Ⅰ列王記3:3-15「知恵を求める王」
聖書 Ⅰ列王記3:3-15、箴言9:10
説教 「知恵を求める王」
メッセージ 堀部 里子 牧師

5ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。
9それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。
10ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。11そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、12見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。13わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。14もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。
Ⅰ列王記3:5,9-14
主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。
箴言9:10
おはようございます。ダビデの生涯を辿ってきましたが、ダビデから息子ソロモンへと時代が移り、新しく王となったソロモンの本格的な統治が始まりました。神様から「何を願うのか」と問われたら、私たちは何を願うでしょうか。
ある時、海外から来られた老年の牧師がクリスチャンブックセンターで、「このお店の中で、何か一つあなたにプレゼントします。何が欲しいですか。」と急に言われてびっくりしました。最終的にウクライナへ宣教師として働いている方の本を選びました。すると「あなたは海外に興味があるのですね」と尋ねられました。確かに私は幼い頃から海外に興味がありました。何が欲しいかと聞かれて、自分の心が現れ出て来るのだなと思ったことです。
ダビデはどんな王だったでしょうか。神に信頼し神の前に悔い改めることを学んだ王でした。その息子ソロモンはどのような王なのでしょうか。
1. ソロモンはどのような王だったのか
3:1ソロモン王はエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとって…
イスラエルは小さな国でした。力あるエジプトの王ファラオと姻戚関係を結ぶことで、国の安定を得たことでしょう。当時の社会情勢を考えると仕方ないかもしれませんが、この決断が後にソロモン自身が神様から離れていく原因になります。国の存続のためにファラオの娘をめとったかもしれません。しかし、異教の神々も一緒に付いてきてしまいました。イスラエルの国は後に分裂してしまうのです。
3:3ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
「高き所」とはカナン人の礼拝所です。神殿がまだ建てられていなかった当時、ギブオンは重要な礼拝の場所でした。後のヨシヤ王が律法を発見し、「高き所」を取り除いていきました(Ⅱ列王23章)。ここで注目したいのは「ただし」という言葉です。ソロモンは主を愛していました、そして父ダビデの信仰を受け継ごうとしていました。「ただし」の後に続く言葉は、前の言葉とは反対の要素を述べることが多いです。主を愛していながら、高き所でいけにえを献げ、香をたいていたことは、神を愛することとは真逆のことであったのです。王としての歩みが始動しましたが、ソロモンの歩みには、まだ整えられていくべき部分もあったということです。
神の方からソロモンに問いかけられた
3:5ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。
ソロモンが神に願いを聞いてもらおうとしたのではなく、先ず神様の方からソロモンに夢の中で語りかけてくださいました。ここに、神様の恵みがあると思います。ソロモンに神は「あなたに何を与えようか」と問いかけられました。もし、神様が私たちに「何を与えようか。願え」と語られたら、私たちは何を願うでしょうか。願いの内容によって、私たちが何を大切にしているかが明らかになります。個人的な願いを申し上げることもあるでしょう。それ自体が悪いのではありません。神様は私たちの性格も好きなこともご存じで、もちろん生活の全ての必要もご存じです。私たちの願いが、神の御心と託された務めに向けられていくことを学びたいと思います。
ソロモンは何を願ったのか
3:6ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。
ソロモンはすぐに願いを言うのでなくまず、神様が父ダビデに示された恵みと誠実さを認めます。そして、自分が王になったことは、神の恵みによるものであると受け止めています。その上で、7節でこう告白します。「わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。」
ここで「小さな子ども」とは、ソロモンが王としての経験も判断力も十分ではなく、自分にはこの重大な務めを担う力が足りないという、謙遜な自己認識を表しています。むしろ自分が王になったからこそ、自分の限界を認めたのではないでしょうか。
そして、ソロモンは願いを述べます。「聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。」(9) この「聞き分ける心」は、原語のヘブル語では「従順」の意味が含まれているそうです。神の言葉を聞くように、人々の訴えに耳を傾け、状況を正しく見極め、何が正しいのかを判断する心です。また「さばく」と訳された言葉は「良い関係をつくる、正しく統治する」という意味があるそうです。ソロモンは、自分が王として成功するためだけに知恵を求めたのではなく、神の民を正しく治めるために、神ご自身の知恵によって民と円滑にコミュニケーションを取れるように、聞き分ける心を求めたのです。ここに、神様が喜ばれる願いの本質があるのではないでしょうか。

2.神様はなぜソロモンの願いを喜ばれたのか
「そのことが主のみこころにかなった。」(10)神が喜ばれた理由は、ソロモンが「自分のために」長寿や富、敵の命を求めなかったからです。ただ王として、民を正しく治めるための知恵を願ったからです。
6:11-13「11そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、12見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。13わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。」
神様は彼が求めなかった富と誉れも与えると約束されました。ただしここで大切なことは、「正しい願いをすれば、神は必ずそれ以上の物質的祝福を与えてくださる」という成功の法則ではなく、ソロモンが自分の利益よりも「神から託された務めを果たすことを優先した点」です。そして更に「もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」(14)と約束されました。
神様は夢の中でソロモンに告げましたが、ソロモンは夢から覚めて「そこで彼はエルサレムへ行き、主の契約の箱の前に立って燔祭と酬恩祭をささげ、すべての家来のために祝宴を設けた」(15)とあります。彼は夢から自分の日常生活へと戻り、実際に礼拝を捧げ、王としての歩みを続けていきます。信仰とは、神との特別な体験を持つことだけではなく、そこから日常の務めへと遣わされていくことです。
神が与える「知識」と「知恵」の違い
そして、知識と知恵は対立するものではありません。しかし、知識をたくさん持っていることと、その知識を神の御心にかなうように用いることは、同じではありません。
知識 — 何を知っているか⇒事実や情報を理解し、物事について知ることです。様々な知識があります。聖書の知識、歴史の知識、人間についての知識などが含まれます。
知恵 — 何を、どのように行うべきか⇒知っていることを、神を畏れる心をもって正しく判断し、適切な時に、適切な方法で実践することです。聖書に「互いに赦し合いなさい」という御言葉を読むとき、知識としてインプットされます。しかし、例えば実際に自分を傷つけた人と向き合うとき、何を赦すのか、どのように話すのか、どのような境界線を保つのかなどを祈りながら判断し、憎しみに支配されずに行動するには、知恵が必要です。
愛をもって真実を語ることも、知恵が必要です。知識があれば、正しい答えを言うことはできるかもしれません。しかし、知恵がなければ、知識を人を傷つけるために使ってしまうことがあるのではないでしょうか。正しい知識と正しい知恵を神様から与えられ、これらを適切に用いることが大切なのです。
ソロモンが書いた箴言1:7に「主を恐れることは知識のはじめである」、9:10「主を恐れることは知恵のもとである」とあります。神様に知恵を求めたソロモンの願いと深くつながっています。ここで「主を恐れる」とは、神が聖なるお方であり、すべてをご存じであり、私たちの造り主であると認め、神を敬い、その御言葉に従おうとすることです。つまり、知識や知恵として知るべき最優先のことが、主を恐れることなのです。「あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。」(箴言2:5-6)
神様が与える知恵は神を神として認め、自分を神様の前に置くところから始まるのです。知恵のある人こそ、自分が知らないことを認め、神様に聞き、人の声にも耳を傾け、必要なら自分の判断を改められる人です。ソロモンが求めた「聞き分ける心」は、まさにそのような心でした。
3.王(リーダー)の役割とは
① 王は、自分のためではなく民のために立つ
ソロモンは「あなたの民」と語っています。ソロモンは民を自分の所有物としてではなく、神の民として理解していました。王という立場は、神様から民を託された責任です。これは、リーダーの役割を担うことがある私たちも同じではないでしょうか。家庭の親、職場の上司、学校の先生、教会の牧師や役員など、それぞれ立場は異なりますが、人を導く立場に置かれた人には、自分の都合だけではなく、託された人々のことを考える神様からの責任があります。教会においても、牧師や役員は自分の思いを通すためではなく、キリストのからだを建て上げ、人々が神様に従って歩めるように仕えるために与えられています。
② 王(リーダー)は、正義をもって判断する
ソロモンは「善悪を判断して」民を治めるために知恵を求めました。人を治めるとき、すべての人を満足させることはできません。人々の主張が対立することもあります。声の大きい人の意見が正しく聞こえることもあれば、立場の弱い人の声が届かないこともあります。だからこそ、王には「聞き分ける心」が必要でした。単に人当たりがよいことや、誰とも衝突しないことが、知恵ではなく、何が正しいのかを見極め、必要なときには困難な判断をすることも知恵です。真実を大切にしながら、相手の尊厳を守り、愛をもって対処する。そのためにこそ、私たちは神の知恵を必要とします。
③ 王(リーダー)自身も、神の支配の下にある
王もまた、神の前に立つ一人の人間です。自分の判断がいつも正しいとは限らず、自分の力だけでは民を正しく治められないことを認める必要がありました。ソロモンの願いは、そのことを示しています。私たちが忘れていけないのは、ソロモン自身のその後の歩みです。彼は知恵を与えられましたが、残念ながら生涯を通して最後まで神に従い続けたわけではありませんでした。
Ⅰ列王記11:4-5では、晩年に彼の心がほかの神々へと傾いていったことが記されています。「ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。」神様を信じ、知恵を与えられたら、それで信仰の歩みが完成するのではないことが分かります。神様から知恵をいただいた後も、神様を恐れ、最後まで神様に従い続ける必要があります。神に従う心を失うなら、その知恵を誤った方向に用いることがあります。私たちはソロモンを通して、知恵を求めることと同時に、知恵の与え主なる神様に最後まで従い続けて行きたいと思います。
4. 現代を生きる私たちが受け取ること
① 自分の限界を認め、神に助けを求める
ソロモンは最初、王になったからといって、自分の力を過信しませんでした。「わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません」と告白しました。私たちは、自分の弱さを見せることを恐れることがあります。責任を担う立場にある人ほど、「しっかりしなければ、自分が何とかしなければ」と思いがちです。しかし、聖書は自分の限界を認めることを信仰の敗北とは教えていません。むしろ、自分だけでは十分ではないと認めることが、神の助けを求める出発点になります。モーセも最初から荒野を導く勇敢なリーダーではありませんでした。口下手で自分にはイスラエルの民を導くことはできないと思っていました。しかし、モーセの一番弱いと感じた口に神様が触れてくださったのです。
家庭の問題、人間関係、仕事、教会の課題においてどうすればよいか分からないことがあります。そのとき「私には分かりません。主よ、教えてください」と祈ることができます。これは、責任を放棄することではなく、自分の力だけで解決しようとすることをやめ、神様に依り頼みながら、自分にできることを果たすことです。私たちは、自分の力だけで何とかしようとしていることはないでしょうか。
②神から託された務めのために求める
ソロモンは、民を正しく治めることを願いました。私たちも、健康、生活の必要、家族の救い、問題の解決など神様に祈り願うでしょう。しかし、今日の御言葉は「主よ、あなたから既に託されたものを、どのように用いたらよいでしょうか」と祈ることへ招いているのではないでしょうか。神様に願うことは、単に自分の願いをかなえていただくことではなく、同時に神の御心に自分の心を向けていくことでもあるのです。「私たちが神様に求めているものは、誰を愛し、誰に仕えるために必要でしょうか」

5. 最も偉大な王とは
ソロモンは神様から知恵を与えられた王でしたが、完璧な王ではありませんでした。ソロモンの生涯には、神様に従った時期もあれば、神様から離れていった時期もありました。どれほど優れた知恵を持つ人であっても、人間には限界があります。本当の王は誰でしょうか。「イエス・キリスト」です。
イエス様は、ソロモンや人間を超える方としてご自身を示されました。「しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。」(マタイ12:42)。また、Ⅰコリント1:30では、「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」とあり、神からの知恵とは、義と聖と贖いであり、それはキリストであると教えています。私たちは、キリストに従うことによって、神の御心にかなう歩みを学んでいきます。完全な知恵を持つイエス様に信頼し歩むことができるとのは希望です。
まとめ
自分の願いをかなえるためだけでなく、神の御心を行うために知恵を求めたいと思います。ソロモンは王になったとき、王としての器量、人格、信仰などすべてが揃っていたわけではありませんでした。むしろ、自分は未熟で、この務めを担う力が足りないと認めました。そして神に、「聞き分ける心」を願いました。
私たちも、人生の中でさまざまな選択を迫られます。何が正しいのか、どうすればよいのか、誰の言葉に耳を傾けるべきなのか。特に、人と人との間に立つとき、自分の判断だけでは答えが見つからないことがあります。そのようなとき、私たちは神に祈ることができます。
また知恵とは、神に聞き、神を信頼して一歩を踏み出すことです。知恵の源は、神ご自身です。私たちも、知恵を求めるだけでなく、知恵を与えてくださる神ご自身を求めて歩みましょう。「神の前にへりくだり、託された人々のために知恵を求めること」そして、ソロモンを通して、知恵を得た人間の素晴らしさだけでなく、人生の最後まで神に従うことの大切さ、そして私たちを導いてくださるキリストの恵みへと至りたいと思います。
祈り
「主よ、私に聞き分ける心を与えてください。自分の思いだけで判断するのではなく、あなたの御心を知ることができますように。私に託された人々を、自分のためではなく、あなたの愛によって愛することができますように。」


