩です。
老いゆこう、私と共に!
最も良いものは、これからだ。
人生の最後、そのために最初が創られた。
私たちの時は、主の御手の内にある。
神は言われる。
「わたしは全体を用意した。
若い日はその半ばでしかない。
私に信頼せよ。
すべてを見て、恐れてはならない!」[⑬]
私たちの生涯は、人生の最後の日まで、主の御手の中にあります。主が備え、導き、守り、良いものをくださるこの人生を、老いも若きも、主に信頼して、期待を持って歩んでまいりましょう。

祈り
今日この日まで、ずっと私の羊飼いであられた神様。苦難の日も、喜びの日も、私と共に歩み、私を導き、養い、良いもので満たしてくださったことをありがとうございます。
ヤコブは「わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで…」と告白ながらも、その中にあった主の守りと導きを告白しました。そして、主の祝福を受けて、多くの人のために祈り、祝福する者となりました。
主は「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ」(イザヤ46:4)と言われます。これまで担い続けてくださった主が、これからも負い続けてくださることを感謝します。感謝と喜びをもって、日々を歩ませてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
[①] 石丸昌彦「老いと祝福」p66-67
[②] 聖書には、「満ち足りて幸せな晩年を過ごした」とされるアブラハム、イサク、ダビデ、ヨブなどがいます。ヤコブにはこの言葉はありませんが、人間味のあるヤコブの生涯を見ていきたいと思います。
[③] 流動性知能と結晶性知能 心の理解と共感 石丸昌彦「老いと祝福」p73
[④] 長谷川和夫「認知症でも心は豊かに生きている」p42
[⑤] 長谷川和夫「認知症でも心は豊かに生きている」p72-73
[⑥] 長谷川和夫「認知症でも心は豊かに生きている」p70-71
[⑦] https://www.mainichi.co.jp/ninchishou/book/13_1.html
[⑧] 長谷川和夫「ボクはやっと認知症のことがわかった」p110-112、長谷川和夫「認知症でも心は豊かに生きている」p95
[⑨] 長谷川和夫「ボクはやっと認知症のことがわかった」p21
[⑩] 石丸昌彦「老いと祝福」p56-59
[⑪] 石丸昌彦「老いと祝福」p173
[⑫] 内村鑑三「後世への最大遺物」
[⑬] 石丸昌彦「老いと祝福」p204-208

