ヨシュア1:5-9「キリストの言葉を豊かに」

2024年1月14日(日)礼拝メッセージ

聖書 ヨシュア記1:5-9、コロサイ3:16
説教 「キリストの言葉を豊かに」
メッセージ 堀部 舜 牧師

【今週の聖書箇所】

5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

ヨシュア記1:5-9
この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。ヨシュア1:8 写真:ヘブライ語のトーラー(逆さまに撮影されているとのこと)©Kadumago, from wikimedia commons, CC-BY-4.0

■【1.聖書のリズムを身に着ける】

昨年10月に、NHKのクラシックTVという音楽番組の「プロフェッショナルたちの基礎練習帳」という番組が放送されていて、妻と一緒に思わず見入ってしまいました。一流の指揮者や声楽家、バイオリンやトランペット、クラリネット、ティンパニーの奏者を招いて、プロの音楽家として大切にしている基礎練習を紹介してもらう企画でした。

 私の印象に残ったのは、打楽器のティンパニーの基礎練習で、「右右左左」の次は「右左右左」のように、右手と左手を入れ替えながら、一定のリズムでひたすら叩き続ける単調な練習でした。若い頃は単調すぎて一番嫌いな練習だったそうです。メトロノームをかけながら打つのですが、メトロノームを意識して合わせるのではなく、テンポが身についてくると、自然とメトロノームとぴったりと一致して、楽器の音でメトロノームの音が聞こえなくなるのだそうです。プロになっても、この練習を大切にしているそうです。

◆著名な聖書学者だった渡辺善太は、聖書を読むことは、このような音楽の基礎練習のような基礎練習がとても大切なのだと教えています。▼聖書を繰り返し読み、それに従って生きる生活の中で、聖書のリズム=「聖書の世界観」「聖書の著者たちの信仰の論理」が、私たちの身体にしみついてきます。▼身体にしみついたリズムでティンパニーを叩くと、メトロノームの音がかき消されるように、ぴったりと一致しします。 ▽メトロノームが基準となる正確なリズムを教えるように、聖書は、私たちの信仰の基準を示します。[①]

 聖書の論理を自分のものとして身に着けることは、熟練の音楽家が身体に染みついたリズムで繊細な音楽を表現するように、繰り返しの経験の中で培われていきます。

■【2.神の約束】

ヨシュア記1:5-9は、モーセの死後、イスラエルを導くヨシュアに、神様が使命と約束が与えられた箇所です。

5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。

ヨシュアは人々に約束の地を受け継がせます。労苦がないのではなく、むしろ多くの敵があり、戦いがあり、それに打ち勝たなければなりません。しかし、主はヨシュアと共におられ、敵は彼に打ち勝つことはできません。

これは、主が私たちクリスチャンに与えられた約束と似ています。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。主は「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と約束されます[②]。 ▼神が共におられること、これが私たちの勝利です。「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」(ローマ8:31)。

6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。

ここに、使命があります。これは、この地上で具体的に受け取るべき祝福であることを心に留めたいと思います。

――私たちクリスチャンにも「受け継ぐ」ように備えられた御国があります。それは「やがて」来る天国に備えられていますが、この地上で「すでに」始まっています。▼今既に始まっている「神との交わり」(=永遠のいのち)・「神の支配の中に生きること」(=神の国)・「聖霊がくださる義と平和と喜び」(=神の国)・「信仰・希望・愛」にとどまり、その内を生きて参りましょう。

それは、戦いのない安息ではなく、信仰の戦いです[③]。▼忍耐強く祈り続ける戦いがあり、仕事や家庭や教会の様々な必要の中で、神との関係を第一にし続ける戦いがあります。▽経済的な必要の中で神に信頼し続ける戦いがあり、難しい人間関係の中で、隣人を愛し続ける戦いがあります。▽肉体の弱さの中で、礼拝と祈りと御言葉に励むことに、戦いがあります。▽自分が難しい立場に置かれる時に、保身ではなく、愛に立ち続けるために、戦いがあります。▽不信仰なこの世に流されずに、信じ続ける戦いがあります。

しかし主は言われます。「わたしは…あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」、「強く、また雄々しくあれ」。

7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。

ユダヤ人ではないである私たちは、割礼や土曜日の安息日や食べ物に関する律法の規定を課されてはいません(使徒15章参照)。アブラハムが割礼を受ける前に信仰によって義と認められたように、私たちも律法の行いにではなく、その信仰に従っています(ローマ4章、ガラテヤ3:1-10)。そのようにして、律法の精神である、愛の律法を全うすることを求めています。

続く8節は今日の中心聖句です。私たちは約束を頂き、この地上で神様の祝福を受けるよう招かれています。信仰の戦いがありますが、主ご自身が戦い・導いてくださいます。 ▼私たちは主の業に励みますが、祝福をもたらす決定的な役割は、神ご自身が果たされます。人の心を動かし、人を遣わし・出会わせ、助け手を送り、計画を成功させて下さるのは、神ご自身です。▼だから、約束を頂いている私たちは、主の教えに従うことを第一に心がけるべきです。そこには、神との関係・人との関係の原理原則が記されています。

■【3.御言葉にとどまる】

8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

【証し】 最近私は、男性向けの御言葉の黙想のグループに参加しています。聖書の黙想(デボーション/Quiet Time(QT))のやり方を学び・実践し、週に一度、いつものメンバーで御言葉を分かち合い・祈り合います。 ▼聖書の黙想(QT)には、いろいろなやり方がありますが、そのグループでは、その日に読んだ聖書箇所の中から1つの節に集中して、そこにある命令・約束・罪・神様のご性質・自分への適用などを、読み取っていきます。また、聖句の暗唱を再び取り組み始めました。

 こうして1つの聖句に注目をするやり方を始めてから、聖書の黙想が深まってきたように感じます。これまでは、朝のQTで読んだ御言葉を、一日の間に振り返ることが少なかったのですが、1節に集中することで、繰り返し御言葉を思い出して、味わうことが増えてきました。

この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い…」。▼敬虔なユダヤ人は、13才で成人する時に、モーセ五書を暗唱するそうです。クリスチャンも聖書を暗唱してきました。修道院では詩篇を毎日朗読していましたから、修道士たちは詩篇を暗唱していたそうです。▼「口から離すことなく」とあるように、実際に声に出して唱えていたと思います。聖書を暗唱することで、昼も夜も、いつでも御言葉を思い起こすことができます。

8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

【人格】 私たちが御言葉に養われ/昼も夜もそれを口ずさみ/ 熟練の音楽家がリズムを体に沁み込ませて覚えるように、私たちも信仰のリズムを心と身体に刻み込む時に、 何も考えなくても身体がリズムを覚えているように、神の御言葉に聞き従うことが内側から身についた習慣となってしみ込んでいきます。――それは神の業です。毎日毎日、神の恵みのうちに生きることが、習慣となり、私たちの気質を整え、人格を形成していきます。

【繁栄】 「繁栄」あるいは「栄える」という言葉は、経済的な成功を指すことはほとんどないようです。1つ目の《繁栄》という言葉は、たとえば、ヨセフがポティファルの家で成功した時、ソロモンの王として・建築者としての成功した時、ダニエルはバビロンで成功した時、神殿を再建した長老たちやネヘミヤの城壁再建の成功について用いられています。彼らの努力が、神の恵み深い御手を頂いて、成功しています。 ▼二つ目の《栄える》という言葉は、ダビデ王に主が共におられて彼が成功したことや、ヒゼキヤ王が主に信頼して成功したことで、用いられている言葉です。 ▼いずれも、神との関係を第一にした信仰者に、その努力の中で、神ご自身によって与えられた成功を指しています。[④]

【鍛錬】 そこには、鍛錬が必要です。忍耐強く祈り続けること。聖書を読み続けること。そこから恵みを受け取り、神の静かな語りかけを聞き分け、導きを見分けるためには、スキルと訓練が必要です。 ▼一流の音楽家が、複雑で難しい曲を、軽やかに演奏できるのは、日頃の基礎練習が無意識のレベルにまでしみ込んでいるからです。 ▽一流の音楽家にも、単調な基礎練習が大嫌いな方もいれば、練習が好きな方もいるようです。でも、その基礎練習をおろそかにして、一流の演奏をすることはできません。御言葉の黙想(QT)のスキルも同じではないかと思います。

【悪魔の妨げ】 悪魔は、私たちが御言葉と祈りに時間を用いることを、最も嫌がります。私たちが御言葉と祈りに打ち込む時、全力で阻止しようとします。▼Quiet Timeの習慣を打ち立てようとする時、様々な妨害が起こります。急に忙しくなり、周囲の人たちから頼まれることが増え、トラブルが起きることがしばしばあるそうです。▽このことも、覚えていなければなりません。「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」。目に見えない妨害に打ち勝ち、怠惰に打ち勝ち、不信仰を征服して、「御言葉と祈り」を第一にする生活を確立したいのです。

 「あれをしなければ、これをしなければ」ではなく、共におられる神に目を上げ、神に信頼し、神を喜ぶ者でありたいと思います。「あれをしなければ、これをしなければ」よりも、神が共におられる喜びを味わう者でありたいと願います。▽その時に、主が私たちの計画を成し遂げてくださいます。

【感覚よりも信仰によって】 私はこれまで、神の恵みが経験できるものであることを繰り返し強調してきました。神の導きに対して、感性を研ぎ澄ませることも大切です。▼しかし、何を感じても感じなくても、神の約束の言葉に信頼する信仰を、培っていきたいと願います。▽御言葉を、理性によってしっかりと理解し、神がその約束を必ず実現して下さることを、信頼して待ち望みます。信仰を働らかせるのです。

【理解させる聖霊】 神のことを理解させてくださるのは、聖霊です。聖霊が私たちの目を開き、理解力を与え、悟らせてくださいます。聖霊が私たちに語りかけ、見分ける力を下さいます。聖霊の働きに心を開き、心に留めましょう。また、聖霊がそうして下さるように祈りましょう。「御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない[⑤]

■【まとめ】

8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

私たちは、御言葉を昼も夜も、口ずさんでいるでしょうか?▼御言葉は、自分自身のものになっているでしょうか?▽音楽家の身に着いたリズムのように、信仰の視点、信仰の価値観が身についているでしょうか?▽信仰の喜び・希望・愛が、私たちの気質・人格となるまで、身に沁みつきますように。

それをなしてくださるのは、聖霊なる神の働きです。▼聖霊に働いて頂くために、祈りと御言葉に打ち込んでいるでしょうか? ▽基礎練習に励む音楽家のように、努力して取り組んでいるでしょうか? ▽神の言葉にとどまり、その教えに従う時、主が私たちの計画を成し遂げて下さいます。

 そのとき、神は私たちを繁栄させてくださいます。――私たちが、もっと神を知り、神を信頼し、神を愛する者となるようにしてくださいます。


[①] 岡村民子「聖典としての聖書」p7-12

[②] ヨハネ16:33、マタイ28:20、ヘブル13:5

[③] 1テモテ6:12、ヘブル10:32

[④] Howard, David M., Jr., Joshua, The new American commentary, 1:7-8

[⑤] 1コリント2:14c-15