2サムエル15-19章「関係を築く思慮深さ」

聖書 2サムエル15-19章
説教 「関係を築く思慮深さ」
メッセージ 堀部
牧師

13ひとりの使者がダビデのところにきて、「イスラエルの人々の心はアブサロムに従いました」と言った。14ダビデは、自分と一緒にエルサレムにいるすべての家来に言った、「立て、われわれは逃げよう。そうしなければアブサロムの前からのがれることはできなくなるであろう。急いで行くがよい。さもないと、彼らが急ぎ追いついて、われわれに害をこうむらせ、つるぎをもって町を撃つであろう」。15王のしもべたちは王に言った、「しもべたちは、わが主君、王の選ばれる所をすべて行います」。16こうして王は出て行き、その全家は彼に従った。王は十人のめかけを残して家を守らせた。17王は出て行き、民はみな彼に従った。彼らは町はずれの家にとどまった。18彼のしもべたちは皆、彼のかたわらを進み、すべてのケレテびとと、すべてのペレテびと、および彼に従ってガテからきた六百人のガテびとは皆、王の前に進んだ。

23国中みな大声で泣いた。民はみな進んだ。王もまたキデロンの谷を渡って進み、民は皆進んで荒野の方に向かった。24そしてアビヤタルも上ってきた。見よ、ザドクおよび彼と共にいるすべてのレビびともまた、神の契約の箱をかいてきた。彼らは神の箱をおろして、民がことごとく町を出てしまうのを待った。25そこで王はザドクに言った、「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。26しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。

29そこでザドクとアビヤタルは神の箱をエルサレムにかきもどり、そこにとどまった。30ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。

2サムエル15章 抜粋

先輩牧師の心配り

先週、神学校で一緒に学んだ先輩牧師夫妻を訪問しました。社会人自体には大きな組織の責任を持ち、人間関係のスキルを長く磨いてきた方です。地域の方々と温かい関係を築いておられる様子を伺えました。近隣の食堂に、数十人分の仕出し弁当を頼むことがあるそうですが、プライベートでも食べに行き、たまに小さな差し入れを持って行き、個人的に親しくなったそうです(私たちにもごちそうを振る舞ってくださいました!)。近所の方がトラックを譲ってくださったときには、申し出られた金額よりずっと高い流通価格で買い取ったそうです。折々の心遣いが、近隣との温かい交流を生んでいる様子を知ることができました。

今日は、ダビデの失敗と成功を通して、破れた人間関係を修復する「思慮深さ」を見ていきたいと思います。

序.罪の連鎖の中で

礼拝では、続けてダビデの物語を読んでいます。先週は、ダビデの生涯最大の汚点となったバテシェバの事件でした。姦淫と殺人の罪を、ダビデは悔い改めて神の赦しを得ました。しかし、その罪の結果として、バテシェバが身ごもった最初に子が亡くなっただけでなく、ダビデの一家とイスラエルの国に悲惨な影響をもたらしました。

ダビデの子どもたちの間で、性的暴行と殺人が起こります。長男アムノンが、母親の違う妹タマルを辱めて、これに激怒した兄アブサロムがアムノンを殺します。ダビデはアブサロムに怒り、彼を遠ざけます。しかし、恨みを募らせたアブサロムは、反乱を起こしてダビデを危機に陥れました。

この危機は、ダビデ自身の罪が招いた苦しみでしたが、ダビデは自分の罪が招いた結果から逃げずに、神の御手に委ねました。主は厳しい裁きの中にも憐れみを備えておられて、多くの人を通してダビデを支え、危機から救い出されました。ダビデの弱さが表れたこの出来事から、弱さの中でどのように生きることができるかを見ていきます。

戦いの経緯

今日は、2サムエル記15-19章のアブサロムの反乱の物語全体を取り上げます。流れに沿って、①エルサレムから逃れる(15-16章)。②ヨルダン川を越えて逃げる(17章)。③両軍の決戦の時(18章)④反乱後の回復(19章)の順で見ていきます。

エルサレム

1.都を追われる――主の御手にゆだねる

アブサロムが戦車と馬と兵50名を集めた時、ダビデはこれを咎めませんでした。アブサロムは、王のように民の裁判に介入して、人々の心をつかみ、反乱の準備を進めました。周到に準備された反乱は、多くの支持者を得て、勢いがありました。知らせを受けたダビデは、敵が攻め込む前に、エルサレムから逃げるしかありませんでした。ダビデと一行がエルサレムから出て行く時、人々は「大きな声をあげて泣き」ました(15:23)。

神にゆだねる

神様の臨在を象徴する「神の契約の箱」を、祭司がエルサレムから持ち出そうとした時、彼らを都に送り返して、言いました。

15:25 …「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。26しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。

主はダビデへの裁きを宣告され、それを実行しておられます。ダビデはその裁きから、逃れようとしません。主の御手に自分を委ね、主の憐れみに頼ります。神の前に自分を正当化せず、神の箱を自分のために利用しませんでした。

悲しみ

エルサレムを出て、都が見えるオリーブ山の坂道に差し掛かった時、「ダビデは…泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。」とあります(15:30)。

さらに追い打ちをかけるように、悪い知らせが入ります。ダビデの優れた顧問であったアヒトフェルが、敵側についたという知らせでした。アヒトフェルは、バテシェバの祖父だった可能性があります。かつてダビデに仕えた優れた人物までもが、ダビデに敵対する側につきました。アヒトフェルの知恵で、追い詰められることを予想したダビデは、主に祈ります。

15:31 …「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」。

シムイの暴言

ダビデが都を落ち延びていく途中、シムイという人が、ダビデに呪いの言葉を浴びせます。シムイを殺そうとする家来を抑えて、ダビデは言います。

16:11-12 …「わたしの身から出たわが子がわたしの命を求めている。今、このベニヤミンびととしてはなおさらだ。彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。12主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。また主はきょう彼ののろいにかえて、わたしに善を報いてくださるかも知れない」。

ダビデは、シムイが正しいと認めたわけではありません。しかし、その悪意も含めて、自分の置かれた状況を主の御手に委ねて、主からの恵みを待ち望みました。

キリストの受難

この時のダビデは、自分が犯した罪の罰を受けたという意味では、主イエスと大きく異なります。それでもなお、ダビデの歩みは、主イエスと重なるところがあります。▽主イエスは逮捕される直前にゲツセマネの園に向かわれた時、同じキデロン川を渡って、オリーブ山へ向かわれました。多くの敵に追われ、供の者たちを連れて行かれました。敵からの嘲りを受けて、正しくさばかれる方にお任せになりました(1ペテロ2:23)。

ダビデは自分で犯した罪の罰を負ったのですが、主イエスはご自分は罪を犯すことなく、かえってすべての人の罪の代価を負ってくださいました。私たちクリスチャンは、たとえダビデのような厳しい罪の裁きの中にあっても、キリストの恵みと罪の赦しによって、神の憐れみに信頼して、ダビデのように主の手に委ねて歩ませていただけます。

2.ヨルダン渡河――主は人を通して支えてくださる

神様は、どのようにしてダビデを救い出し、恵みを与えられたでしょうか?

8月の納涼会で、映画「天国からの奇跡」を見ました。実話を元にした映画で、主人公のアナは、長い闘病の末に奇跡的に癒されます。その後のお母さんの証しでは、肉体的な奇跡だけでなく、多くの人たちから受けた優しさを振り返って「愛こそ奇跡である」と述べていました。神様は、ダビデの周りの一人一人を通して、ダビデに恵みを伝えました。

神のさばき

【そばめ】 神の恵みを述べる前に、神の裁きが表れたのも、人間を通してでした。▼アヒトフェルはアブサロムの顧問となると、反乱軍を団結させるために、エルサレムにいたダビデのそばめたちを、アブサロムのものにします。これは、ダビデへの神のさばきとして描かれています。

【家族内抗争】 ダビデは危機を乗り越えると、軍隊を組織します。両軍の構成を見ると、ダビデの王族同士が血で血を洗う争いだったことが分かります。王位を争うダビデとアブサロムは実の親子です。両軍の指揮官の4人中3人がダビデの甥です。ダビデの一族が敵味方に分かれて、殺し合いや裏切りが続きます。ダビデの罪の悲惨な結果でした。

神の慈しみ

裁きだけでなく、主の憐れみも、人々を通して表されます。ダビデを取り巻く多くの人が彼を支えました。▼ペリシテ人の町ガテから来た隊長イタイは外国人でしたが、不安定な立場のダビデと行動を共にして、指揮官となって力を発揮します。 ▽祭司ツァドクとエブヤタルは、祭司の身分を利用してエルサレムに留まり、敵の情報を伝える重要な役割を果たしました。 ▽王の友と呼ばれたフシャイは、ダビデのためのスパイとして、敵の顧問となり、敵の策略を打ち破りました。 ▽ダビデが逃げたヨルダン川の対岸の有力者・バルジライたち3人は、ダビデが不慣れな地で、多くの部下のために食料を用意して、ダビデを力強く支えました。▼危機の中で劣勢に立つダビデにこれだけの助けがあったことは、神の憐れみでした。

神の摂理

戦いの方向を決定づける出来事も、人々を通して神の支配の下で動いていきました。

【作戦会議】

ダビデが、「アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈った直後にやって来たのが、王の友フシャイでした。ダビデはフシャイをスパイとして、敵の中心に送り込みました。そして、その時はすぐに来ます。敵の作戦会議の中で、アヒトフェルは、ダビデが態勢を立て直す前に、直ちに精鋭部隊を率いて、ダビデ一人を討つことを提案します。ダビデにとって最も危険な作戦でした。▽しかし、フシャイはこれに反対して、ダビデのために時間を稼ぐ作戦を提案しました。▽優れた作戦が退けられ、ダビデが送り込んだフシャイの作戦が採用されたのは、神様の摂理によることでした。

【伝令】

アブシャロムの反乱が始まってから、事態は急激に展開します。ダビデは危険を知って直ちにエルサレムを離れて荒野に逃げます。アブサロムはエルサレムに入り、すぐに作戦会議を開きます。アヒトフェルはその日のうちに軍勢を率いてダビデを打ち取ることを提案しました。フシャイは別の提案で時間を稼ぎ、その夜のうちに秘密の伝令がダビデのもとへ届き、夜が明けるまでにダビデ一行はヨルダン川を渡り終えました。

しかし、敵が支配するエルサレムから伝令を送るのは非常に難しいことでした。彼らは、何人もの人を介して伝言します[1]。どこで一歩間違えても、違った展開になりえた、切迫した状況に、神の摂理が働いていることを見ることができます。

神の裁きも、神の恵みも、ここでは人々を通して表れています。

神の恵みと導きは、人を通してあらわされる。

3.決戦――勝利しても、悲しみは消えない

両軍の決戦の時、ダビデは3人の指揮官に向かって、息子であるアブサロムの命を奪わないように求めます。ダビデ軍はアブサロム軍を打ち負かします。アブサロムが頭を木に引っかけて身動きできなくなっていたところをダビデの兵士が見つけますが、兵士は王の命令を恐れてアブサロムに手を出しません。しかしヨアブは、王の命令を無視してアブサロムを打ち殺します。

知らせを受けたダビデは泣き崩れます。

18:33 王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。

ダビデ自身が蒔いた罪の種が、息子たちの世代で増幅され、大きな悲劇をもたらしました。ダビデは、主の摂理の中で戦いに勝利します。しかし、戦いは勝利しても、息子の死のために喜びはありませんでした。

4.回復への道――王は民のところに戻る

戦いに勝利しても、全てが一件落着とはならず、混乱を収拾する必要がありました。

① 悲しみに閉じこもるダビデ

自分の罪を始まりとした罪と連鎖によって息子アブサロムを失ったダビデは、悲しみに暮れて、自分を見失います。そして、自分のために命を懸けて戦った兵士を出迎えず、反乱軍の首領であるアブサロムの死を嘆き続けました。

19:3 そして民はその日、戦いに逃げて恥じている民がひそかに、はいるように、ひそかに町にはいった。

ダビデは命がけで戦った兵士たちに恥をかかせてしまいます。

② 一人ではなく、人々の中へ

戦争から帰ったヨアブは、ダビデを厳しく叱責します。

「あなたは今日、あなたと家族の命を救ってくれたすべての家来たちに恥をかかせました。アブサロムが生きて、我々皆が死んでいた方が良かったのですか?あなたにとって私たちは取るに足りない者であることが分かりました。今、外に行って、家来たちの心に語りかけてください。そうしなければ、誰一人あなたのそばに留まらないでしょう。」(19:5-7)

ダビデはこれを聞いて、門の広場に立ち、解散しかけていた兵士たちは王の前にやってきました。孤独の中に沈み込んだダビデは、自分を奮い立たせて、再び共同体の交わりの中に身を置きました。▼主がダビデを恵み導いたのは、人々を通してでした。主に委ねるということは、人々から身を引くことではなく、その交わりに身を置き、勤めを果たすことです。

③ 一つ一つの関係の回復

ダビデはユダの長老に呼びかけて、長老たちはダビデをエルサレムに連れ戻します。ダビデがヨルダン川を渡ってユダに戻る時、多くの人がダビデを迎えに行きました。そこでダビデは一人一人との関係を回復します。

【シムイ】

真先に駆けつけたのは、以前ダビデを激しく呪ったシムイでした。シムイは倒れ伏して謝罪しました、ダビデの家来がシムイを殺そうとします。しかしダビデは、シムイの命を保証します。▽彼を殺せば、反乱軍を支持した多くの人たちを遠ざけて、国をまとめるのが困難になります。ダビデは、分裂した国をまとめることを第一に考えました。後にソロモン王の時代に、シムイの罪は罰せられます。ダビデは正義を捨てたのではなく、王国の平和の回復のために、今何が必要であるかを考えたのでした。

【ツィバとメフィボシェテ】

もう一つの困難な関係は、ヨナタンの息子で足が動かないメフィボシェテと、そのしもべツィバの申し出でした。アブサロムの反乱の時、ダビデの危機の中でツィバが食料を持って駆けつけてダビデを助けました。ツィバによれば、主人のメフィボシェテはダビデの危機を喜んでいるということで、ダビデは主人の土地をしもべツィバに与えることを約束します。▼ところが、戦いに勝利したダビデのもとに駆け付けたメフィボシェテは、足が動けない自分は駆けつけることができず、しもべツィバに中傷されたことを訴えました。メフィボシェテの服装は、反乱の日以来、洋服の洗濯も、足や口髭の手入れもせず、ダビデのために嘆き悲しみを表してきたことを示していました。▼二人の言い分が対立して、どちらが正しいかを判断できなかったダビデは、2人で土地を折半することを命じます。

【バルジライ】

ダビデが逃れたヨルダン川の向こう岸でダビデを支援したバルジライも、ダビデのもとに駆け付けます。ダビデは彼の忠誠に報いようとしますが、バルジライは高齢を理由に断り、息子のキムハムがダビデに仕えます。ダビデは、自分が思うものを押し付けるのではなく、バルジライ の願いに従って、バルジライと息子キムハムに報いました。

【思慮深さprudentia】

戦争後のダビデの対応は、成功も失敗も含めて、「思慮深さ」が必要であったと言えます。「思慮深さ」とは、単に「何が正しいか」という規則に従って実行するだけではなく、「この人に対して、この時・この状況において、何をすることが良いことか/愛することか」という個別の判断をすることです。個々の状況に応じた判断をする力です。そうして初めて、愛を実践することができます。[2]

④ 王国全体の回復

ダビデに反逆したイスラエル人たちは、各地に逃げ帰り、ダビデから距離を置いてしまいました。ダビデ自身も、息子を失ったショックから立ち直り、王としての自らの地位を回復しようとした時に、まず自分の氏族であるユダの長老に呼びかけ、ユダ人がダビデをエルサレムに迎え入れました。

しかし、このことによってイスラエルに不満が生まれます。ダビデはエルサレムに戻りましたが、イスラエル王国全体の心を一つにすることには、成功しませんでした。ユダ族と他の氏族の対立は残り、まもなくビクリの子シェバが反乱を起こします。

【思慮深さ】

ダビデは、すべての場面で正しい判断をしたわけではありません。しかし、戦いが終わった後、彼には分裂した国をもう一度まとめていくという課題がありました。そこには、単に正しい答えを知っているだけではない、思慮深さが必要でした。

「愛する」とは、自分とは異なる他者と関係を結ぶことです。自分とは違う人と、互いに受け入れ合えること。自分の正しさだけを押し通すのではなく、相手を理解し、この人、この時、この状況で何が愛にかなうかを、より深く理解し、実践できるようになる。これもまた、信仰の成熟の一つです。愛とは、正義を妥協することではありません。相手の利益を求めながら、正義を実践することが、真の愛です。

■結論

ダビデはこの戦いの中で、自分の罪が蒔いた種を刈り取りました。しかし、ダビデは自らの罪を認め、その罪が招いた結果から逃げようとはせず、憐れみをくださる主に信頼して、自分自身を御手に委ねました。主の恵みと赦しが、私たちの歩みの土台です。

そして、主に委ねて生きることは、人との関係から離れて生きることではありません。主は、人々を通して私たちを支えてくださいます。そして、傷ついた交わりを回復していくためには、相手と置かれた状況をよく知り、配慮しながら、相手の利益を求める思慮深さが必要です。

自分の考えを押し付けるのではなく、自分とは異なる相手を受け入れる愛をいただいて、この人に対して、この時、この状況で、何をすることが愛にかなうのかを考え、実践できる、成熟した愛の生き方を目指して、主に求めてまいりましょう。

祈り

恵み深い天の父なる神様。

私たちも、弱さや罪のために苦しむことがあります。そのような時に、絶望したり、罪の罰から逃れたりせず、ダビデのようにあなたの憐れみに信頼し、御手に身をゆだねることができますように。

様々な人々を通してダビデを支えられたように、私たちも互いに支え合う者とならせてください。そして、自分の正しさを押し通すのではなく、この人、この時、この状況で何が愛にかなうのかを考える、思慮深さをお与えください。キリストの恵みによって、あなたに信頼し、人を愛して歩む者としてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


[1] フシャイは作戦会議の後、エルサレムに留まっていた祭司ツァドクとエブヤタルに伝えます。祭司たちはダビデの側近として警戒されていましたので、目立たない女奴隷が、水汲みに行くふりをしたのでしょうか、エルサレム郊外の泉エン・ロゲルに待機していた祭司の息子ヨナタンとアヒマアツに伝えます。彼らがダビデに伝言する手はずでしたが、敵に見つかってしまい、ある人の家の井戸にかくまわれ、隠れて追っ手をやり過ごして、無事にダビデに伝言します。まさに危機一髪のところで敵の情報を伝えることができ、ダビデの一行は夜明けまでにヨルダン川を渡って、絶体絶命の危機を切り抜けます。

[2] 山本芳久「トマス・アクィナス 理性と神秘」第2章「徳」という「力」 p59-60